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六曜とは|大安・友引・仏滅の意味と、神社のご祈祷やお参りとの関係

晴れた朝の神社の参道を正面から見た painterly なアイキャッチ画像。石畳のまっすぐな参道が奥へ続き、中景に朱の鳥居が1基、手前の左右に苔のついた石燈籠が1基ずつ立つ。両側は新緑の木々で、朝の斜光が石畳に長い影を落とす。左上に「六曜とは」の横書きタイトル。

カレンダーの日付の下に小さく書かれた「仏滅」の2文字を見ると、仏さまに関係のある日のように感じます。ところが東京都神社庁は、仏滅は物滅(もつめつ)の音から来た名前で、仏さまの命日とは関係がないと説明しています。では、残りの大安や友引の名前はどこから来たのでしょうか。

六曜(ろくよう)の意味を調べると、たいていは「大安は吉、仏滅は凶」という一覧に行き着きます。そこで今回は一覧の先まで、神社庁3か所と神社6社・お寺2か寺の案内、国立国会図書館と国立天文台の解説、辞典の説明を読み比べました。すると、時刻の吉凶の区切り方が資料ごとに違うことや、2033年には暦によって六曜がずれる期間があることが分かってきました。この記事では、6つの曜の意味から名前の成り立ち、神社のご祈祷やお参りとの関係までを順に見ていきます。

この記事のポイント
  • 六曜は先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の6つで、旧暦の月と日から機械的に決まる日の注です
  • 国立国会図書館は、六曜の意味の解釈は様々で、どれが正しいという基準はないと説明しています
  • 先勝の「午前」や友引の「昼」といった時刻の吉凶は、神社庁・神社・辞典で区切り方が違います
  • 仏滅は物滅の音から、友引は勝ち負けのない共引から来たとされ、今の字の意味はあとから重なりました
  • 国は旧暦を定めていません。2033年から2034年にかけては旧暦の月の決め方が割れ、案によって六曜が変わる日が出ます
  • 今回読んだ神社の案内は、仏滅のお参りやご祈祷も問題ないと書いています。そのうえで、大安に申し込みが集まるという声も載せています
目次

六曜とは旧暦の日付から自動で決まる6つの日の注

ivory washi 背景に、白い和紙を切った無地の小さな札が6枚、上の段に3枚・下の段に3枚の2段にそろえて並んでいる画像。6枚は同じ大きさと白さで文字はなく、和紙の繊維と縁のけばだちが見える。朝の光でどの札も同じ濃さの薄い影を落としている。六曜が6つの同格の日の注であることの象徴画像。

先に結論をお伝えします。六曜は、旧暦の月と日の組み合わせから順番に割り当てられる、日の吉凶の注です。国立国会図書館の解説「日本の暦」は、六曜が14世紀ごろに中国から伝わり、広く行われるようになったのは幕末以降だと説明しています。暦に書き添えられた注は暦注(れきちゅう)と呼ばれ、六曜はそのひとつです。

先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の意味

6つの曜は、この順番でくり返します。それぞれの意味を、国立国会図書館と東京都神社庁の説明をもとに並べておきます。

先勝(せんしょう・せんかち)

急ぐことが吉とされる日。午前は吉、午後は凶とされます

友引(ともびき)

祝い事は良いが、葬式などの凶事を忌むとされる日

先負(せんぷ・せんぶ・せんまけ)

何事も控えめにする日。午前は凶、午後は吉とされます

仏滅(ぶつめつ)

万事に凶とされる日。国立国会図書館は、葬式や法事は構わないとしています

大安(たいあん・だいあん)

万事に大吉とされる日。特に婚礼に良いとされます

赤口(しゃっこう・しゃっく)

特に祝い事には大凶とされる日。正午ごろだけが吉とされ、火の元や刃物に気をつける日ともいわれます

ただし、国立国会図書館は同じページで「意味の解釈は様々で、どれが正しいという基準はありません」と書き添えています。東京都神社庁も、六曜の読み方は昔から暦を作る人によってまちまちで、どれが正しいとはいえないとしています。上の説明は、あくまで広く知られている解釈です。

