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熱田神宮|草薙神剣とヤマトタケルの物語が眠る三種の神器の社

ivory washi 背景に painterly な大楠と布で包まれた直刀のシルエット、白蛇の小さな影、奥に神明造本宮のシルエット、タイトル「熱田神宮と草薙剣」を上部左寄りに配したアイキャッチ画像

名古屋市の中心からほど近い熱田の杜に鎮まる熱田神宮は、三種の神器のひとつ「草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)」を御神体としてお祀りする神社で、古くから伊勢神宮に次ぐ格式の社として崇敬を集めてきました。約6万坪の境内には樹齢千年を超える大楠がそびえ、織田信長が桶狭間出陣の必勝祈願に奉納したと伝わる信長塀が、今も本宮周辺にその姿をとどめています。

この記事では、熱田神宮の御祭神と創祀の由緒、スサノオからヤマトタケル・ミヤズヒメへと受け継がれた草薙神剣の物語、熱田大神を中心とする御祭神の構成、信長塀をはじめとする境内の見どころ、そして参拝の流れまで、熱田神宮公式の御由緒や名古屋市公式観光、愛知県公式観光などを主な手がかりに整理します。

この記事でわかること
項目内容
テーマ熱田神宮の御祭神・由緒・草薙神剣の物語
関連する神話スサノオ・天照大神・日本武尊の神話
見どころ信長塀・大楠・別宮八剣宮・上知我麻神社
参考情報熱田神宮公式・名古屋市公式観光・愛知県公式観光
ivory washi 背景に painterly な熱田神宮の杜と一の鳥居、奥に神明造本宮のシルエット、朝の光が差し込む構図、神宮の全景を象徴する画像
目次

熱田神宮とはどんな神社か

熱田神宮を知るうえで、まず御祭神、創祀の由緒、境内の規模を押さえておきましょう。

三種の神器を祀る熱田の社

熱田神宮の御祭神は「熱田大神(あつたのおおかみ)」と申し上げます。熱田神宮の御由緒では、熱田大神とは三種の神器のひとつ「草薙神剣」を御霊代(みたましろ)・御神体としてお祀りする天照大神のことだと説明されています。熱田神宮公式の御由緒では、伊勢の神宮に次ぐ格別に尊いお社として、古くから皇室をはじめ多くの人々から崇敬を集めてきたと伝えられます。

創祀の由緒と社殿の整備

熱田神宮の御由緒では、第12代景行天皇の御代に、日本武尊(ヤマトタケル)は草薙神剣を尾張のミヤズヒメ(宮簀媛命)のもと(現在の名古屋市緑区大高町火上山)に留め置かれたまま、伊吹山の悪神を討伐に向かわれ、伊勢国の能褒野(のぼの・現在の三重県亀山市付近)でお亡くなりになりました。お妃である宮簀媛命は、神剣をここ熱田の地にお祀りになられたと伝えられ、これが熱田神宮の創祀とされます。熱田神宮公式では創祀から約1900年と説明されており、社殿整備の時期については文献・伝承に諸説があります。

約6万坪の境内と摂社末社

熱田神宮の境内は約6万坪に及び、名古屋市内とは思えないほど深い杜が広がります。境内には本宮をはじめ、別宮1社、摂社8社、末社19社が祀られ、境外の摂社4社・末社12社とあわせると、別宮1社・摂社12社・末社31社になります。境内をめぐるだけでも長い参拝のひとときを過ごせます。境内には樹齢千年を超える大楠や、織田信長が桶狭間の戦いの必勝祈願をして奉納したと伝わる「信長塀」など、長い歴史を物語る史跡が点在しています。

項目内容
御祭神熱田大神(草薙神剣を御霊代とする天照大神)
相殿神天照大神・素戔嗚尊・日本武尊・宮簀媛命・建稲種命(五神さま)
創祀第12代景行天皇の御代(公式では約1900年)
境内約6万坪・別宮1社/摂社12社/末社31社(境内外あわせて)
格式伊勢の神宮に次ぐ格別に尊いお社(熱田神宮公式)
ivory washi 背景に painterly な和紙の地図風表現、出雲から伊勢を経て尾張に至る神剣の旅路を象徴する細い線と社のシルエット、中央に布で包まれた直刀の象徴を配した構図

草薙神剣の物語(スサノオから熱田まで)

