北海道神宮に参拝したことがある方は多いと思います。初詣や観光で立ち寄った方もいるでしょう。この神社について、ネットやSNSでよく見かける話があります。「社殿がロシアの南下に備えて、わざと北東に向けて建てられた」という言い伝えです。
多くの神社は南を向いて建てられています。太陽の光を正面から受ける配置が、神道では格の高い向きとされているからです。北海道神宮はそうではない、という話は確かによく語られます。では、その「北東を向く理由」は本当なのでしょうか。
気になって調べてみると、思っていたのとは違うことが分かりました。この記事では、その向きの話をていねいに確かめながら、北海道神宮の確かな歴史、5つの鳥居にまつわる本当のところ、そして見落とされがちな3つの境内社まで、順にお話ししていきます。
北海道神宮はなぜ「神宮」を名乗れるのか

まず、ちょっと考えてみてほしいことがあります。
全国に約8万社ある神社の中で、「神宮」を名乗れるのはごくわずかです。伊勢神宮、明治神宮、熱田神宮。どれも名前を聞くだけで、特別な場所だと感じますよね。北海道神宮も、その数少ない一社です。
では、なぜ北海道の地に「神宮」が建てられたのでしょうか?
北海道神宮の御祭神は四柱です。大国魂神(おおくにたまのかみ)、大那牟遅神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)の「開拓三神」と、昭和39年(1964年)に増祀(ぞうし)された明治天皇です。
始まりは明治2年(1869年)のこと。明治天皇の詔(みことのり)によって、北海道開拓の守護神として開拓三神を祀る祭典が行われました。当初は「札幌神社」と呼ばれ、明治4年(1871年)に円山の地へ社殿を構えて鎮座しています。それから長い年月を経て、昭和39年に明治天皇が増祀されたのを機に、「北海道神宮」へと名前が改められました。
「神宮」という社号は、天皇や皇室にゆかりの深い神社に使われるものとされています(神社本庁)。北海道神宮の場合、昭和39年(1964年)10月5日に明治天皇の増祀と「北海道神宮」への改称が同じ日に行われており、この増祀が「神宮」を名乗る大きな節目になったと考えられます。
ここが大切な点ですが、北海道神宮は、地元の人たちが自然に建てた神社ではありません。北海道という土地の開拓とともに、国の意志で創建された神社です。この背景を知っておくだけで、鳥居をくぐるときの気持ちが少し変わるかもしれません。
「ロシアを睨んで北東を向く」という通説は本当か
ここが、この記事でいちばん確かめたかったところです。
神社建築では、社殿が南を向くのが基本とされています。南面は太陽の恩恵を最も受ける方角ですし、天皇が南を向いて政(まつりごと)を行う「南面の思想」にも通じます。ところが北海道神宮は、南ではない方角を向いている、とよく言われます。
その理由として広まっているのが、冒頭でふれた話です。「明治のころ、ロシア帝国が南下してきていた。北海道はその最前線だった。だから北海道神宮は、ロシアが迫る北東を睨むように建てられたのだ」という説明です。いかにも歴史のロマンを感じる話で、そのまま信じたくなります。

ところが、出どころを確かめていくと、話が変わってきます。
北海道神宮の公式サイトにも北海道神社庁にも、社殿の向きにふれた説明は見当たらない
創建の由緒や沿革はくわしく記されているのに、方角やその理由についての説明は、どこにも見当たりませんでした。この話の多くは、出典を示さないまま繰り返されているものです。たどっていくと、開拓判官・島義勇(しま よしたけ)が詠んだとされる漢詩の一節や、後年の元宮司の随筆に行きつくこともあります。ただ、それらは開拓に込めた思いを語ったもので、「社殿の向きを北東に設計した」と述べた公式の記録ではありません。むしろ、円山が選ばれた主な理由は三方を山に囲まれた地形にあったとされ、方角でロシアに備えたという建築の意図まで示す一次史料は、見当たりませんでした。
さらに、どの建造物がどちらを向いているのかも、書き手によって説明が分かれています。平凡社の『日本歴史地名大系』は、明治4年の神殿を「北東向き」と記しています。一方で「本殿が真北を向く」とするものもありますが、こちらは確かな出典が見当たらず、出典を示さないまま同じ言い回しが繰り返されています。はっきりしているのは、南向きが基本とされる中で、この神社が南以外を向いている、というところまでです。
「ロシアを睨むために北東へ設計された」という話に、公式・史料の裏づけは見つからない