カレンダーの六曜がときどき飛ぶ理由

六曜は毎日1つずつ進みますが、旧暦の月が変わると決まった曜から始め直します。国立国会図書館によれば、今の六曜では、旧暦の1月と7月の1日は先勝、2月と8月は友引、3月と9月は先負、4月と10月は仏滅、5月と11月は大安、6月と12月は赤口です。

富山市科学博物館は、もっと手早い求め方も紹介しています。旧暦の月と日を足して6で割り、余りが0なら大安、1なら赤口、2なら先勝、3なら友引、4なら先負、5なら仏滅です。同じ博物館によれば、この計算で旧暦の元日は毎年先勝、中秋の名月(旧暦8月15日)は毎年仏滅になります。

新暦のカレンダーで順番が急に飛ぶように見えるのは、この月替わりのためです。日本大百科全書は、旧暦3月1日はかならず先負、4月1日は仏滅と決まっていることを挙げ、「迷信とされるゆえんである」と書いています。暦注全体の中で六曜がどこに置かれているかは、『神社参拝に良い日はあるのか』で扱っています。

「先勝の午前」は何時まで?資料によって違う時刻の吉凶

ivory washi 背景に、同じ長さの生成り色の和紙の帯が3本、上下に平行に並んでいる画像。各帯には細い金の縦線が1本ずつ入り、その位置は上の帯が左寄り、中の帯が真ん中、下の帯が右寄りと少しずつずれている。帯に文字や数字はない。六曜の時刻の区切り方が資料ごとに違うことの象徴画像。

先勝の日なら、お昼までにお参りしたほうがいいの?

相談サイトには、先勝の「午前中」は0時から12時までなのか、明るくなってからなのか、という質問も寄せられています。六曜のうち4つには時刻の吉凶が付いていますが、その区切り方は、資料によって少しずつ違います

今回読み比べた説明を、曜ごとに並べます。

  • 先勝 東京都神社庁は「午前中は吉で午後は凶」、国立国会図書館は「午前は吉、午後は凶」とします。大野湊神社(石川県金沢市)は、先勝の凶を「午後2時より午後6時まで」と時刻で書いています
  • 友引 国立国会図書館は「朝夕は吉、正午は凶など」。大野湊神社は「朝は吉、昼は凶、夕は大吉」、改訂新版 世界大百科事典は「午前中・夕刻・夜は吉だが昼は凶」とし、産泰神社は正午(午前11時〜午後1時頃)を凶としています。東京都神社庁の説明には、時刻の区切りがありません
  • 先負 東京都神社庁は「午前中が凶で午後は吉」、国立国会図書館は「午前は凶、午後は吉」とします。改訂新版 世界大百科事典と産泰神社(群馬県前橋市)は、先負の午後を「大吉」としています
  • 赤口 今回読んだどの資料も、正午ごろだけを吉とします。東京都神社庁は、吉とする時間を「午の刻(昼、午前十一時頃から午後一時頃まで)」と具体的に書いています

時刻を数字で書いているのは、赤口の正午(東京都神社庁と産泰神社)と友引の正午(産泰神社)をどちらも午前11時頃から午後1時頃とした説明と、大野湊神社の先勝の凶くらいでした。今回読んだ神社庁・神社・辞典・国立国会図書館の説明には、先勝の「午前」がいつ始まるのかまでは書かれていませんでした。

時刻の吉凶が残っているのには理由があります。東京都神社庁によれば、六曜は中国では時刻の吉凶占いに使われていたもので、日本に伝わってから日の吉凶を見る方法になりました。新纂浄土宗大辞典も、もとになったとされる六壬時課(りくじんじか)を、時刻の吉凶を判断するものだったと説明しています。いくつかの曜に時刻の吉凶が残っているのは、時刻を占うものだったころの名残と考えられます。区切り方が資料ごとに違うことは、今回の読み比べで分かったことです。

