「二礼二拍手一礼は日本古来の伝統的な作法である」。多くの方がそう信じているのではないでしょうか。私自身、神社の歴史を調べ始めるまでは、この作法は少なくとも江戸時代には広く行われていたものだと思い込んでいました。
ところが、いくつかの史料に触れたとき、その思い込みは静かに崩れていきました。18世紀後半の伊勢参宮の案内書や図会類に描かれた参拝風景には、二礼二拍手一礼で拝む人の姿が見当たらず、座って手を合わせるような所作が描かれる例が目立ちます。今の参拝風景とは、ずいぶん違う光景です。

この記事では、二礼二拍手一礼という作法がどのようにして「日本の参拝マナー」になったのかを、150年の歴史をたどりながら読み解いていきます。読み終えるころには、いつもの拝殿前の所作が、まったく違う意味を帯びて見えてくるはずです。
実は150年前にできた作法という意外な事実
結論からお伝えします。二礼二拍手一礼の原型が制度化されたのは、1875年(明治8年)4月13日の太政官式部寮「神社祭式」が起点とされています。最後の「一礼」が加わって現在の形として整えられたのは、戦後の1948年(昭和23年)の神社本庁の改訂時。一般の参拝者にまで普及したのは、戦後から徐々に進み、平成期にかけてメディアや神社掲示で広く意識されるようになったとみられています。
「日本古来の伝統」と呼ぶには、思いのほか若い作法ではないでしょうか。
誤解のないように申し添えますと、拍手という所作そのものは、はるか古代から日本に存在しています。3世紀の中国の史書『魏志倭人伝』には、倭人が身分の高い者に対して「手を打つ」ことで敬意を示したという記述があります。「拍手という行為が古い」のは間違いありません。
ただし、「二礼二拍手一礼という決まった順序の作法」として全国の神社で広く共通化されていく流れは、明治政府による祭式統一の動きが重要な契機になったと考えられます。それ以前の参拝は、神社ごと、地域ごとに大きく違う姿をしていました。
江戸時代の参拝は合掌だった
では、明治以前の参拝者はどのような所作で神社に向かっていたのでしょうか。当時の図会類を見ると、現代の二礼二拍手一礼とは異なる、仏教式の合掌に近い姿勢が描かれる例が目立ちます。

18世紀後半の伊勢参宮案内が描いた参拝風景
江戸時代になると伊勢参りが盛んになり、とくに「お蔭参り」と呼ばれる大規模な群参が周期的に起こるほどの人気を集めました。1766年(明和3年)刊行とされる『伊勢参宮細見大全』など、参拝者向けの案内書もこの時期に多く刊行されています。
18世紀後半の伊勢参宮の図会類を見ると、多くの参拝者が拝殿の前で座り込み、合掌で拝んでいる姿が描かれる例が目立ちます。現代の私たちが当然のように行う二礼二拍手一礼の所作は、これらの図にはほとんど見当たりません。少なくとも一部の参拝図においては、座して手を合わせる姿が当時の参拝風景の代表的な形として記録されています。
江戸期の参拝図には、現代の二礼二拍手一礼とは異なる寺院に近い合掌の姿が目立つ
神仏習合の時代に拍手がなかった理由
江戸時代までの日本では、多くの地域で神仏習合(しんぶつしゅうごう)と呼ばれる仕組みが広く見られました。神社の境内に寺院が建ち、僧侶が神社の祭祀に関わる例も珍しくありません。春日大社と興福寺、宇佐八幡宮と弥勒寺のように、神社と寺院がセットで運営される例は各地に見られました。
神仏習合の環境では、寺院参拝に近い合掌や座拝が、神社参拝の場面にも入り込んでいた可能性があります。仏教には拍手という所作がなく、寺と神社が一体的な空間にあったことは、合掌で祈る作法が広く根づく一因になったと考えられます。神道独自の所作としての拍手は神事の現場では受け継がれていましたが、一般の参拝者の間で全国一律に行われていた形ではなかったといえます。
手水舎の吐水口が龍ではなく獅子だった神社が多かったのも、この時代の特徴です。詳しくは別記事「手水舎の正しい作法と意味|5動作と『龍と左』に隠された神話」で解説しています。
