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初午とは何の日か|稲荷のお祭りの由来と神社ごとに違う日取り

二月上旬の早春の明るい朝、小さな稲荷神社の石畳の参道に朱色の鳥居が一基立ち、その手前に白い梅の花が咲き始めた木が枝を伸ばしている絵。参道の日陰にはうすく雪が残り、奥には常緑の木立と淡い青空が見える。左上にタイトル「初午とは何の日か」を横一行で配したアイキャッチ画像

『世界大百科事典』の「初午」の項によると、関東地方では稲荷講が盛んで、この日はお稲荷さんの祠に幟が立ち、油揚げや赤飯などが供えられて、集まった人たちが一緒に飲んだり食べたりします。「この日」とは、2月の最初の午の日、初午(はつうま)です。

ただ、初午の日は全国で1つではありません。宮城県の竹駒神社や愛知県の豊川稲荷のように、旧暦の2月の初午に祭りをするところもあります。この記事では、初午がどんな日なのかを辞典と社寺の公式の説明で確かめ、稲荷と結びついた理由や、社寺ごとに違う日取りを見ていきます。

この記事で分かること
  • 初午の意味と、2027年の初午・二の午・旧暦の初午の日付
  • 初午に稲荷を祭る理由(伏見稲荷大社が伝える和銅4年の言い伝えと、辞典の説明)
  • お参り先の初午の確かめ方と、初午の食べ物や家のお稲荷さんの祭り
目次

初午は2月の最初の午の日に稲荷を祭る行事

初午は、2月の最初の午(うま)の日のことで、その日に各地の稲荷神社で行われる祭りも初午と呼びます(『デジタル大辞泉』)。午の日とは、日ごとに順番に割り当てられた十二支(子・丑・寅…)が「午」に当たる日のことで、12日ごとにめぐってきます。

二月上旬の早春の明るい朝、庭の一角にある朱色の柱の小さな稲荷の祠と、その左手前の小さな朱色の鳥居を描いた絵。祠の前の石の台には、油揚げ二枚をのせた小皿と、赤飯を盛った白い器が供えられ、うしろに梅の枝と常緑の植え込みが見える。初午に家や町内のお稲荷さんを祭る様子のイメージ

『精選版 日本国語大辞典』は、この日に稲荷社で初午祭があり、人々が初午詣をすると説明しています。『日本大百科全書』は、各地の初午の習俗を並べたうえで、初午はその年の豊作を前もって祝う(予祝する)意味の祭りであったといえるとまとめています。

初午以外の神社のおもな行事は、春夏秋冬に分けて神社の年中行事の記事にまとめています。

2027年の初午はいつか

午の日は年によってずれるので、初午の日付も毎年変わります。十二支の巡りを数えて、次の初午を出しました(旧暦の初午は、国立天文台の暦要項の新月と春分の日も使って計算しています)。

2027年の初午は、2月8日(月)です。

2回目の午の日(二の午)は12日後の2月20日(土)です。2027年の2月には午の日がこの2回しかなく、3回目の三の午はありません。

旧暦の2月の初午で数える場合は、2027年は3月16日(火)です。旧暦では春分の日(2027年は3月21日)を含む月が2月になり、月の初めは新月の日です。国立天文台の暦要項では、2027年のその新月は3月8日です。そこから数えると旧暦の2月1日は3月8日で、そのあとの最初の午の日が3月16日になります。

旧暦と今の暦の違いは、旧暦とは何かを書いた記事でくわしく扱っています。

「立春のあとの午の日」とする説明もある

私がコトバンクで読んだ6つの辞典(デジタル大辞泉・日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・百科事典マイペディア・ブリタニカ国際大百科事典)は、どれも「初午」の項で初午を「2月の最初(初め)の午の日」と説明していて、立春にはふれていません(2026年10月確認)。

一方で、食品会社のページには、初午を「立春のあとの、最初の午の日」と書いているものがありました。2月の最初の午の日が立春より前に来る年は、この2つの数え方で初午の日が変わります。たとえば2026年は、2月の最初の午の日が2月1日で、立春の2月4日より前でした。辞典の数え方なら2026年の初午は2月1日、立春のあとで数えると2月13日です。立春と二十四節気については二十四節気と五節句の記事で書いています。

土地によっては、暦の上の初午の日を避けて、祭りの日をずらすこともありました。日本大百科全書には、初午の日が早いと火事が多いといわれ、月の初めに当たると二の午の日に延ばす例があると書かれています。5日を過ぎればよい、という言い方もあるそうです。

初午に稲荷を祭る理由 和銅4年の伝承と辞典の説明

2月の午の日が、なぜ稲荷のお祭りの日になったのでしょうか?