仏滅は仏さまの日ではなく名前の字があとから意味を足した

ivory washi 背景に、木目の浮いた無地の古い木札が1枚立てかけられ、その中央に新しい真っ白な和紙の細長い紙が1枚、少しずれて貼られている画像。紙の端から古い木の地がのぞき、どちらにも文字はない。仏滅や友引の字が、もとの名前の上にあとから当てられたことの象徴画像。

仏滅や友引は、字を見ると意味が分かったような気がします。けれども、今の名前が付く前には、六曜は別の名前で呼ばれていました。今の字が表す意味の多くは、名前が変わったあとから重なったものです。

伝わったころの名前は大安と赤口のほかは今と違った

改訂新版 世界大百科事典によれば、室町時代の初めごろに伝わった当時は小六壬(しょうろくじん)と呼ばれ、大安・留連(りゅうれん)・速喜(そくき)・赤口・将吉・空亡(くうぼう)の6つで時刻を占うものでした。奈良県神社庁も、伝わった当初の名前として同じ6つを挙げています(将吉は小吉としています)。

同じ事典は、江戸時代の寛政年間(1789〜1801年)には泰安・流連・則吉・赤口・周吉・虚亡と書かれ、天保年間(1830〜1844年)に名称と順序が入れかわって、今の形に固まったと説明しています。伝わったころの名前で今も残っているのは、大安と赤口の2つです。

仏滅は物滅から友引は共引から

仏滅について、東京都神社庁は「物滅(もつめつ)の音が転じて仏滅になったとされ、したがって仏さまの命日とは関係はない」と説明しています。物が滅びるという意味の字に、音の同じ「仏」の字が当てられた、という説明です。

仏滅の字の移り変わりは、改訂新版 世界大百科事典が年号つきで書いています。室町時代の初めごろに伝わったときの名前は空亡でした。1688年(元禄元年)の暦注の解説書『頭書長暦』には虚亡(こもう)とあり、1747年(延享4年)にまとめられた『万暦両面鑑』には物滅とあります。同じ事典は、空亡から虚亡、物滅、仏滅へと「変化したらしく」と書いていて、言い切ってはいません。

年号を並べると、1747年に物滅と書いた本が出たあとも、上で見た寛政年間の書き方には虚亡が残っています。書き方は、一度に切りかわったわけではなかったようです。最後の「仏」の字がいつ当てられたのかは、今回読んだ辞典には年代が書かれていませんでした。ブリタニカ国際大百科事典は「近年になって」とだけ書き、仏の死んだ日とは関係がないとしています。

友引も似ています。大野湊神社は、友引をかつては勝負のつかない日の意味で、勝負事が引き分ける「共引」とも呼ばれた、と紹介しています。改訂新版 世界大百科事典は、友引の日に葬儀を避ける慣習を、友を引くという名称から字に合わせて縁起を担いだものと説明しています。友引に葬儀を避ける習わしは、字が変わってから生まれた解釈だということになります。

その解釈が生まれた時期も、辞典に書かれています。精選版日本国語大辞典は、友引の本来の意味を「相打ち、引分けで勝負なし、良くも悪くもない日」と説明しています。改訂新版 世界大百科事典によれば、友引は伝わった当時は留連(りゅうれん)という名前でした。上で見た小六壬の6つのうち、今の友引にあたるのが留連です。

葬儀との結びつきについて、精選版日本国語大辞典は、幕末ごろに方位(方角の吉凶)でいう友引と混同され、他人の死を誘うとして葬礼を避ける習慣が生まれた、と説明しています。改訂新版 世界大百科事典も、葬儀を忌む風習は江戸時代の終わりに六曜の考え方が広まってから生まれたらしい、としています。最初の章で見たとおり、国立国会図書館は六曜が広く行われるようになったのを幕末以降と説明しています。友引に葬儀を避ける習わしと、六曜そのものが暮らしに広まった時期は、どちらも幕末ごろで重なっています

