立春・春分・夏至・冬至。桃の節句・端午の節句・七夕・重陽。これらの言葉は、日本の季節の暦を支える二つの体系から来ています。二十四節気(にじゅうしせっき)は太陽の動きを基準に 1 年を 24 等分した季節の指標であり、五節句(ごせっく)は奇数の重なる日に営まれる年中行事の節目です。
本記事では、二十四節気と五節句が日本にどう根付いてきたのか、両者がどのように違うのかを整理します。続いて、旧暦から新暦への改暦(明治 6 年=1873 年)が暦行事に与えた影響、二十四節気 24 個と七十二候の構造、五節句の意味と由来、雑節(節分・彼岸・八十八夜など)、そして神社祭祀暦(祈年祭・神嘗祭・新嘗祭・大祓)との季節感の重なり、2026 年の各節気・節句の日付までを、国立天文台暦計算室・国立国会図書館・伊勢神宮公式などを主な手がかりに読み解きます。
二十四節気と五節句とは(日本の季節を表す暦)

日本の暦には、季節の移ろいを表す複数の体系が重なっています。なかでも二十四節気と五節句は、人々の暮らしや祭礼の季節感を理解するうえで重要な手がかりです。
- 二十四節気は太陽の動きを基準に 1 年を 24 等分した季節の指標で、立春・春分・夏至・冬至などを含む
- 五節句は 1/7 人日・3/3 上巳・5/5 端午・7/7 七夕・9/9 重陽の奇数日に営まれる年中行事の節目
- 七十二候は二十四節気をさらに 3 つに分け、約 5 日ずつ自然観察を表現した暦
- 雑節(節分・彼岸・八十八夜・土用など)は、日本の気候や農事・生活に合わせて重視されてきた補助的な暦日
- 神社祭祀暦(祈年祭・神嘗祭・新嘗祭・大祓)は、二十四節気や雑節が示す季節感と重なりながら営まれてきた
二十四節気の基本(太陽運行を 24 等分した季節の指標)
二十四節気は、太陽が黄道(地球から見た太陽の通り道)を 1 周する 1 年を、視黄経 15 度ごとに 24 等分した暦です。中国で古く成立し、戦国時代頃には体系化が進んだとされ、農業や暮らしの目安として東アジア各地に広まりました。日本でも長く季節を表す指標として用いられ、現代の暦にも記載されています。
五節句の基本(奇数の重なる日、年中行事の節目)
五節句は、1 月 7 日(人日)・3 月 3 日(上巳)・5 月 5 日(端午)・7 月 7 日(七夕)・9 月 9 日(重陽)の 5 つの節目を指します。中国の陰陽思想に由来する厄払いの行事が日本に伝わり、宮中行事と結びついて発展しました。江戸時代の初期には幕府によって「式日(しきじつ)」として定められ、武家社会の公式行事として扱われながら、宮中や民間の風習とも結びついて広まりました。
神社祭祀暦との関わり(春の祈年祭・秋の神嘗祭・新嘗祭)
二十四節気と五節句は、神社の祭祀暦とも季節感を共有しながら営まれてきました。春には豊作を祈る祈年祭(きねんさい)、秋には新穀の収穫を感謝する神嘗祭(かんなめさい)と新嘗祭(にいなめさい)が営まれ、稲作を中心とした年間サイクルが暦と祭祀の両方を支えてきました。神社の祭りと神事の体系のなかで、季節の暦は祭祀の歩みと深く関わっています。
二十四節気は旧暦そのものではない(太陽の位置で決まる指標)
二十四節気というと、月の満ち欠けで日付を数える旧暦の一部だと思っている方も多いのですが、これは正確ではありません。二十四節気は太陽が黄道上のどこにあるか(太陽黄経)で決まる指標で、月の動きとは別の基準です。むしろ月を基準にする旧暦(太陰太陽暦)の側が、季節とのズレを直すために二十四節気を取り込んでいた、という関係にあたります。国立天文台暦計算室や国立国会図書館の暦の解説でも、二十四節気は太陽の動きを基準にしたものと説明されています。
旧暦では、二十四節気を一つおきに「節気」と「中気」に分け、中気を含まない月を閏月に充てるやり方で季節の遅れを補っていました。太陽の位置から作った季節の物差しを、月の暦のなかに埋め込んで使っていたわけです。二十四節気を「旧暦=月の暦そのもの」と考えると、この太陽由来の仕組みが見えにくくなります。
旧暦と新暦(明治 6 年改暦と日付の関係)

二十四節気と五節句を理解するには、日本の暦の歴史を知ることが手がかりになります。旧暦(太陰太陽暦)から新暦(グレゴリオ暦)への改暦は、明治 6 年(1873 年)1 月 1 日から実施され、季節の行事や日付の感覚に大きな影響を与えました。