ただ、ここは少していねいに分けて考える必要があります。明治政府がロシアの南下を警戒していたこと自体は、時代の背景として語られています。北海道の開拓を急いだことにも、その緊張が関わっていたとされます。けれども、それは「なぜ開拓を進め、開拓の神を祀ったのか」という動機のレベルの話です。「社殿の向きを北東に設計して、方角でロシアを睨んだ」という個別の建築の意図とは、話の次元が違います。この二つが、いつのまにか一つにつながって広まったのだと思います。
私は、神社について「知られざる真実」と紹介される話を見かけると、まず「これは誰が言っているのだろう」と考えるようにしています。北東向きの理由も、調べてみると公式サイトや神社庁はどこにも書いていませんでした。いま広めているのは、その多くが旅行ブログや観光サイトのようです。それが間違いだと決めつけたいわけではありません。ただ、確かな出どころのない話が「真実」として広まっていくのは、少しもったいない気がします。
5つの鳥居に「ご利益の違い」はあるか

北海道神宮といえば、もう一つよく話題になることがあります。
「第二鳥居から入ると縁切りに効く」「第三鳥居は金運が上がる」。SNSやブログで、こうした情報を見かけた方も多いのではないでしょうか。どの鳥居をくぐるかでご利益が変わる、という話です。
これについては、北海道神宮の公式サイトが「よくある質問」の中で、くぐる鳥居によって「建てられている場所によって何かが異なるということはありません」と回答しています(北海道神宮 公式サイト・よくある質問)。SNSなどで広まっている「鳥居ごとのご利益」に、公式のうらづけはありません。
「鳥居ごとにご利益が違う」という話に、確かな根拠は見当たらない
残念に感じるかもしれませんが、落胆するには及びません。5つの鳥居には、ご利益とは別の、もっと確かな違いがあります。それは建てられた「時代」です。
- 第一鳥居:市街地側に立つ、大きな鳥居です
- 第二鳥居:正面の参道に立つ鳥居です
- 第三鳥居:南側、駐車場に近い場所の鳥居です
- 公園口鳥居:円山公園とつながる入口にあり、開拓神社などの境内社へ向かう鳥居です
- 令和の鳥居:もっとも新しい鳥居です。令和元年(2019年)、創祀から150年の節目を記念して建てられたと伝えられます
それぞれの鳥居は、建てられた時代も、立っている場所も違います。「どの鳥居から入ると運がいいか」を気にするよりも、「この鳥居は、いつ、どんな折に建てられたのだろう」と思いながらくぐってみると、同じ参拝でも見え方が少し変わってくる気がします。
見落とされがちな3つの境内社
北海道神宮の境内には、本殿のほかに3つの小さな神社があります。ただ、ここまで足をのばす参拝者は、それほど多くありません。本殿でお参りして、御朱印をいただいて帰る。それが定番になっている方も多いと思います。
でもこの3社は、知るほどに北海道の歩みが見えてくる場所です。

開拓神社「北海道を切り拓いた人々」
開拓神社は、昭和13年(1938年)、北海道の開道70年を記念して創建されました。北海道の開拓に功績のあった人たちが祀られていて、その数は現在37柱にのぼります。間宮林蔵(まみやりんぞう)や伊能忠敬(いのうただたか)といった、教科書で名前を見た人物も含まれています。
今の北海道があるのは、当たり前のことではありません。厳しい寒さの中で、未知の土地を切り拓いた人たちがいた。開拓神社の前に立つと、そのことが静かに伝わってきます。
札幌鉱霊神社「鉱山で亡くなった人々を祀る」
北海道の発展を支えたのは、農業だけではありません。石炭をはじめとする鉱山の産業も、大きな役割を果たしました。その現場では、命を落とした人もたくさんいます。札幌鉱霊神社は、そうした鉱業の殉職者を祀る神社です。昭和18年(1943年)に創建され、昭和24年(1949年)に北海道神宮の境内へ移されました。
観光ガイドにはまず載らない場所ですが、だからこそ、北海道の歴史の別の一面、華やかさの裏にあった犠牲に触れることができます。
穂多木神社「北海道拓殖銀行の人々を祀る」
穂多木(ほたき)神社は、北海道拓殖銀行、通称「拓銀(たくぎん)」で永く勤め、功労のあった物故者を祀っています。昭和13年(1938年)に拓銀の本店の屋上で創建され、昭和25年(1950年)に、当時の札幌神社(現在の北海道神宮)の境内へ移されました。
拓銀は長く北海道の経済を支えた銀行でしたが、平成9年(1997年)に経営が破綻します。戦後、都市銀行が破綻した初めての例でした。神社が建てられたのは破綻よりずっと前のことですが、その歴史を知ってからこの社の前に立つと、また違った気持ちになります。
3社をあわせて巡ると、開拓に始まり、産業に支えられ、時に大きな痛みも経てきた北海道の歩みが、境内の中で静かにつながって見えてきます
よくある質問
- 北海道神宮の本殿はなぜ北東を向いているのですか?