旧暦2月15日はいつも仏滅という辞典の説明

一方で、六曜の並び方を見ると仏教と無関係とは言い切れない、と説明する辞典もあります。浄土宗の学術辞典である新纂浄土宗大辞典は、六曜の並び方に注目しています。旧暦2月15日(お釈迦さまが亡くなった日)は毎年仏滅、4月8日(お釈迦さまが生まれた日)は大安、12月8日(悟りを開いた日)は先勝になり、7月14日と15日(盂蘭盆)は友引と先負になります。同辞典はこれを「仏教の重要な日を六曜に組み込んだものである」とし、考え出したのは陰陽道に詳しい僧侶だったと考えられる、と書いています。

月と日を足して6で割る計算で確かめると、5つの日はどれも辞典のとおりの曜になりました。東京都神社庁は名前の「仏」を物滅からの当て字としていますが、新纂浄土宗大辞典は、並び方には仏教の大切な日が入っていると説明しています。

ただ、六曜は6日ごとに機械的に決まるので、どの日も6つのうちどれかの曜に当たります。計算が合うことだけでは、わざと組み込んだとまでは確かめられません。実際に円龍寺は、お釈迦さまの亡くなった旧暦2月15日が仏滅になるのは月初めの配当の決まりのためで、仏教とは関係のない理由だと説明しています。並び方の意味については、新纂浄土宗大辞典と円龍寺の見方が分かれています

仏滅という字を見れば、仏さまに関係のある日だと考えるのが自然です。けれど、もとは空亡や物滅と書かれていました。友引も、勝ち負けのつかない共引の意味だったとされています。私は、六曜の吉凶の多くは、日そのものの性質ではなく、あとから当てられた字の印象から生まれたものではないのかと考えています。カレンダーに小さく印刷された2文字が、結婚式や葬儀の日取りまで動かしてきたと思うと、字の影響は小さくないと感じます。

六曜が広まったのは幕末から戦後にかけて

明るい木の机の上に、無地の紙表紙で綴じた薄い冊子が1冊と、細い罫線で区切ったマスだけが刷られた一枚刷りの和紙が1枚、並べて置かれている静物画像。どちらにも文字はなく、一枚刷りの紙には折り目が残る。明治の官暦と、六曜を広めた民間の一枚刷りの暦の象徴画像。

六曜は古くからの習わしのように見えますが、国立国会図書館は、広く行われるようになったのは幕末以降だと説明しています。

言葉そのものはもう少し古く、精選版日本国語大辞典は、笑話集『醒睡笑』(せいすいしょう)にある「六曜の占」を、1628年の用例として挙げています。暦に載りはじめた時期は資料によって書き方に幅があり、同じ辞典は江戸時代中期から暦注に記されて流行し始めたとし、日本大百科全書は広く行われるようになったのを天保のころとしています。富山市科学博物館は、江戸時代の暦にはほとんど記載されておらず、明治になってから使われるようになったと説明しています。

明治の改暦で吉凶の暦注は外された

明治5年(1872年)に改暦が布告され、翌明治6年から暦は太陽暦に切り替わりました。国立天文台の暦計算室は、明治改暦において「中下段の暦注は迷信に過ぎないとして、廃止されました」と説明しています。

国立天文台によれば、明治6年から昭和20年まで政府が刊行した本暦・略本暦には、旧暦は明治42年暦まで載っていましたが、いわゆる暦注は載っていませんでした。明治15年の達しで、明治16年暦からは本暦・略本暦を伊勢神宮が頒布することになりました。

その後の広まり方について、奈良県神社庁は、官暦(国が認めた暦)として発行を許された神宮の暦には日の吉凶などの暦注が一切なかったこと、これに対して民間で出回った偽暦(おばけ暦)に暦注が載り、六曜が一般の人々の間に広まったことを説明しています。戦後に暦の発行が自由になると、六曜などを載せた運勢暦が盛んに出されるようになった、とのことです。