熱田神宮を語るうえで欠かせないのが、御神体としてお祀りされている草薙神剣の物語です。日本神話のなかで、神剣は出雲・伊勢・尾張を結ぶ長い旅路をたどります。

スサノオがヤマタノオロチから取り出した神剣

『古事記』『日本書紀』では、出雲国に降り立った素戔嗚尊(スサノオ)が、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した際に、大蛇の尾から不思議な剣を取り出したと伝えられます。スサノオはこの剣を、姉である天照大神に献上しました。これが、のちに「草薙神剣」または「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」と呼ばれる神剣の初出です。スサノオとヤマタノオロチの神話のなかで、神剣がどのように現れたかが詳しく語られています。

伊勢神宮からヤマトタケルへ授けられる

『古事記』『日本書紀』などの伝承では、神剣はその後、伊勢神宮の倭姫命(ヤマトヒメ)のもとに納められ、東国征討に向かう日本武尊(ヤマトタケル)授けられたと語られます。倭姫命は天照大神を伊勢にお祀りした皇女として知られ、神剣は東征に向かう日本武尊を支える神威として、物語のなかに描かれています。

「草薙」の名の由来

『日本書紀』では、相模国に至ったヤマトタケルが、国造に欺かれて野原で火を放たれた際、神剣で周囲の草を薙ぎ払い、迎え火を放って難を逃れたと伝えられます。この出来事から、神剣は「草薙の剣」と呼ばれるようになったと『日本書紀』は記しています。『古事記』もほぼ同じ伝承を伝えており、神剣の名の由来として広く知られています。

ミヤズヒメに託された神剣

東征を終えたヤマトタケルは、尾張国でミヤズヒメ(宮簀媛命)と結ばれ、その後、伊吹山の悪神を討伐に向かわれる際、神剣をミヤズヒメのもとに留め置いたと伝えられます。ヤマトタケルは伊吹山で深手を負い、伊勢国の能褒野で命を落とされました。残されたミヤズヒメは、神剣を熱田の地にお祀りし、これが熱田神宮の創祀につながったとされます。出雲・伊勢・尾張を結ぶ神剣の物語が、熱田で結ばれたのです。

段階場所出来事
1. 神剣の出現出雲国スサノオがヤマタノオロチの尾から取り出す
2. 天上への献上高天原スサノオが姉アマテラスに献上
3. 伊勢への奉斎伊勢神宮倭姫命のもとに納められる
4. ヤマトタケルへ東国へ向かう途中倭姫命が甥のヤマトタケルに授ける
5. 「草薙」の名相模国草を薙いで難を逃れたことから命名
6. 熱田での奉斎熱田ミヤズヒメが神剣を熱田に祀る
ivory washi 背景に painterly な火打石・布で包まれた直刀・古い和紙の巻物の静物配置、背景に painterly な萱原と尾張の杜が重なる構図、ヤマトタケル東征の伝承を象徴

ヤマトタケルとミヤズヒメ

熱田神宮の創祀の中心にいるのは、ヤマトタケルと、その妃であるミヤズヒメ(宮簀媛命)です。二柱は熱田神宮の相殿神としても祀られ、神宮と深い縁で結ばれています。

日本武尊(ヤマトタケル)の人物像

日本武尊は、第12代景行天皇の皇子で、『古事記』『日本書紀』に登場する英雄的な皇子として描かれます。西国の熊襲征討、東国の蝦夷征討と、辺境平定の旅を担い、ヤマト王権の版図を広げる物語の中心人物として描かれています。とりわけ東征の途上で草薙神剣を授けられ、各地で困難を乗り越えていく姿は、日本神話のなかでもよく知られた英雄譚です。

ミヤズヒメ(宮簀媛命)と尾張氏

ミヤズヒメは、尾張国造(尾張氏)の家系に連なる女性で、ヤマトタケルが東征の途上で結ばれたと伝えられます。尾張氏は古代の有力豪族で、熱田の地を本拠地とし、後に熱田神宮の神主家として代々奉仕してきた家系です。建稲種命(タケイナダネ)は、宮簀媛命とともに尾張氏の遠祖として仰がれる神で、現在も熱田神宮の相殿に「五神さま」のおひと方として祀られています。