旧暦(太陰太陽暦)の仕組み(月の満ち欠けと太陽運行の併用)
旧暦は、月の満ち欠けを基準に日付を定める太陰太陽暦です。月の周期(約 29.5 日)を基準にすると、12 ヶ月で約 354 日となり、太陽年(約 365.25 日)とのズレが生じます。このズレを補正するため、約 3 年に 1 度閏月(うるうづき)を挿入する仕組みが採られました。二十四節気は、この閏月を設ける基準として重要な役割を果たしてきました(中気のない月を閏月とする方法)。
新暦(グレゴリオ暦)の採用(明治 6 年=1873 年)
明治政府は、欧米諸国との制度面の整合などを背景に、明治 6 年(1873 年)1 月 1 日から太陽暦(グレゴリオ暦)を採用しました。これは旧暦の明治 5 年 12 月 3 日にあたります。改暦により、二十四節気の日付は太陽運行を基準とするため毎年ほぼ一定(±1 日程度)となり、農作業や暮らしの目安としての安定性が増しました。
改暦が暦行事に与えた影響(七夕の季節感ズレなど)
改暦は、伝統的な暦行事の季節感に変化をもたらしました。たとえば七夕は旧暦 7 月 7 日(現代の暦ではおおむね 8 月頃にあたることが多く)に行われていたため、本来は梅雨明けの夏空のもとで星を仰ぐ行事でしたが、新暦 7 月 7 日では梅雨真っ最中で星が見えにくいことが多くあります。同様に、五節句や雑節の多くは旧暦の季節感を前提に成立しているため、新暦の日付とは少しずれた風情を持つことを意識すると、行事の本来の意味が見えてきます。
神社の祭りの日取りは一律に移されたわけではない(祭りごとに違う経緯)
改暦のとき、神社の祭りはどれも同じやり方で新暦へ移された、と考えてしまいそうですが、実際は祭りごとに違う経緯をたどっています。日付をそのまま横滑りさせた祭りもあれば、一度移してから直したもの、たまたまその年に当たった日をそのまま使い続けたものもあります。
神嘗祭は、明治 6 年(1873 年)の改暦ではいったん新暦の 9 月 17 日に移されましたが、この時期は稲の生育がまだ十分でなかったため、明治 12 年(1879 年)に一か月遅らせて 10 月 17 日へ改めたと伝えられます。新嘗祭は、もともと旧暦 11 月の卯の日という年ごとに動く日でしたが、改暦にあたって新暦 11 月の二番目の卯の日にあたる 1873 年(明治 6 年)11 月 23 日が選ばれ、以後この日に固定されて現在に至るとされます。祈年祭も、古い記録では 2 月 4 日、現在は 2 月 17 日に行われており、いつ現在の日付になったかは資料によって幅がありますが、これも単純な横滑りではありませんでした。
逆に、改暦は宮中や神社の祭りに何の影響もなかったと考えるのも正確ではありません。神嘗祭も新嘗祭も、明治の改暦を境に日付の定め方が変わりました。一律の変換ルールがあったのでも、何も変わらなかったのでもなく、祭りごとの事情で移り方が分かれた、と受け止めるのが実際に近いと言えます。なお、ここで挙げた再修正の年などの細かな経緯は、公式の由緒として明記されていない部分もあり、二次的な資料に依るところがあります。
二十四節気の一覧(春夏秋冬の 24 区分)

二十四節気は、春夏秋冬の 4 つの季節をそれぞれ 6 つに分けて構成されます。骨格となるのは八節(はっせつ)と呼ばれる二至二分と四立で、これに各季節の細かな節気が加わり、合計 24 となります。
二十四節気の構造(八節を骨格に)
二十四節気の骨格は、二至二分(にしにぶん)と四立(しりゅう)を合わせた八節です。二至二分は冬至・夏至・春分・秋分で、太陽運行の節目(冬至=昼最短、夏至=昼最長、春分・秋分=昼夜ほぼ等しい)を示します。四立は立春・立夏・立秋・立冬で、各季節の始まりにあたります。この八節を基本骨格として、間に細かな節気が並ぶ構造です。
| 季節 | 節気(月日は新暦の目安) |
|---|---|
| 春 | 立春(2/4)・雨水(2/19)・啓蟄(3/5)・春分(3/20)・清明(4/4)・穀雨(4/20) |
| 夏 | 立夏(5/5)・小満(5/21)・芒種(6/5)・夏至(6/21)・小暑(7/7)・大暑(7/22) |