戦後に六曜が広まった理由として、広島市東区の早稲田神社は、ほかの吉凶の暦注よりわかりやすかったからだと言われている、と紹介しています。神宮の暦に六曜が載っていないことは、『神社参拝に良い日はあるのか』でくわしく扱っています。

カレンダーの六曜は誰が決めている?2033年には暦ごとにずれる

夜明けの澄んだ空に細い三日月が1つ淡く浮かび、地平近くの桃色と金色から上空の淡い青へ移る空の下に、霞のかかった低い山並みが重なる風景画像。星や建物はなく、明るく清らかな朝の空。旧暦が月の満ち欠けから組み立てられることの象徴画像。

毎年のカレンダーに印刷される六曜は、どこかの公的な機関が決めたものではありません。国の機関は旧暦を定めておらず、六曜のもとになる旧暦の日付は、天文の情報をもとに組み立てられているのが実態のようです

国は旧暦を決めていない

国立天文台の暦計算室によれば、いわゆる旧暦は江戸時代の天保暦(てんぽうれき)のことですが、すでに廃止されていて、「その手順どおりに推算・公表する機関もない」とされています。そのため今は、新月の日付や二十四節気といった天文の情報をもとに、天保暦の決まりを当てはめて旧暦を組み立てているのが実態だそうです。旧暦と新暦が切り替わった明治の改暦については、『二十四節気と五節句とは』で扱っています。

2033年問題で六曜が決まらない期間

この組み立て方には、決まりどおりに旧暦の月を決められない年があります。国立天文台によれば、2033年から2034年にかけては、天保暦の決まりをそのまま当てはめると旧暦の月が決まりません。天保暦が使われはじめた天保15年(1844年)以来、初めて起こることだとされています。閏月(うるうづき)の入れ方で3つの案が考えられ、国立天文台は、どの案を採るかを公的機関が決めることはないだろうと書いています。

研究者やカレンダー・印刷業界の団体などでつくる一般社団法人日本カレンダー暦文化振興協会は、平成27年(2015年)8月28日に、閏11月を入れる案を推奨する見解を発表しています。福岡県神社庁は、自身が発行する暦の話として、この問題によって「大安仏滅いわゆる六曜が決められなくなります」と書き、旧暦を国が管理しないために起こると説明しています。

3つの案で六曜が変わる日を数えてみた

実際に何日の六曜が変わるのかを、国立天文台が示している3つの案の月の並びに、月と日を足して6で割る計算を当てはめて数えてみました。閏月は、直前の月と同じ曜から始まります(富山市科学博物館・新纂浄土宗大辞典)。

2033年7月26日から2034年3月19日までの237日のうち、178日は、どの案を採るかによって六曜が変わりました。2033年8月25日から2034年2月18日までの毎日です。3つの案で同じ曜になるのは、その前後の59日だけです。たとえば次のような日です。

  • 2033年9月23日 案1と案3では先負、案2では友引
  • 2034年1月1日 案1と案2では先負、案3では仏滅
  • 2034年2月11日 案1と案2では仏滅、案3では大安

同じ日が、カレンダーによって大安にも仏滅にもなりうるということです。公的機関が案を決めることはないだろう、と国立天文台は見ています。そうなると、発行するところごとに採る案が分かれるかもしれません。

国立天文台は、旧暦の決め方をどの公的機関も決めないだろうと書いています。毎日のカレンダーに載っている六曜は、誰かが責任を持って決めているものではありません。それでも、多くの人がその2文字を見て結婚式や葬儀の日を選んできました。私は、六曜が今まで続いてきたのは、日を決めるときに家族や周りの人と話を合わせやすい目印だったからではないのかと考えています。2033年に暦によって大安の日がずれたとき、私たちがどちらの大安を選ぶのかは、少し気になるところです。