「ロシアの南下を警戒し、北東を睨むように建てられた」という説が広く知られていますが、この説明は北海道神宮の公式サイトや北海道神社庁の由緒には見当たらず、旅行ブログや観光サイトを通じて広まったものです。社殿が向いている方角自体も情報源によって「北」「北東」と分かれており、確かな史料の裏づけは確認できていません。明治政府がロシアの南下を警戒していた時代背景は語られますが、それは開拓を進め開拓の神を祀った動機の話で、「向きを設計した」という建築の意図とは分けて考える必要があります。
- 北海道神宮の鳥居ごとにご利益は違いますか?
「第二鳥居は縁切り」「第三鳥居は金運」といった話がSNSなどで見られますが、北海道神宮の公式サイトは「よくある質問」の中で、くぐる鳥居によって「建てられている場所によって何かが異なるということはありません」と回答しています。鳥居ごとにご利益が違うという話に、公式のうらづけはありません。本当の違いは、建てられた時代にあります。
- 北海道神宮の御祭神は誰ですか?
大国魂神・大那牟遅神・少彦名神の「開拓三神」と、昭和39年(1964年)に増祀された明治天皇の四柱です。開拓三神は、北海道開拓の守護神として明治天皇の詔により祀られました。
- 北海道神宮はいつ創建されましたか?
始まりは明治2年(1869年)で、明治天皇の詔により開拓三神を祀る祭典が行われました。当初は「札幌神社」と呼ばれ、明治4年(1871年)に円山の地へ社殿を構えて鎮座しています。昭和39年(1964年)10月5日に明治天皇が増祀されたのを機に、「北海道神宮」へと改称されました。
まとめ
この記事では、北海道神宮の「知っているようで知らない」いくつかの事実をたどってきました。
- 北海道神宮が「神宮」を名乗れるのは、明治天皇の詔で創建され、のちに明治天皇自身が増祀された特別な神社だから
- 「本殿がロシアを睨んで北東を向く」という話は広く知られているが、公式や史料に裏づけは見つからない。向きそのものも情報源によってばらつきがある
- ロシアの南下を警戒した時代背景と、「向きを設計した」という建築の意図は別の話で、この二つが混ざって広まったと考えられる
- 5つの鳥居にご利益の違いはなく(公式サイトの「よくある質問」の回答による)、本当の違いは建てられた「時代」にある
- 境内の3つの社(開拓神社・札幌鉱霊神社・穂多木神社)には、開拓と産業に生きた人たちの歴史が刻まれている
神社にまつわる「知られざる真実」と紹介される話は、ときに確かな出どころのないまま広まっていきます。それを鵜呑みにせず、確かめられることと確かめられないことを分けておく。そのうえで、記録に残った確かな歴史に目を向ける。そんなふうに北海道神宮を訪ねると、いつもの参拝が少し違って見えてくるかもしれません。
参考文献・出典
本記事は、以下の公式情報を中心に作成しました。社殿の向きや鳥居の建立年など、公式サイトに記載のない事項については、複数の資料を照らし合わせたうえで、確かめられた範囲と確かめられなかった範囲を本文で区別して記しています。最新情報は各公式サイトをご確認ください。
- 北海道神宮 公式サイト(御祭神・由緒・境内案内)
- 北海道神社庁(創建の沿革・社格の変遷)
- 神社本庁(「神宮」という社号の説明)
- 文化庁「国指定文化財等データベース」(境内社などの関連情報)
※方角や建立年など、情報源によって記述が分かれる事項があります。誤りや新しい情報にお気づきの場合はお問い合わせよりお知らせいただけますと幸いです。