稲荷神社の総本宮、京都の伏見稲荷大社は、公式サイトの祭礼と行事のページで、2月の初午の日のお祭りを「稲荷大神が稲荷山の三ヶ峰に初めてご鎮座になった和銅4年2月の初午の日をしのび」行うと説明しています。伏見稲荷大社の説明では、初午は稲荷大神が稲荷山に祀られたと伝わる日にちなむお祭りです。

ただ、伏見稲荷大社は歴史のページ「初午」で、この言い伝えをかなり慎重に書いています。ページによると、稲荷大神のご鎮座についていちばん古い記録とされる『山城国風土記』の逸文(ほかの本に引用されて残った文)には、和銅4年(711)というご鎮座の年はまだ出てきません。同じページによると、和銅4年という年は、神主家に伝わる「稲荷社神主家大西(秦)氏系図」に記されています。

早春の明るい朝、田植え前の耕したばかりの田んぼが手前から広がり、その奥に常緑の木々におおわれた低くなだらかな山がひとつ見える里の風景の絵。あぜには芽吹き始めた草とうすく残る雪があり、田の脇に梅の木が小さく見える。旧暦の二月の初午が、田の仕事を始めるころに当たることのイメージ

同じページは、和銅4年にご鎮座になった由縁として、次のような伝承を紹介しています。そのころ全国で天候が不順で五穀の実りの悪い年が続いたため、朝廷が使いを名山大川に遣わして祈らせたところ神のお告げがあり、稲荷山に大神を祀ると五穀が大いに実って国が富み栄えた。その祀った日が和銅4年の2月の初午だった、という話です。

これは全くそのとおりだと言えない面もありますが、唐突にこの日が伝承されたのではなく、やはり同氏族の間に何らかの明記すべき由縁があったものと推測されるのですが、それがどのような事象であったのか今のところはわかっていません。(伏見稲荷大社「初午(はつうま)」)

辞典の中には、初午と稲荷が結びついた理由を、暦と農作業の関係から説明するものがあります。世界大百科事典は、旧暦の2月の初午は農作業を始めるころに当たり、そのために農業の神の性格をもつ稲荷と結びつきやすかったのだろうと書いています。百科事典マイペディアは、初午は伏見稲荷大社の鎮座の日にちなむという説明に加えて、宮廷で2月に行われた祈年祭(としごいのまつり)が変化したものと考えられる、とも書いています。祈年祭は、奈良・平安時代に毎年旧暦の2月4日、神祇官や国庁で五穀の豊作などを祈った祭りです(日本国語大辞典)。

初午に稲荷へお参りする習わしは、平安時代の書物にも出てきます。日本国語大辞典は、「初午」の古い用例として『貫之集』(945年ごろ)の「二月はつむま、いなりまうでしたる所」を挙げています。同じ辞典は、2月の午の日を稲荷の例祭の日とする意味の用例に、『枕草子』の「二月むまの日の暁にいそぎしかど」も挙げています。世界大百科事典の「伏見稲荷大社」の項にも、初午の祭りはすでに平安時代から有名だったと書かれています。

伏見稲荷大社は、和銅4年の2月の初午に大神を祀ったという言い伝えについて、自分の神社のページで「全くそのとおりだと言えない面もあります」と書き、そのうえで、同じ氏族の間に何らかの由縁があったのだろうと推測しています。神社が自分の始まりの話をここまで慎重に書いていることに、私は注目しました。私は、初午の祭りが平安時代の歌集に出てくるころから続いてきたのは、始まりの年が確かだったからというより、旧暦の2月が田んぼの準備を始める時期で、その区切りの日に稲荷へお参りする人が毎年いたからではないのかと考えています。辞典にも、旧暦の2月の初午は農作業を始めるころにあたると書かれています。