神社の案内は六曜をどう書いているか

神社の拝殿の軒下から下がる丸い真鍮の鈴が1つと、朱と白の木綿を綯った鈴緒が1本を、少し下から見上げた接写画像。背景には白木の柱と軒の木組みがやわらかくぼけ、朝の光が差し込む。人の姿はない。神社でお参りやご祈祷を受ける場の象徴画像。

ここからは、神社の側の話です。六曜と神社の関係をはっきり書いていた神社4社の案内は、どれも六曜は神社の祭りや参拝とは関係がないという立場で書かれていました。東京都神社庁は六曜を「いわば俗信」とし、奈良県神社庁は一つの慣習として考えればよいとしています。

お参りとご祈祷と地鎮祭

大野湊神社は「一般的に神社(参拝および祭事など)と六曜は何ら関係ありません」とし、仏滅だからお参りに向かない、お祭りを控える、ということは必要ないと書いています。道野辺八幡宮(千葉県鎌ケ谷市)のよくある質問も、六曜はもともと神社とかかわりのあるものではないとして、仏滅に地鎮祭(じちんさい、工事の前に土地の神を祭る儀式)や御祈祷をしても問題ないと答えています。

仏滅にお参りしてよいかという問いそのものは、『神社参拝に良い日はあるのか』で、神社側の資料を横断して扱っています。

安産祈願とお宮参り

産泰神社は、大安の解説の中で「友引や赤口、もちろん仏滅に安産祈願やお宮参りをしても何の問題もありません」と書いています。安産祈願の日取りと大安の戌の日の考え方は『戌の日と安産祈願とは』、お宮参りの時期は『お宮参りはいつ?』で扱っています。

安産祈願の案内をさらに読み比べると、六曜と戌の日(いぬのひ)が重ならないときにどちらを先に考えるかで、神社ごとに書き方が違っていました。

伊太祁曽神社(和歌山県和歌山市)は、戌の日が大安でないがどうすればよいか、という問い合わせが時々あると書いています。そのうえで「六曜を気にせず戌の日にお参りください」とし、どうしても六曜が気になるなら、戌の日以外にご祈願しても何も問題はない、と両方の選び方を示しています。早稲田神社は、六曜で悪い日だからとご祈願やご参拝がずるずると後にずれ、結局行きそびれてしまうことを心配し、大きくとらわれずにお参りしてはどうか、と書いています。

伊太祁曽神社は、戌の日は12日に1度めぐってくるので、5か月目の戌の日が大安でないからといって次まで延ばすのは現実的ではない、とも書いています。これは暦の計算からも確かめられます。六曜は旧暦の月と日を足して6で割った余りで決まるため、同じ旧暦の月の中なら、12日あとの戌の日も同じ六曜になります。大安でない戌の日の次の戌の日も、旧暦の月が変わらないかぎり大安にはなりません。

申し込みが大安に集まるという神社の声

読み比べていて気になったのは、関係ないと書く同じ案内の中に、参拝する人の日取りの話も出てくることです。早稲田神社は「大安の戌の日には安産祈願のご希望が増えるなど神社も六曜の影響を受けざるをえません」と書いています。産泰神社も、七五三の季節にあたる11月の大安などは神社の混雑が予想されるとしています。

大野湊神社は、六曜には迷信や俗信の側面が大いにあるとしたうえで、多くの方が気にされる六曜を全く無視することはできない、と書いています。人は社会の中で暮らしているから、という理由です。六曜は神社の側の決まりではなく、参拝する人の日取りの側から神社に届いていることが、案内を並べると分かります。

友引の火葬場の休みは少しずつ変わってきている

六曜が暮らしの仕組みにまで入り込んでいるのが、友引の火葬場です。大野湊神社は、友引に葬式を避けることから、火葬場や葬祭場は友引を休業とすることが多いと書いています。新纂浄土宗大辞典も、地域によっては友引に火葬場を休業とすると説明しています。