明治8年に政府が作法を統一した経緯
地域や神社によってばらばらだった参拝作法が、なぜ全国共通の形に統一されることになったのでしょうか。きっかけは、明治新政府の宗教政策にあります。

太政官式部寮「神社祭式」の布達
1875年(明治8年)4月13日。太政官式部寮(現在の宮内庁式部職にあたる役所)から、官国幣社向けの「神社祭式」が布達されました。この布達の中で、拝礼の仕方として「再拝拍手(さいはいはくしゅ)」という形が確認されます。再拝とは、深いお辞儀を2回続けて行うこと。この再拝拍手が、後に現在の二拝二拍手一拝へつながる重要な原型のひとつと考えられています。
ただし、この時点での「神社祭式」は神職の作法を整えるための規定でした。一般の参拝者がどう拝むべきかを定めたものではありません。少なくとも現代の最後の一拝まで明示した形ではなかったとされています。
1907年(明治40年)には、内務省が「神社祭式行事作法」として作法を告示で再整備します。ここで示された神職の作法は「再拝→二拍手→祝詞奏上→二拍手→再拝」といった、現代の一般参拝者向けの簡略形よりも複雑な構成でした。対象はあくまで神事を司る神職であり、一般の参拝者の作法を定めたものではありません。
神道国教化政策と社格制度の関係
明治政府が参拝作法を統一しようとした背景には、もっと大きな政策の流れがあります。新政府は神道を国家の精神的な柱に据えようとし、神仏分離令(1868年)で神社と寺院を制度的に切り離しました。さらに全国の神社を国家が管理する仕組みとして、社格制度(しゃかくせいど)を整えていきます。
社格制度のもとで、官国幣社・府県社・郷社・村社といった等級が神社に付けられ、国家が一定の祭祀基準を要求するようになりました。「神社の格を整えるには、祭式も整える必要がある」という議論から、共通の作法として「神社祭式」が生まれたのです。
参拝作法の統一は、純粋な信仰の整理だけでなく、明治政府の宗教政策と密接に結びついた動きとして始まった
なぜ「二」と「一」だったのか
では、なぜ「二礼」「二拍手」「一礼」という数字の組み合わせが選ばれたのでしょうか。ここには、古代から続く拍手の意味と、神道で大切にされてきた数字の象徴性が静かに重なっています。

古代から続く拍手(柏手)の意味
神道での拍手は、柏手(かしわで)とも呼ばれます。3世紀の『魏志倭人伝』には、倭の人々が貴人に対して手を打って敬意を示したという記述があり、拍手という所作が日本にもともと根づいた身体表現だったことがうかがえます。
興味深い記録が、平安時代初期の歴史書『日本後紀』にも残されています。799年(延暦18年)の元日、朝廷の朝賀の式に大陸からの使者である渤海国使が出席するため、出席者は「手を拍たず」と記されています。これは、拍手が日本独自の礼法であり、外国からの使者に向かって行うのは無作法と考えられていたことを示しています。後の時代に拍手が神前のみの所作として残っていく流れの、ひとつの節目とされています。
「二」の対称性と「一」の収束が示すもの
明治の制定では、再拝(深いお辞儀2回)と拍手2回を組み合わせる形が選ばれました。なぜ「二」という回数が採られたのか、確実な記録は残されていませんが、神道の祭式で深い敬意を一度ではなく二度続ける所作は、丁寧さや厚みを表す形として広く受け止められています。
そして、戦後に加わった最後の「一礼」は、現在の作法上は所作全体を静かに締めくくる役割を担います。「終わりの一拝がないと締まらない」という趣旨の指導があったとする説明も伝わっていますが、一次資料での確認は今後の課題として残されています。
明治の「再拝拍手」と戦後の「最後の一拝」の追加が積み重なって、現在の形が成立した
数字に込められた象徴性については、今後別記事「神社の数霊と象徴(準備中)」で深く解説する予定です。出雲大社の四拍手や八度拝の話とつながります。