初午はどこでも新暦の2月とは限らない 神社やお寺で違う日取り

初午の祭りの日は、新暦の2月だけではありません。「初午は2月」と覚えていると、旧暦で祭りをする社寺の初午を見落とします。私が公式サイトで確かめた5つの社寺でも、初午の祭りの日の決め方はそろっていませんでした(2026年10月確認)。

初午の祭りの日の決め方(各社寺の公式サイトより)
  • 伏見稲荷大社(京都府): 2月の初午の日にお祭り
  • 竹駒神社(宮城県): 旧暦2月の初午の日から7日間の初午大祭。2月には新暦初午祭もある
  • 豊川稲荷(愛知県・曹洞宗のお寺): 初午祭は旧暦二月の初午日
  • 笠間稲荷神社(茨城県): 初午祭は新暦と旧暦の2月に行う神事。行事一覧には3月の旧初午祭がある
  • 祐徳稲荷神社(佐賀県): 2月の初午の日に初午祭、3月の初午の日に例大祭

旧暦は、明治の初めに今の暦(新暦)に切り替わる前に使われていた暦です。旧暦の2月の初午は、今の暦では2月の終わりから4月の初めのあいだに来て、年によって大きく動きます(旧暦の2月は春分の日を含む月なので、その範囲に収まります)。竹駒神社の公式サイトは、初午大祭を一年を通じての農事・養蚕の準備の祭りとして行い、かつては100日間にわたって馬市が開かれたこともあったと書いています。

辞典にも、旧暦の2月の初午が出てきます。日本国語大辞典は、伏見稲荷大社へお参りするための信者の団体(稲荷講)が、旧暦二月の初午の日に参詣したと書いています。世界大百科事典は、家の敷地に祀る屋敷神の祭日は、全国を通じて春は旧暦の2月が多いと説明しています。伏見稲荷へ旧暦の2月の初午に参詣した講があり、家で祀る神様の春の祭りも旧暦の2月が多かったということです。

お参り先の初午を確かめるには

お参りしたい神社やお寺の初午を知りたいときは、その社寺の公式サイトの年中行事のページを見て、次の2つを確かめると迷いにくくなります。

  • 「旧暦」「旧初午」「新暦」の言葉があるか(旧暦の初午は、年によって新暦の日付が大きく動きます)
  • 日付が書いてあれば、それが何年の行事予定か

2つ目は、私が確かめたときに迷ったところです。公式サイトの年中行事のページには、日付だけが書かれていて、何年の予定なのかが書かれていないものがありました。午の日は毎年ずれるので、去年の日付が残っている可能性もあります。分からないときは、社寺に直接たずねると安心です。

伏見稲荷大社の初午大祭 青山飾りとしるしの杉

京都の伏見稲荷大社の初午大祭は、初午の日より前から準備が始まります。公式サイトの祭礼と行事のページによると、初午の2日前の辰の日に、稲荷山の杉と椎の枝で作った「青山飾り」をご本殿以下の摂末社に飾り、初午の日を迎える習わしがあります。初午詣は「福詣(ふくまいり)」とも呼ばれ、前日の巳の日から参詣する人であふれ、京洛(京の都)の初春第一の祭事とされているそうです。

早春の明るい朝、神社の朱塗りの柱の根もとの石の上に、濃い緑の葉がびっしりついた杉の小枝が一本横向きに置かれているのを近くから見た絵。背景には常緑の木立がやわらかくぼけている。初午に稲荷山の杉の小枝をしるしとしていただいたという、しるしの杉の話のイメージ

伏見稲荷大社の社頭で受けられる「しるしの杉」は、商売繁昌・家内安全の御符(しるし)として、古くからいただく風習が盛んだと書かれています。伏見稲荷大社の歴史のページ「しるしの杉」には、初午の日の稲荷山を詠んだ次の歌が紹介されています。

きさらぎやけふ初午のしるしとて稲荷の杉はもとつ葉もなし(『新撰六帖』光俊朝臣)