この休みは、公営の施設から変わりはじめています。宮崎県都城市は、慣習などの理由で友引を斎場の休業日にしていましたが、葬儀の日程が延びて遺族の負担が増えることがあったため、平成28年度(2016年度)から休業日を1月1日だけにして、友引も開場しています。東京都は、建て替えた瑞江葬儀所(江戸川区)で、令和8年(2026年)6月1日から友引日の火葬を受け入れると発表しました。

では、葬儀や法事を行うお寺の側は、友引や仏滅をどう説明しているのでしょうか。お寺の公式サイトを2つ読んでみると、神社の案内が六曜は祭りや参拝と関係がないと書いていたのと同じように、円龍寺は六曜が、本覚寺は仏滅が、仏教とは関係がないと書いていました。

真宗興正派の円龍寺(香川県丸亀市)は、「六曜は仏教と関係ありませんし、浄土真宗では六曜を気にせずに仏事をします」と書き、葬儀も火葬も友引にしてまったく問題ないとしています。日蓮宗の本覚寺(千葉県松戸市)は、仏滅は仏教には全く関係がないとしたうえで、法事の日取りは「六曜を気にするよりも、むしろ故人の関係者が最も多く集まれる日を」選んではどうか、と勧めています。

ただ、円龍寺は同じ記事で、地方では友引や仏滅に火葬施設が閉まっていることがある、とも書いています。お寺が問題ないとしていても、火葬場が休みの日には火葬ができません。教えの上で差し支えがないかどうかと、その日に火葬場が開いているかどうかは、別々に確かめることになります

なお、友引は祝い事に向かない日ではありません。国立国会図書館の説明でも、忌むのは葬式などの凶事で、祝い事は良いとされています。南湖神社は、友引に葬儀をしないという考え方を広げすぎて、友引にお祝いごとをしてはいけないと思い込む人が増えている、と注意を促しています。

六曜が気になるときの日取りの考え方

六曜の成り立ちを見てきたうえで、神社のご祈祷やお参りの日を決めるときに役立ちそうなことを3つにまとめます。

  • 先に、お参りする神社のご祈祷の受付日と、祭典の日程を確かめる
  • 一緒に行く家族に六曜を気にする人がいれば、その人の考えを先に聞く
  • 時刻まで気にするなら、区切り方は資料ごとに違うことを知っておく

今回読んだ神社の案内は、どの曜でもご祈祷やお参りは問題ないと書いていました。同時に、奈良県神社庁が書くように、六曜は一つの慣習として受け止められています。家族の誰かが大安を望むなら、その日に合わせることも、六曜を信じるかどうかとは別に、行事を気持ちよく迎えるための選び方のひとつです。大安の日は混みやすいという神社の案内も、日を決めるときの材料になります。

※本記事の六曜に関する記述は、暦と信仰の文化的な解説を目的としたもので、特定の効果や結果を保証するものではありません。詳細は免責事項をご確認ください。

よくある質問

六曜に縁起の良い順番はありますか?

大安が万事に大吉、仏滅が万事に凶とされる点は多くの解説で共通していますが、そのあいだの並べ方は解説によって違います。国立国会図書館は、六曜の意味の解釈は様々で、どれが正しいという基準はないと説明しています。先勝・友引・先負・赤口は時刻によって吉凶が変わるとされ、その区切り方も資料ごとに違うため、1本の順位にはまとめにくい面があります。

仏滅の日にしてはいけないことはありますか?

今回確かめた神社庁や神社の案内に、仏滅にしてはいけないことを定めた決まりはありませんでした。東京都神社庁は、仏滅は万事に凶とされ、特に結婚や開店など新しく何かを始めることを避ける人が多いと説明しています。神社のお参りやご祈祷については、道野辺八幡宮や産泰神社の案内が、仏滅でも問題ないと書いています。なお東京都神社庁によれば、仏滅は物滅の音から来た名前で、仏さまの命日とは関係ありません。

友引に葬儀をしてはいけないのですか?