| 秋 | 立秋(8/7)・処暑(8/23)・白露(9/7)・秋分(9/23)・寒露(10/8)・霜降(10/23) |
| 冬 | 立冬(11/7)・小雪(11/22)・大雪(12/7)・冬至(12/22)・小寒(1/5)・大寒(1/20) |
春の節気(立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨)
立春(りっしゅん)は新暦 2 月 4 日頃で、暦のうえで春の始まりとされる日です。続く雨水(うすい)(2/19 頃)は雪が雨に変わる頃、啓蟄(けいちつ)(3/5 頃)は土中の虫が動き始める頃、春分(しゅんぶん)(3/20 頃)は昼夜ほぼ等しい日、清明(せいめい)(4/4 頃)は万物が清らかに明らかになる頃、穀雨(こくう)(4/20 頃)は春の雨が穀物を潤す頃を表します。
夏の節気(立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑)
立夏(りっか)(5/5 頃)は夏の始まり、小満(しょうまん)(5/21 頃)は万物が次第に満ちる頃、芒種(ぼうしゅ)(6/5 頃)は稲などの穀物の種をまく頃、夏至(げし)(6/21 頃)は 1 年で最も昼が長い日、小暑(しょうしょ)(7/7 頃)は暑さが増す頃、大暑(たいしょ)(7/22 頃)は 1 年で最も暑い頃を表します。
秋の節気(立秋・処暑・白露・秋分・寒露・霜降)
立秋(りっしゅう)(8/7 頃)は秋の始まり、処暑(しょしょ)(8/23 頃)は暑さがおさまる頃、白露(はくろ)(9/7 頃)は朝露が白く見える頃、秋分(しゅうぶん)(9/23 頃)は昼夜ほぼ等しい日、寒露(かんろ)(10/8 頃)は朝露が冷たく感じる頃、霜降(そうこう)(10/23 頃)は霜が降り始める頃を表します。
冬の節気(立冬・小雪・大雪・冬至・小寒・大寒)
立冬(りっとう)(11/7 頃)は冬の始まり、小雪(しょうせつ)(11/22 頃)は雪が降り始める頃、大雪(たいせつ)(12/7 頃)は雪が本格的に降る頃、冬至(とうじ)(12/22 頃)は 1 年で最も昼が短い日、小寒(しょうかん)(1/5 頃)は寒さが厳しくなる頃、大寒(だいかん)(1/20 頃)は 1 年で最も寒い頃を表します。
七十二候(二十四節気をさらに 3 つに分けた自然観察暦)
七十二候(しちじゅうにこう)は、二十四節気の各節気をさらに初候・次候・末候の 3 つに分けたもので、合計 72 の細かな季節区分です。約 5 日ずつ自然の様子を表現し、「東風解凍(はるかぜ こおりをとく)」「魚上氷(うお こおりをいずる)」のように、その時期の気候や動植物の様子が短い言葉で表されます。江戸時代には渋川春海(しぶかわ はるみ)が貞享改暦に際して、日本の風土に合わせた本朝七十二候を作成しました。その後、明治期にも改訂され、現在一般に紹介される七十二候へとつながっています。
立秋なのに暑いのはなぜか(中国生まれの暦を日本の気候に合わせ直す)
「立秋なのにこんなに暑い」と感じたことのある方は多いはずです。これは二十四節気が、もともと中国の華北(黄河流域)あたりの気候をもとに作られた太陽の物差しだからです。暦のうえの季節と、日本で実際に感じる季節はぴったり重なるわけではなく、立秋(8 月 7 日頃)がまだ真夏に感じられることも珍しくありません。こうしたずれの大きさは、地域や年によっても変わります。
日本の人たちは、この中国生まれの暦と自分たちの土地の気候とのズレを、そのままにはしませんでした。次の章で述べる雑節(土用・八十八夜・入梅など)は、二十四節気だけでは足りない日本の農事の感覚を補うために設けられたものです。七十二候も、江戸時代に渋川春海ら暦学者の手で日本の風土に合う本朝七十二候へと改められました。中国から来た季節の物差しを、日本の気候に合わせて据え直してきた歴史があります。
暦と体感がずれることを、私は暦の欠点だとは思っていません。中国から来た二十四節気をそのまま使い続けるのではなく、日本の人たちは雑節や本朝七十二候を足して、自分たちの土地の感覚に合うように少しずつ直してきました。立秋に涼しさを探すのではなく、まだ暑いなかに秋の気配を一つ見つける。そんなふうに、暦と体感の間にある小さなずれこそが、季節を二重に味わう手がかりになっているような気がします。