「剣を尊の御影として祀る」伝承

『尾張国風土記』の逸文には、伊吹山に向かう前のヤマトタケルが、ミヤズヒメに神剣を尊の御影(みかげ)として祀るように告げて出陣されたという趣旨の伝承が伝えられているとされます。神剣を御神体としてお祀りするという熱田神宮の祭祀の在り方は、この伝承につながるものとして長く受け止められてきました。ヤマトタケルが亡くなられた後、神剣は伊勢神宮に戻ることなく、ミヤズヒメと尾張氏が熱田の地で祀り続けたとされます。

ivory washi 背景に painterly な丸い鏡・勾玉・布で包まれた直刀の3つの神器を横並びに配し、それぞれの下に伊勢・皇居・熱田を示す薄い墨書きを添えた構図、三種の神器の所在を象徴

三種の神器と熱田の特異性

熱田神宮を理解するうえで、三種の神器のなかでの草薙神剣の位置と、熱田神宮が持つ特異な性格を押さえておきましょう。

三種の神器の構成

三種の神器とは、八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・草薙神剣(または天叢雲剣)の三つを指します。日本神話では、天孫降臨に際して天照大神が瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に授けられた神器とされ、歴代の天皇に代々伝わる象徴的な宝として位置づけられてきました。

神器伝えられている場所
八咫鏡伊勢神宮の御正殿
八尺瓊勾玉皇居
草薙神剣熱田神宮

八咫鏡=伊勢、草薙神剣=熱田

熱田神宮の御由緒では、八咫鏡は伊勢神宮の御正殿にお祀りされ、草薙神剣は熱田神宮にお祀りされていると伝えられます。八尺瓊勾玉は皇居に伝えられているとされ、三つの神器がそれぞれ別の場所に伝えられている形になっています。神社建築の見方でも触れているとおり、現在の熱田神宮の社殿は、伊勢神宮の正殿と同じく神明造を基調とする形式で整えられています。

御神体としての神剣(壇ノ浦の伝承と諸説)

草薙神剣にまつわる伝承は古来からさまざまに語り継がれてきました。『平家物語』巻第十一「剣」の段では、寿永4年(1185年)の壇ノ浦の戦いで、二位尼が安徳天皇を抱いて入水された際、腰に差していた神剣が海に沈んだと伝えられます。

それでは、神剣は海に沈んでしまったのでしょうか。

壇ノ浦の場面で語られてきた剣は、宮中に伝えられて皇位継承の儀礼で重んじられた形代(かたしろ)にまつわるものと受け止められてきました。熱田神宮の御由緒はこれと区別して、草薙神剣を創祀に関わる御神体として、熱田の地に祀り伝えてきたと説明しています。

三種の神器をめぐる議論は古来から繊細な扱いがなされてきた経緯があり、本記事もこの御由緒に沿って整理しています。

ivory washi 背景に painterly な布で包まれた直刀を中央に配し、その周囲に5つの社のシルエットを同心円状に配置、それぞれに五神の名が薄い墨書きで示された構図、熱田大神と五神さまの配置を象徴

熱田大神と相殿神「五神さま」

熱田神宮にお祀りされている神々は、主祭神の熱田大神と、相殿の五柱の神々から成ります。いずれも草薙神剣にゆかりの深い神々で、神宮の祭祀の核を成しています。

主祭神 熱田大神

主祭神の熱田大神は、熱田神宮の御由緒では「草薙神剣を御霊代としてよらせられる天照大神」と伝えられます。皇室の御祖神とされる天照大神を、神剣という御霊代を通してお祀りするという、熱田神宮ならではの祭祀の在り方が示されています。

相殿の五神さま

本宮の相殿には、草薙神剣にゆかりの深い五柱の神々が「五神(ごしん)さま」と呼ばれてお祀りされています。

  • 天照大神(あまてらすおおかみ) 皇室の御祖神、神剣の最初のおさまる先
  • 素戔嗚尊(すさのおのみこと) ヤマタノオロチから神剣を取り出された神
  • 日本武尊(やまとたけるのみこと) 神剣を授けられ東征をなされた神
  • 宮簀媛命(みやすひめのみこと) ヤマトタケルのお妃、神剣を熱田に祀られた神
  • 建稲種命(たけいなだねのみこと) 宮簀媛命とともに尾張氏の遠祖として仰がれる神