友引の葬儀を禁じる決まりは、今回確かめた資料には見当たりませんでした。精選版日本国語大辞典によれば、友引はもともと「相打ち、引分けで勝負なし、良くも悪くもない日」の意味で、葬礼を避ける習慣は幕末ごろ、方位の友引と混同されて生まれたとされています。真宗興正派の円龍寺は、葬儀も火葬も友引にしてまったく問題ないと書いています。ただし、地域によっては友引に火葬場が休みのことがあるため、葬儀社や火葬場の予定を先に確かめてから日程を決めてください。

まとめ

この記事では、六曜の意味から名前の成り立ち、神社の案内での扱いまでを確かめました。

  • 六曜は先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の6つで、旧暦の月と日から機械的に決まる。国立国会図書館は、意味の解釈にどれが正しいという基準はないとしている
  • 先勝の午前や友引の昼といった時刻の吉凶は、時刻を占うものだったころの名残と考えられ、区切り方は資料ごとに違う
  • 伝わったころの名前で今も残るのは大安と赤口だけ。仏滅は物滅の音から、友引は共引から来たとされ、友引に葬儀を避ける習わしは幕末ごろに生まれたと辞典は説明している
  • 新纂浄土宗大辞典は、旧暦2月15日が毎年仏滅になるなど、並び方に仏教の日が組み込まれていると説明している。円龍寺は、配当の決まりのためで仏教とは関係がないとしている
  • 六曜が広く行われるようになったのは幕末以降で、明治以降の本暦・略本暦に暦注は載らず、民間の暦で広まり、戦後の暦の自由化で定着した
  • 国の機関は旧暦を定めていない。2033年から2034年にかけては旧暦の月の決め方が割れ、本記事の計算では2033年8月25日から2034年2月18日までの178日が案によって別の曜になる
  • 今回読んだ神社の案内は、仏滅のお参りやご祈祷も問題ないとしつつ、大安に申し込みが集まることや混雑にも触れている。同じ旧暦の月の中では、12日違いの戌の日は同じ六曜になる
  • 友引の火葬場の休みは、都城市が平成28年度に、東京都の瑞江葬儀所が2026年6月にやめている。お寺の案内が友引の葬儀を問題ないとしていても、火葬場の休みは別に確かめる

次にカレンダーで仏滅の字を見かけたら、その下にある旧暦の日付も見てみてください。旧暦の日付の月と日を足して6で割ると、その日の六曜が自分で出せます。六曜のほかにどんな暦注があり、神社の暦がそれをどう扱っているかに興味が出てきたら、『神社参拝に良い日はあるのか』が次の入口になります。

参考文献

公式資料(神社庁・神社・寺院・国立国会図書館・国立天文台・自治体)

補助参考(辞典・博物館・業界団体)

本記事は、2026年9月15日から16日にかけて、東京都神社庁・奈良県神社庁・福岡県神社庁と神社6社・お寺2か寺・国立国会図書館・国立天文台・富山市科学博物館・日本カレンダー暦文化振興協会・宮崎県都城市・東京都の公開資料と、辞典類を確認し、六曜の時刻の吉凶の区切り方と名前の成り立ち、神社の案内での扱いを本記事独自に整理したものです。旧暦2033年問題で六曜が変わる日数は、国立天文台が示す3案の月の並びをもとに本記事で計算しました。六曜の扱いは神社や地域によって異なることがあります。実際にお参りされる際は、参拝先の最新の案内をご確認ください。

※ 本記事の画像はChatGPT 等の生成AIによる象徴的なイメージ画像です。実際の景観とは異なる場合があります。詳細は免責事項をご覧ください。

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あやとき編集部は、40代の編集メンバーで運営しています。子を持つ親としても、一人の人間としても、暮らしに息づく神社との関わりを大切にしながら、全国の神社文化を丁寧に読み解いていきます。

神道や神社の奥深さを、専門用語に頼らず、どなたにも分かりやすい言葉でお届けします。読者の方と同じ目線で、共に学んでいく姿勢を基本としています。詳しくは運営者情報をご覧ください。

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