五節句の意味と由来(奇数の重なる日の厄払い)

五節句は、中国の陰陽思想に由来する 5 つの節目を、日本固有の風習と融合させた年中行事です。江戸幕府が公式の「式日」として定めて以降、武家と庶民の両方に広く親しまれてきました。
人日(じんじつ) 1 月 7 日|七草の節句
人日(じんじつ)は新暦 1 月 7 日で、七草の節句とも呼ばれます。中国の人日思想や若菜摘みの風習などが重なり、日本では七草粥の行事として定着しました。芹(せり)・薺(なずな)・御形(ごぎょう)・繁縷(はこべら)・仏の座(ほとけのざ)・菘(すずな)・蘿蔔(すずしろ)の春の七草を粥に入れていただき、無病息災を祈ります。
上巳(じょうし) 3 月 3 日|桃の節句(雛祭り)
上巳(じょうし)は新暦 3 月 3 日で、桃の節句または雛祭り(ひなまつり)として親しまれています。水辺での祓いや人形(ひとがた)に穢れを移して流す風習などが、宮中・武家・民間の雛遊びと結びつき、現代の雛人形を飾る風習へと発展したと伝えられます。桃の花は邪気を払う植物として節句の象徴となっています。
端午(たんご) 5 月 5 日|菖蒲の節句(こどもの日)
端午(たんご)は新暦 5 月 5 日で、菖蒲(しょうぶ)の節句とも呼ばれます。中国では菖蒲を厄払いの薬草として用いる風習があり、日本では江戸時代に男子の成長を祝う節句として定着しました。鯉のぼり・五月人形・粽(ちまき)・柏餅などが端午の象徴です。現在はこどもの日として国民の祝日にもなっています。
七夕(しちせき) 7 月 7 日|笹の節句
七夕(しちせき・たなばた)は新暦 7 月 7 日で、笹の節句とも呼ばれます。中国の乞巧奠(きこうでん)と日本古来の棚機(たなばた)の信仰が融合した行事で、織姫と彦星の星伝説とも結びつきます。笹竹に願い事を書いた短冊を飾る習慣は、江戸時代以降に庶民の間で広まりました。詳しくは七夕の意味と由来を参照してください。
重陽(ちょうよう) 9 月 9 日|菊の節句
重陽(ちょうよう)は新暦 9 月 9 日で、菊の節句とも呼ばれます。陰陽思想で最も大きな陽数である「九」が重なる日で、菊の花を浮かべた酒を飲んで邪気を払い長寿を願う行事です。現代では五節句の中で最も知名度が低くなっていますが、菊の薫りとともに秋の節目を味わう風習として伝えられています。詳しくは重陽の節句の意味を参照してください。
なぜ奇数日に厄払い?(中国陰陽思想と日本固有の融合)
中国の陰陽思想では、奇数は陽数(縁起の良い数)とされ、偶数は陰数とされます。奇数が重なる日(3 月 3 日、5 月 5 日など)は陽が極まることから、逆に不吉とされ、邪気を払う行事を行う日となりました。日本に伝わったこの思想は、宮中行事や民間の風習と融合し、季節の植物の生命力で厄を払う五節句の形に整えられました。
ちなみに、五節句のうち人日(1 月 7 日)だけが、ほかの節句(3/3・5/5・7/7・9/9)のようなゾロ目になっていません。これは一説に、中国で正月の 1 日から順に動物などをあてはめ、7 日目を「人の日」、8 日目を「穀の日」としたとされる古い風習に人日が由来するためで、ゾロ目の厄払いとは別の成り立ちを持つと考えられています。また、奇数の重なる日は 11 月 11 日にもありますが、五節句として定着したのは古くからの年中行事を江戸幕府が式日として定めたこの 5 つで、それ以外の奇数日は公式の節句には採られませんでした。
五節句は今も続くのか(明治の位置づけと、重陽が忘れられた理由)
五節句というと、五つがそろって今も国の暦のうえで続く行事というイメージがありますが、公的な位置づけという点では変化がありました。明治 6 年(1873 年)、改暦と同じ年に太政官布告によって、公的な節句(五節)としては廃止されたとされます。同じ 5 月 5 日は現在「こどもの日」という祝日になっていますが、これは端午の節句がそのまま法的に受け継がれたものではなく、同じ日付に別の趣旨で定められた祝日です。