戦後の標準化と平成への普及
明治・大正・戦中までは、二礼二拍手一礼はあくまで神職の作法でした。これが現在の「一般参拝者の作法」になるまでには、戦後のもうひとつの制度改革と、メディアの力が必要でした。

昭和23年の「神社祭式行事作法」で完成した形
1945年(昭和20年)の敗戦後、占領軍の神道指令により、戦前から戦時中にかけて整えられてきた神道の礼式や祭式は一旦廃止されます。神社は国家管理から離れ、民間の宗教法人として再出発することになりました。
その新たな受け皿として1946年に設立されたのが神社本庁です。1948年(昭和23年)、神社本庁が独自に編集した「神社祭式行事作法」が示され、宮司の作法として「二拝二拍手一拝」が記されます。ここで初めて、最後の「一拝(一礼)」が公式に位置づけられました。
戦前の作法には最後の一拝が明示されていなかった時期もありましたが、終わりに一拝を加えた方が所作として落ち着くという趣旨の議論があったと伝えられています(一次資料での裏付けは今後の課題)。所作としての美しさと、儀式としての完結性を両立させる流れの中で、現在の形に整えられていったといえます。
平成の初詣ブームが定着させた瞬間
昭和23年の制定後も、二礼二拍手一礼は神職の作法のままでした。一般の参拝者の多くは、依然として手を合わせるだけ、頭を下げるだけといった自由な形で参拝していたと言われています。
変化が広がったのは戦後から平成期にかけての時期です。大規模な初詣の参拝者数が報じられ、テレビや雑誌で「正しい参拝の仕方」を紹介する特集が増えていきます。マナー本や情報番組が二礼二拍手一礼を解説するようになり、神社本庁も公式サイトや境内の掲示で作法を案内するようになりました。1990年頃の初詣の映像には、まだ拍手をせずに合掌で祈る参拝者の姿も多く確認できると指摘する宗教学者もおり、現在の「みんな同じ作法でお参りする」風景は、ここ30年ほどの間に急速に整っていったものといえます。
こうして、神職だけの作法だった二礼二拍手一礼が、日常を生きる人々の所作として定着していったのです。「日本古来の伝統」というより、戦後と平成の文化現象として広がった、新しい慣習だと言えるかもしれません。
古式を残した出雲大社と伊勢神宮
明治政府が共通作法を定めた一方で、いくつかの神社は独自の古式を守り続けました。代表的なのが出雲大社と伊勢神宮です。これらの作法は、明治の標準化以前から伝わる祭祀の姿を今に伝えるものとされています。

出雲大社の正式な参拝作法は二礼四拍手一礼。出雲大社の公式説明によれば、5月14日の例祭(勅祭)では8拍手が行われます。「8」は古くから無限の数を意味する数字で、神様への限りない讃辞を表す作法。日常の参拝はその半分の4拍手で行うとされています。
伊勢神宮には八度拝八開手(はちどはい・はちかいで)と呼ばれる古式が伝わります。8回の深い礼の後に8回の拍手を打つ作法で、これも「8=無限」を象徴する祭祀の所作です。ただしこれは神職が祭祀の場で行うもので、一般の参拝者は二礼二拍手一礼で問題ないと案内されています。
明治の制度から外れた神社の作法には、それ以前の日本人が大切にしてきた所作の感覚が残っている
出雲大社や伊勢神宮の参拝作法の具体的な手順は、姉妹記事「二礼二拍手一礼の正しいやり方|出雲大社・伊勢神宮の例外まで」で詳しく解説しています。
よくある質問(FAQ)
Q1. 二礼二拍手一礼はいつから始まった作法ですか?
原型は1875年(明治8年)の太政官式部寮「神社祭式」で確認される「再拝拍手」とされています。最後の「一拝」が加わって現在の形に整えられたのは、戦後の1948年(昭和23年)の神社本庁による「神社祭式行事作法」改訂時です。原型から数えれば約150年、現在の形としては戦後に整えられた作法といえます。
Q2. 江戸時代の人は本当に拍手していなかったのですか?