同じページの訳によると、初午にお参りした人々がしるしとして杉の小枝を取っていくので、この日の稲荷山の杉はすっかり葉がなくなってしまった、という少し大げさな歌です。ただ、しるしの杉は初午だけのものではありませんでした。平安時代の中ごろからは、熊野詣の行き帰りに稲荷社にお参りし、杉の小枝をいただいて身につけることが広まっていたそうです。同じページによると、『為房卿記』には、永保元年(1081)に藤原為房が熊野詣の帰りに稲荷社に参り、杉の枝を笠に差して京に入ったことが記されています。

日本大百科全書は、伏見稲荷大社の2月初午の日の大祭は昔から大吉祥日として全国からの参詣人で埋め尽くされたと書き、幕末の歌人・橘曙覧(たちばなあけみ)の「稲荷坂見あぐる朱の大鳥居ゆり動かして人のぼり来る」の歌を挙げています。伏見稲荷大社の境内の見どころやご祭神は、伏見稲荷大社の記事で書いています。

初午に食べるもの いなり寿司・しもつかれ・初午団子

初午の食べ物と聞いて、まずいなり寿司を思い浮かべる人も多いと思います。世界大百科事典は、いなり寿司という名前を、稲荷神の使いとされるキツネが油揚げを好むとするところからの呼び名だと説明しています。同じ辞典が引く江戸時代の随筆『守貞漫稿』によると、発祥は尾張の名古屋で、江戸では天保(1830〜1844)の末ごろから、鳥居の絵をかいた行灯をともした稲荷ずし売りが夜の町を売り歩いたそうです。狐と油揚げが結びついたわけは、稲荷の狐についての記事で書いています。

早春の明るい朝、障子越しの光が入る木の食卓に、生成りの角皿にのった俵形のいなり寿司三個、大根と人参のおろしに大豆と鮭が入ったしもつかれを盛った白い小鉢、白い丸い団子三個をのせた藍色の小皿が並ぶ静物の絵。いなり寿司のほかにしもつかれや初午団子もある、初午の食べ物のイメージ

いなり寿司のほかにも、辞典には初午の日の食べ物がいくつか出てきます。

  • しもつかれ: 塩鮭の頭、煎り大豆、大根おろし、酒粕などを煮た栃木などの郷土料理で、初午の日に稲荷神社に供えます(デジタル大辞泉)。『日本の郷土料理がわかる辞典』は、塩鮭の頭は正月料理の残り、煎り大豆は節分にまいた豆の残りを使うと書いています
  • 初午団子: 初午の日に作る団子です。この日に子どもたちが集まって太鼓をたたくことも、広く行われたそうです(日本大百科全書)
  • 油揚げと赤飯: 関東地方の稲荷講では、祠に油揚げや赤飯などを供えて祭ります(世界大百科事典)。百科事典マイペディアは、神前に油揚げを供え、油揚げと菜を食べる風習を挙げています
  • 初午の市のいなりずし: 日本大百科全書によると、熊本県では各地に初午の市が立ち、湯豆腐やいなりずしなどが並ぶそうです

しもつかれと似た呼び名の食べ物は、ほかの辞典にも出てきます。『日本の郷土料理がわかる辞典』は「すむつかり」「すみつかれ」「しみつかり」ともいうと書き、世界大百科事典は関東の稲荷講で「スミツカリ」という独特の食べ物を供える所もあると書いています。日本大百科全書は、栃木県の旧安蘇郡野上村(今の佐野市)で初午に「シミズカリ」という大根や鮭のおじやを作って供えるという例を挙げています。同じしもつかれの仲間でも、土地によって呼び方や作り方に幅があったようです。

2月11日の「初午いなりの日」は暦の初午と別の日

「初午」で検索すると、2月11日の「初午いなりの日」という記念日が出てくることがあります。食品会社のページでは、毎年2月11日を「初午いなりの日」として、いなり寿司を食べる日として紹介しています。名前から2月11日が初午だと誤解しやすいのですが、この記念日は日付が2月11日に決まっていて、毎年動く暦の上の初午とは決まり方が違います。暦の初午は午の日なので毎年動き、2027年は2月8日(旧暦の2月の初午で数えるなら3月16日)で、2月11日とは重なりません。