とはいえ、廃止されたからといって五節句がすたれたわけではありません。七草・雛祭り・七夕などの行事は、その後も民間の風習や神社の祭事として受け継がれ、今も親しまれています(重陽のように、あまり見かけなくなったものもあります)。国の制度としては外れても、暮らしの行事としては生き続けているという二重の姿を知っておくと、五節句の今の姿がつかめます。なお、廃止を定めた布告の号数や日付については資料によって記述に幅があるため、ここでは「明治 6 年に公的な節句としては廃止された」という確かな部分にとどめています。
五つの節句のなかでも、とくに影が薄くなったのが重陽です。雛祭りやこどもの日のように子どもや家庭の行事として定着しなかったこと、そして菊の見頃にあたる旧暦 9 月 9 日が、新暦の 9 月 9 日ではまだ菊の季節に少し早いことなどが、親しまれにくくなった一因と考えられます。詳しくは重陽の節句の意味でも解説しています。
重陽の節句が忘れられていったことを、私は残念なことだとは思っていません。行事は、暮らしのなかで必要とされている間は自然に続き、役目が薄れれば目立たなくなっていくものだと考えています。菊を眺めて長寿を願う重陽が影をひそめたのは、その願いを別の形で果たせるようになったからかもしれません。消えた行事を惜しむよりも、今も残っている節句がなぜ暮らしに必要とされ続けているのかを考えるほうが、私には面白く思えます。
雑節(二十四節気・五節句以外の季節の節目)

雑節(ざっせつ)とは、二十四節気・五節句以外で季節の変わり目の目安となる日の総称です。日本独自に、農作業の補助暦として考えられてきました。中国由来の二十四節気だけでは捉えきれない、日本の風土に即した季節感を補う役割を果たしています。
節分(2 月 3 日頃)|立春前日の邪気払い
節分(せつぶん)は本来「季節を分ける日」を指し、立春・立夏・立秋・立冬の前日すべてを意味しました。現代では、特に立春の前日(2 月 3 日頃)を節分と呼び、邪気を払い福を呼び込む豆まきの行事が広く行われます。詳しくは節分と神社の関係を参照してください。
彼岸(春分・秋分の前後 3 日)|先祖供養の期間
彼岸(ひがん)は、春分と秋分を中日(ちゅうにち)として前後 3 日ずつ、計 7 日間の期間を指します。日本独自の習俗で、太陽が真東から昇って真西に沈む春分・秋分は、仏教的・民俗的には彼岸(あの世)と此岸(この世)が通じやすい日と受け止められ、先祖供養や墓参りの期間として親しまれてきました。
八十八夜(5 月 2 日頃)|茶摘み・農作業の目安
八十八夜(はちじゅうはちや)は、立春から数えて 88 日目にあたる日で、新暦 5 月 2 日頃です。この時期は遅霜の警戒期にあたり、農作業の節目として暦に記載されてきました。茶摘み・種まき・養蚕などの目安となり、文部省唱歌『茶摘』にも「夏も近づく八十八夜」と歌われています。
入梅・半夏生(6 月 11 日頃・7 月 2 日頃)|梅雨と農作業の節目
入梅(にゅうばい)は新暦 6 月 11 日頃で、暦のうえで梅雨入りの目安とされる日です。半夏生(はんげしょう)は新暦 7 月 2 日頃で、地域によっては田植えを終える目安とされ、農作業の節目として古くから重視されてきました。実際の梅雨入り・梅雨明けとは異なる暦上の節目です。
土用(年 4 回)|季節の変わり目の調整期間
土用(どよう)は、立春・立夏・立秋・立冬の前 18-19 日間を指し、年に 4 回あります。夏土用(7 月 20 日頃〜立秋前日)の土用の丑の日には鰻を食べる風習が広く知られていますが、古くは土を動かす作業を慎む期間ともされ、季節の変わり目として生活や農作業の区切りに意識されてきました。
二百十日(9 月 1 日頃)|台風警戒の目安
二百十日(にひゃくとおか)は、立春から数えて 210 日目にあたる日で、新暦 9 月 1 日頃です。この時期は稲の開花期にあたり、台風の襲来を警戒すべき日として暦に記載されてきました。続く二百二十日(9 月 11 日頃)とともに、農家にとって防災と祈りの節目となっています。
神社祭祀暦と季節感の重なり(稲作サイクルと祭礼)

二十四節気・五節句・雑節は、神社の祭祀暦とも季節感を共有しながら営まれてきました。神道の世界観のなかで、稲作を中心とした年間サイクルが暦と祭祀の両方を支え、春の祈りから秋の感謝、年末年始の清めへと年中行事が積み重なります。
春の祈年祭(2 月)|豊作を祈る年始の大祭