拍手という所作自体は古代から日本にあり、神事の現場では受け継がれていました。ただし、神仏習合の影響で寺院参拝に近い合掌や座拝が神社参拝にも入り込んでいた可能性があり、18世紀後半の伊勢参宮の案内書や図会類にも、合掌で拝む参拝者の姿が描かれる例が目立ちます。現在のような全員一律の二礼二拍手一礼は、当時の参拝風景としては確認しにくいといえます。
Q3. なぜ「二回」「一回」と決まっているのですか?
明治8年の制定段階で、「再拝+拍手」の組み合わせが選ばれました。なぜ「二」という回数が採られたのかについて確実な記録は残されていませんが、神道の祭式で深い敬意を一度ではなく二度続ける所作は、丁寧さや厚みを表す形として広く受け止められています。最後の「一礼」は戦後に加わったもので、現在の作法上は所作全体を静かに締めくくる役割を担っています。
Q4. 三礼三拍手一礼が古来の作法というのは本当ですか?
古来の参拝作法は地域や神社によってさまざまであったとされ、「三礼三拍手一礼」が日本全国で共通の古式だったという確かな記録は確認されていません。一部の神社や流派で三回の所作が伝えられた例はありますが、「これが古来の正しい作法」と一律に断定できる史料は見当たらないのが現状です。
Q5. 出雲大社が四拍手なのはなぜですか?
出雲大社の公式説明によると、5月14日の例祭で行う8拍手の半分が日常の4拍手とされています。「8」は古くから無限の数を意味する数字で、神様への限りない讃辞を表す作法です。明治政府の標準化からはずれて、独自の古式を守り続けている神社のひとつといえます。
まとめ
この記事では、二礼二拍手一礼が現在の形になるまでの150年の歴史を読み解いてきました。
- 江戸時代までの参拝には神仏習合の影響で合掌や座拝の姿が多く見られた。1766年刊行とされる『伊勢参宮細見大全』など18世紀後半の図会類にも、合掌で拝む参拝者の姿が目立つ
- 1875年(明治8年)の太政官式部寮「神社祭式」で「再拝拍手」が制度化。神道国教化政策と社格制度の流れの中で生まれた
- 1948年(昭和23年)に神社本庁が「二拝二拍手一拝」を整え、最後の一拝が加わって現在の形が明確化された
- 一般の参拝者の間で広く意識されるようになった時期は戦後から平成期にかけて。神社本庁の案内、テレビ・雑誌のマナー特集、初詣ブームが普及を後押しした
- 出雲大社の二礼四拍手一礼は明治の標準化から外れて古式を保ち続けた所作。伊勢神宮の八度拝八開手は神職の祭祀に伝わる古式とされ、一般参拝者には公式に二礼二拍手一礼が案内されている
「日本古来の伝統」という言葉で片づけてしまうと見えなくなる、近代日本の制度設計と、戦後の文化的な営みが、二礼二拍手一礼という所作には静かに重なっています。次に拝殿の前で手を合わせるとき、150年の重みを少しだけ感じていただけたら、書き手としてこれ以上に嬉しいことはありません。
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参考文献・出典
本記事は以下の一次資料・公式情報・学術文献を参考に作成しました。最新情報は各公式サイトをご確認ください。
- 神社本庁 公式サイト「参拝方法」
- 宮内庁書陵部所蔵資料目録「神社祭式/明治8年」
- 明治聖徳記念学会「式部寮達『神社祭式』の成立」
- 出雲大社 公式FAQ「出雲大社での参拝はどのようにするのでしょうか?」
- 伊勢神宮 公式サイト「参拝の作法とマナー」
- 『魏志倭人伝』(3世紀、倭人の風習に関する記述)
- 『日本後紀』(延暦18年正月一日条、拍手に関する記述)
- 『伊勢参宮細見大全』(1766年・明和3年刊行とされる伊勢参詣案内)
- 三重県立図書館「第60回 伊勢参宮」
- 国立公文書館「明治元年(1868)3月 神仏分離令が出される」
- nippon.com「お寺で『かしわ手』はマナー違反? 神仏習合の歴史からひも解く」
- 矢向正人「魏志倭人伝に現れる搏手からの検討」(九州大学)
※史料の解釈には諸説があります。誤りや古い情報がある場合はお問い合わせよりお知らせください。
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制定日: 2026年4月28日/最終更新日: 2026年4月28日