家のお稲荷さんや町内の稲荷講の初午

初午は、大きな神社だけのお祭りではありません。世界大百科事典の「稲荷信仰」の項によると、稲荷信仰は西日本より東日本のほうが濃く、関東地方では屋敷神(家の敷地に祀る神様)としての稲荷がとても多いそうです。こうした家や町内のお稲荷さんでも、初午の祭りが行われてきました。

家のお稲荷さんの初午は、どんなふうにお祭りしてきたのだろう。

日本大百科全書の「稲荷講」の項は、稲荷を祀る形を、屋敷稲荷などと呼ばれる個人の家のものと、小字や組、町内で管理する共同のものの2つに大きく分けています。その中で、稲荷講の盛んな神奈川県の例として、2月の初午に数戸が集まって祀る「ナカマイナリ」を紹介しています。

  • 甘酒は欠かさず供えるので、前の年と今年の当番の家の主婦が2日ほど前に仕込む
  • 当番の家の一画の四隅に榊を立てて祭りの場とし、赤飯を供えて、そばに幟を立てる
  • 当日は講の子どもたちが太鼓をたたきながら、各家の稲荷を回る
  • 夕方から食事の席(本膳)が始まり、祭りが終わるとすぐに幟を次の当番に送る

世界大百科事典の「初午」の項も、関東地方の稲荷講では祠に幟を立てて油揚げや赤飯などを供え、参加した人が飲食を共にすると書いています。同じ項には、子どもたちが稲荷の祠で太鼓をたたいて遊び、そこに籠ることもあったと書かれています。日本国語大辞典によると、江戸の町では稲荷の小さな社の祭りに、子どもが狐を描いた絵馬板を持って家ごとにお金を集めて回ったといいます。同じ辞典には、初午の日に、学ぶ年齢になった子どもが寺子屋に入ったことも書かれています。

では、家のお稲荷さんの初午に、何をどう供えるのが正しいのでしょうか。私が読んだ辞典と社寺の公式サイトの範囲では、家のお稲荷さんの初午の供え方を1つに決めている資料は見当たりませんでした。辞典で見つかったのは、ここで見たような土地ごとの例が中心でした。迷ったときは、家族や近所の人、その家でお札をいただいている神社にたずねると、その家や土地で続けてきたやり方を知る手がかりになります。

稲荷だけではない初午 馬・蚕・火の用心

初午といえば稲荷のお祭りですが、日本大百科全書は、初午の習俗はかならずしも稲荷と関係するものではなく、土地によってさまざまだと書いています。辞典に出てくる例には、馬・蚕・火にかかわる行事があります。

まず馬です。日本国語大辞典の「初午祭」の項には、農村では稲荷を農業の神とし、初午を蚕や牛馬の祭りとする地方が多いと書かれています。世界大百科事典によると、東北地方や東海地方には、馬(午)にちなんで蒼前様(そうぜんさま)や馬頭観音にお参りする所があります。茨城県の笠間稲荷神社も公式サイトで、「午」は動物の馬に通じ、人々は馬を通じて神の霊威を感じて、午の日を神聖な日と考えるようになったと説明しています。

次に蚕です。世界大百科事典によると、長野・山梨・埼玉などの養蚕地帯では、初午を養蚕を祈る日とし、蚕影様(こかげさま)やオシラ様の祭りをしたり、繭玉を作って家の内外の神に供えたりしてきました。日本大百科全書は、初午にカイコの神を祀る蚕玉祭(こだままつり)をする所もあると書き、ブリタニカ国際大百科事典は、長野県では初午を蚕玉祭と呼ぶと説明しています。

そして火です。日本大百科全書によると、長野県では初午の日を道陸神(どうろくじん。道祖神のこと)の火事見舞いといい、小正月のどんど焼きで小屋を焼かれたお見舞いとして餅をついて供えます。世界大百科事典は、高知県には家に水をかけるなどの火防の行事をする所が多いと書いています。初午と火の結びつきは、このあとのよくある質問でもふれます。

世界大百科事典によると、二の午や三の午まで祭る所もあり、2月以外では、奄美大島のように4月の初午をいう所や、11月に初午をする所もあります。

よくある質問

初午にやってはいけないことはありますか?