祈年祭(きねんさい・としごいのまつり)は、毎年 2 月 17 日に宮中および多くの神社で営まれる、その年の五穀豊穣を祈る大祭です。立春の節気と重なる時期に行われ、農作業の始まりを告げる重要な祭礼として古くから続いてきました。「としごいのまつり」の名は「年(穀物)を祈る祭り」を意味し、稲作の実りを祈る春の重要な節目となっています。
夏越の大祓(6 月 30 日)|半年の罪穢を祓う
夏越の大祓(なごしのおおはらえ)は、毎年 6 月 30 日に全国の多くの神社で営まれる、年の前半 6 ヶ月で身についた罪穢(つみけがれ)を祓い清める神事です。茅の輪(ちのわ)をくぐる行事で知られ、夏至の節気の直後に行われます。続く 12 月 31 日の年末大祓と対をなす、年中行事の重要な節目です。
神嘗祭(10 月 15-17 日)|新穀を伊勢神宮に奉る祭礼
神嘗祭(かんなめさい)は、毎年 10 月 15 日から 17 日にかけて伊勢神宮で営まれる、その年の新穀を天照大御神に奉る祭礼です。16 日夜と 17 日未明には由貴大御饌(ゆきのおおみけ)が行われ、神田で収穫された新米などが供えられます。17 日正午には、天皇陛下が遣わされた勅使による奉幣が行われます。寒露の節気と重なる時期で、稲の収穫感謝として神宮で最も古い由緒を持つ祭祀の一つです。詳しくは神嘗祭と新嘗祭の違いを参照してください。
新嘗祭(11 月 23 日)|宮中と全国の神社で新穀を捧げる
新嘗祭(にいなめさい)は、毎年 11 月 23 日に宮中で行われ、全国の多くの神社でも新穀を神々に捧げて感謝する祭礼として営まれます。小雪の節気と重なる時期で、天皇がその年の新穀を天神地祇に供えて感謝の奉告を行います。現代では同日が勤労感謝の日として祝日になっていますが、神社では古来の稲作感謝祭の意味が今も生きています。
年末大祓(12 月 31 日)|1 年の罪穢を祓い清める
年末大祓(としのみおおはらえ)は、毎年 12 月 31 日に全国の多くの神社で営まれる、1 年の罪穢を祓い清める神事です。冬至の節気の直後、新年を迎えるにあたって心身を清める儀礼で、夏越の大祓と対をなす重要な祭祀です。
神社の祭りの格付け(大祭・中祭・小祭という重みの目安)
ここまで挙げてきた祭りは、神社本庁の恒例祭の解説によれば、重みに応じて大祭・中祭・小祭という段階で位置づけられています。同じ季節の行事でも、その神社にとって特に重い祭りなのか、日常に近い祭りなのかを見分ける手がかりになります。本記事で触れた主な祭りを、この段階で並べると次のようになります。
| 格付け | 主な祭り(日付は目安) |
|---|---|
| 大祭 | 祈年祭(2/17)・新嘗祭(11/23)・例祭など、その神社の重い祭り |
| 中祭 | 歳旦祭(1/1)・神嘗奉祝祭(10/17)・明治祭(11/3)など |
| 小祭 | 月次祭(つきなみさい)など、日常的に営まれる祭り |
表を見るときに一つ注意したいのが、伊勢神宮の神嘗祭と、全国の神社が行う神嘗奉祝祭の違いです。神嘗祭は伊勢神宮で 10 月 15 日から 17 日にかけて営まれる神宮独自の重い祭りで、これに合わせて各地の神社が 10 月 17 日に行うのが神嘗奉祝祭(中祭)にあたります。名前は似ていますが、営む主体と位置づけが異なります。なお、6 月 30 日と 12 月 31 日の大祓は、神社本庁の解説では「恒例式」とされ、大祭・中祭・小祭の分類は付されていません。ここでの区分は恒例祭の解説にもとづく目安で、このほかにも諸祭があります。
2026 年の二十四節気と五節句(当年カレンダー)

2026 年の主要な節気・節句・雑節の日付を、暦に沿って整理します。実際の日付は太陽運行を基準とするため、年により ±1 日程度の変動があります。最新の正確な日付は国立天文台暦計算室などの一次資料でご確認ください。
2026 年の二至二分(立春・春分・夏至・冬至)
2026 年の二至二分にあたる主な節気は、それぞれ次の日付です。これらの日は太陽運行の節目で、神社祭祀暦の重要な区切りでもあります。
立春は 2026 年 2 月 4 日(水)です。暦のうえで春の始まりとされる日で、前日の節分(2/3)と対をなします。
春分は 2026 年 3 月 20 日(金)です。昼夜ほぼ等しい日で、春の彼岸の中日にあたります。
夏至は 2026 年 6 月 21 日(日)です。1 年で最も昼が長い日で、夏越の大祓(6/30)の直前にあたります。
冬至は 2026 年 12 月 22 日(火)です。1 年で最も昼が短い日で、年末大祓(12/31)の直前にあたります。
2026 年の二十四節気 一覧
| 季節 | 2026 年の日付(国立天文台暦要項より) |
|---|---|
| 春 | 立春 2/4・雨水 2/19・啓蟄 3/5・春分 3/20・清明 4/5・穀雨 4/20 |
| 夏 | 立夏 5/5・小満 5/21・芒種 6/6・夏至 6/21・小暑 7/7・大暑 7/23 |
| 秋 | 立秋 8/7・処暑 8/23・白露 9/7・秋分 9/23・寒露 10/8・霜降 10/23 |
| 冬 | 立冬 11/7・小雪 11/22・大雪 12/7・冬至 12/22・小寒 1/5・大寒 1/20 |
2026 年の五節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)
五節句は新暦の固定日で、2026 年は人日 1/7(水)・上巳 3/3(火)・端午 5/5(火)・七夕 7/7(火)・重陽 9/9(水)です。各節句の意味と過ごし方は本記事の H2-04 で詳しく解説しています。
2026 年の主要な雑節(節分・彼岸・土用)
2026 年の主要な雑節は、節分が 2 月 3 日(火、立春前日)、春の彼岸が 3 月 17 日(火)〜23 日(月)、秋の彼岸が 9 月 20 日(日)〜26 日(土)、夏の土用入りが 7 月 20 日(月)です。2026 年夏の土用の丑の日は 7 月 26 日(日)で、鰻を食べる風習が広く知られていますが、古くは季節の変わり目として意識され、土を動かす作業を慎む期間ともされました。
よくある質問(FAQ)
- 二十四節気と五節句はどう違うのですか?
- 二十四節気は太陽の動きを基準に 1 年を 24 等分した季節の指標で、立春・春分・夏至・冬至などの区切りを示します。一方、五節句は 1 月 7 日(人日)・3 月 3 日(上巳)・5 月 5 日(端午)・7 月 7 日(七夕)・9 月 9 日(重陽)の奇数日に行われる年中行事で、中国の陰陽思想に由来する厄払いの節目です。両者は別の体系ですが、ともに日本の季節を表す暦として古くから親しまれてきました。
- 七十二候(しちじゅうにこう)とは何ですか?
- 七十二候は二十四節気の各節気をさらに初候・次候・末候の 3 つに分け、約 5 日ずつ自然の様子を表現した暦です。「東風解凍(はるかぜ こおりをとく)」「魚上氷(うお こおりをいずる)」のように、その時期の気候や動植物の様子が短い言葉で表されます。江戸時代には渋川春海が日本の風土に合わせた本朝七十二候を作成し、その後、明治期の改訂を経て、現在一般に紹介される七十二候へとつながっています。
- 雑節(ざっせつ)とは何ですか?
- 雑節とは、二十四節気・五節句以外で季節の変わり目の目安となる日の総称です。日本の気候や農事・生活に合わせて重視されてきた補助的な暦日で、節分(2/3 頃)・彼岸(春分・秋分の前後 3 日)・八十八夜(5/2 頃)・入梅(6/11 頃)・半夏生(7/2 頃)・土用(年 4 回)・二百十日(9/1 頃)などがあります。
- 二十四節気は神社の祭礼とどう関係がありますか?
- 神社の祭祀暦は、二十四節気や雑節が示す季節感と重なりながら営まれてきました。春の祈年祭(2 月、豊作祈願)・夏越の大祓(6/30)・神嘗祭(10 月 15-17 日、伊勢神宮)・新嘗祭(11/23、新穀の感謝)・年末大祓(12/31)など、神社の主要な祭礼は二十四節気・雑節と同じ季節感のなかで受け止められてきました。稲作を中心とした日本の年間サイクルが、暦と祭祀の両方を支えています。
- なぜ五節句は奇数の重なる日に行われるのですか?
- 中国の陰陽思想では奇数は陽数(縁起の良い数)とされ、奇数が重なる日は陽が極まって逆に不吉とされました。そのため、もともとは奇数の重なる日に邪気を払う行事を行ったのが五節句の起源です。日本では江戸時代の初期に幕府が「式日」として定め、人日(1/7)・上巳(3/3)・端午(5/5)・七夕(7/7)・重陽(9/9)の 5 つの節句が公式の年中行事となりました。
- 二十四節気は旧暦ですか、新暦ですか?