私が読んだ辞典と5つの社寺の公式サイトの範囲では、初午にしてはいけないことを決めた資料は見当たりませんでした。辞典に出てくるのは、火にかかわる言い伝えです。世界大百科事典は、初午の早い年は火事が多いという俗信が全国的にあると書いています。日本大百科全書には、青森県の津軽地方で屋根に水桶をあげたり水をまいたりすること、岐阜県の高山市では初午の日に茶を飲まないといい、鳥取県の南東部では茶釜を洗って乾かすことが書かれています。この3つは、日本大百科全書で火事の言い伝えのすぐあとに並んでいる土地の習わしです。ただ、日本大百科全書には、高山の茶や鳥取の茶釜が火とどう結びつくのかまでは書かれていません。

三の午がある年とない年があるのはなぜですか?

二の午は毎年あり、年によって変わるのは三の午があるかどうかです。新暦の2月に午の日が何回入るかで決まります。午の日は12日ごとにめぐってくるからです。二の午は2月の2回目の午の日、三の午は3回目の午の日です(日本国語大辞典は二の午を「二月の二度目の午の日」と説明しています)。2月は28日しかないので、最初の午の日が2月1日から4日(うるう年は5日)までなら三の午まで巡ってきて、それより遅いと二の午までです。世界大百科事典によると、初午だけでなく二の午や三の午まで祭る所もあります。

まとめ

この記事では、初午がどんな日なのかを、辞典と社寺の公式サイトで確かめてきました。要点を並べておきます。

  • 初午は2月の最初の午の日で、各地の稲荷神社で祭りがある。午の日は12日ごとなので日付は毎年変わる
  • 伏見稲荷大社は和銅4年の2月の初午に大神が祀られたという言い伝えを伝えるが、最古の記録にはその年が出てこないことも自ら書いている。辞典は、旧暦の2月の初午が農作業を始めるころに当たることを挙げている
  • 竹駒神社の初午大祭や豊川稲荷の初午祭は旧暦の2月の初午、祐徳稲荷神社は2月の初午祭のほかに3月の初午の日が例大祭など、初午の日は社寺によって違う
  • いなり寿司・しもつかれ・初午団子など、初午の食べ物や家のお稲荷さんの祭り方は土地ごとに違う
  • 初午には、馬や蚕の祭り、火の用心の言い伝えなど、稲荷以外の行事も結びついている

初午にお参りしたい神社やお寺があれば、まず公式サイトの年中行事を開いて、新暦の初午か旧暦の初午かを確かめてみてください。旧暦で祭りをする社寺の初午は、新暦の初午とは別の日で、年によって動きます。

参考文献

公式資料(神社・寺院・国立天文台)

辞典

補助参考

  • みすずコーポレーション「初午いなりの日」(「立春のあとの最初の午の日」という説明・2月11日の初午いなりの日。食品会社のページ)
  • Google 検索の「他の人はこちらも質問」・関連検索と上位の記事、Yahoo!知恵袋に寄せられた初午の質問(読者の疑問の把握に用いた)
  • Wikipedia「初午」(確認の入口として、本文根拠としては用いない)

本記事は、2026年10月に、伏見稲荷大社・竹駒神社・豊川稲荷(曹洞宗の妙嚴寺)・笠間稲荷神社・祐徳稲荷神社の公式サイトのうち初午と年中行事について書かれたページと、国立天文台の暦要項を確かめ、コトバンクで読める辞典と照らし合わせて書いています。2027年の日付は、十二支の巡りを数えて出したものです。旧暦の初午は、国立天文台の暦要項の新月と春分の日から計算しました。初午の祭りの日や行事の内容は社寺ごとに違い、年によって変わることもあるので、お参りの際は各社寺の案内もあわせてご確認ください。

※ 本記事の画像はChatGPT 等の生成AIによる象徴的なイメージ画像です。実際の景観とは異なる場合があります。詳細は免責事項をご覧ください。

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この記事を書いた人

あやとき編集部は、40代の編集メンバーで運営しています。子を持つ親としても、一人の人間としても、暮らしに息づく神社との関わりを大切にしながら、全国の神社文化を丁寧に読み解いていきます。

神道や神社の奥深さを、専門用語に頼らず、どなたにも分かりやすい言葉でお届けします。読者の方と同じ目線で、共に学んでいく姿勢を基本としています。詳しくは運営者情報をご覧ください。

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