- 二十四節気は、月の満ち欠けを数える旧暦そのものではなく、太陽が黄道上のどこにあるか(太陽黄経)で決まる季節の指標です。月を基準にする旧暦(太陰太陽暦)の側が、季節とのズレを直すために二十四節気を取り込んでいました。現在の新暦(グレゴリオ暦)でも二十四節気は太陽の動きを基準に日付が示されるため、春分や秋分などは年によって前後します。
- 「立春」などの「立」はどういう意味ですか?
- 立春・立夏・立秋・立冬の「立」は、その季節が「立つ」=始まる、という意味です。暦のうえで春・夏・秋・冬が始まる日を表しますが、太陽の動きをもとにしているため、実際の気候より少し早い時期にあたります。立秋(8 月 7 日頃)がまだ暑いのはそのためです。
- 「節句」と「節分」はどう違うのですか?
- 節句は、人日(1/7)・上巳(3/3)・端午(5/5)・七夕(7/7)・重陽(9/9)という年 5 回の年中行事の節目で、中国の陰陽思想に由来する厄払いが日本の風習と結びついたものです。一方の節分は本来「季節を分ける日」の意味で、立春・立夏・立秋・立冬それぞれの前日を指しました。現在は特に立春の前日(2 月 3 日頃)だけを節分と呼ぶのが一般的です。節句は「季節の節目の行事」、節分は「季節の変わり目の前日」を指す言葉で、由来も役割も別のものです。
- 二十四節気の日付は誰がどう決めているのですか?
- 日本では国立天文台が太陽の位置(太陽黄経)をもとに算出し、毎年 2 月に翌年の暦要項として官報に載せることで正式に定まります。立春などの多くは年によって±1 日程度動く一方、春分の日・秋分の日は月日をあらかじめ固定せず、この暦要項ではじめてその年の日付が決まる運用が続いています。国が定める年中行事のなかで、今も天文計算で動く日として扱われている数少ない例です。
- 明治の改暦で、神社のお祭りの日付はどう変わったのですか?
- 明治 6 年(1873 年)の改暦では、祭りが一律に同じやり方で新暦へ移されたわけではなく、祭りごとに違う経緯をたどったとされます。神嘗祭はいったん新暦 9 月 17 日に移されたのち、稲の生育に合わせて明治 12 年(1879 年)に 10 月 17 日へ改められたと伝えられます。新嘗祭は、もともと旧暦 11 月の卯の日という動く日でしたが、改暦後の新暦 11 月の二番目の卯の日にあたった 11 月 23 日が選ばれ、以後この日に固定されたとされます。祈年祭は、古い記録では 2 月 4 日、現在は 2 月 17 日に行われています。細かな経緯には二次的な資料に依る部分もあります。
二十四節気と五節句を理解するための要点
二十四節気と五節句は、日本の季節の暦を支える二つの体系です。二十四節気は太陽の動きを基準に 1 年を 24 等分した季節の指標で、二至二分(冬至・夏至・春分・秋分)と四立(立春・立夏・立秋・立冬)の八節を骨格に、各季節を 6 つに分けた構造を持ちます。七十二候はそれをさらに 3 つに分けた約 5 日ずつの自然観察暦です。
五節句は人日(1/7)・上巳(3/3)・端午(5/5)・七夕(7/7)・重陽(9/9)の奇数日に営まれる年中行事で、中国の陰陽思想に由来する厄払いの行事が日本固有の風習と融合したものです。江戸幕府の「式日」として定められて以降、武家と庶民の両方に広く親しまれてきました。雑節(節分・彼岸・八十八夜・土用・二百十日など)は二十四節気・五節句以外で、日本の気候や農事・生活に合わせて重視されてきた補助的な暦日です。
これらの暦は、神社の祭祀暦とも季節感を共有しながら営まれてきました。春の祈年祭・夏越の大祓・神嘗祭・新嘗祭・年末大祓は、稲作を中心とした年間サイクルを季節の節目に重ねて刻んできた重要な祭礼です。明治 6 年(1873 年)の新暦改暦により日付の感覚は変化しましたが、二十四節気・五節句・雑節は今も日本の暮らしと祭祀の両方を支える季節の指標として親しまれています。
参考文献・参照リンク
一次・公的資料
- 国立天文台暦計算室 こよみ用語解説 二十四節気
- 国立天文台 暦Wiki 七十二候
- 国立国会図書館 日本の暦
- 福岡県神社庁 暦について
- 大崎八幡宮 暦の知識 二十四節気と雑節
- 伊勢神宮 祈年祭・新嘗祭
- 伊勢神宮 神嘗祭
- 神社本庁 恒例祭
- 国立天文台暦計算室 春分の日・秋分の日の決め方
- 内閣府 「国民の祝日」について