宮簀媛命と建稲種命の二柱は、尾張氏の遠祖として仰がれている神々で、熱田神宮の創祀と尾張の地の歴史を結ぶ存在として大切にされてきました。

別宮と境内社の神々

本宮のほかに、別宮として八剣宮(はっけんぐう)があり、その御祭神や建築様式、年間の祭典・神事に至るまで全て本宮に準じて執り行われる格の高い神社として位置づけられています。また、境内社の上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)は「知恵の文殊さま」として信仰され、赤ちゃんの命名や学業成就の祈りで参拝者が訪れる社として知られています。

ivory washi 背景に painterly な信長塀の近接構図、瓦と漆喰の縞模様、土と石灰の質感、奥に熱田の杜のシルエット、戦国期の築地塀の重厚な趣を象徴

信長塀が語る歴史

熱田神宮の本宮の周囲を取り囲む土塀「信長塀」は、戦国期の信仰と政治を伝える貴重な遺構です。源頼朝の崇敬や徳川家の庇護とあわせて、熱田神宮が歴代の武家からどのように崇められてきたかを物語っています。

桶狭間の戦いと信長の必勝祈願

永禄3年(1560年)、織田信長は今川義元との合戦を前に、熱田神宮で必勝祈願を行ったと伝えられます。約2,500の手勢で、約2万5,000とも伝わる今川軍に立ち向かった信長は、桶狭間で義元を討ち取り、戦国大名としての地位を一気に確立しました。信長は勝利のお礼として、本宮の周囲に築地塀(ついじべい)を奉納し、これが現在「信長塀」と呼ばれて伝わっています。

日本三大土塀の一つ

信長塀は、土と石灰を油で練り固めた瓦積み・漆喰塗りの伝統的な工法で築かれており、戦国期の築地塀の技術を今に伝えています。

日本三大土塀所在地
信長塀熱田神宮(愛知県名古屋市)
大練塀(おおねりべい)西宮神社(兵庫県西宮市)
太閤塀三十三間堂(京都府京都市)

日本三大土塀のひとつに数えられるとされ、神社建築の周辺施設としてはひときわ重厚な趣をたたえています。

源頼朝の崇敬と尾張・徳川の庇護

熱田神宮は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて源氏との縁が深く、源頼朝の母・由良御前が熱田大宮司家の出身であったと伝えられます。頼朝も熱田の地で生まれたとする伝承があり、鎌倉幕府の成立後も熱田神宮は厚い崇敬を受けました。江戸時代には尾張徳川家が熱田の地を治め、熱田神宮の祭祀を厚く庇護したと伝えられます。歴代の武家から崇敬を集めてきた点は、熱田神宮の格式を支える歴史的な背景となっています。

ivory washi 背景に painterly な熱田神宮の一の鳥居、参道の両側に深い杜、遠景に大楠の painterly な樹影、朝の光が差し込む構図、参拝の入口を象徴

境内の見どころと参拝の流れ

熱田神宮の境内には、本宮や信長塀のほかにも、多くの見どころが点在しています。長い参道をゆっくり歩きながら、神宮の歴史と杜の静けさを味わうことができます。

表参道と一の鳥居

熱田神宮の正門となる南門には、大きな一の鳥居が建っています。一の鳥居から本宮までの参道は、樹齢千年を超える大楠や深い杜のなかを抜けるおよそ400メートルの道で、参道のあちこちに摂社・末社や宝物館が点在しています。境内を歩く時間そのものが、参拝の大切なひとときとなります。

樹齢千年の大楠と白蛇の伝承

境内の楠のなかでも、ひときわ大きいのが「大楠」と呼ばれる七本の楠で、いずれも樹齢千年を超えると伝えられます。なかでも本宮近くの大楠は弘法大師お手植えと伝わり、幹の空洞には白蛇が住まうと言われてきました。白蛇は神様のお使いとも伝えられ、参拝者に長く親しまれている存在です。

別宮八剣宮と上知我麻神社

南神苑には、本宮に準じた格式を持つ別宮の八剣宮と、境内社の上知我麻神社が並びます。八剣宮は元明天皇の和銅元年(708年)に剣を新たに鋳造して奉納したことに始まると伝えられ、本宮と同様の祭祀が執り行われる別格の社です。上知我麻神社は「知恵の文殊さま」とも呼ばれ、商売繁盛や学業成就の祈りで参拝者が訪れる神社として親しまれてきました。

参拝の流れと作法

参拝の基本は一般的な神社参拝と同じで、手水舎の作法二礼二拍手一礼を意識すれば十分です。一の鳥居をくぐる前に軽く一礼し、表参道をゆっくり進み、手水舎で手と口を清めてから本宮へお参りします。本宮の御朱印のほか、別宮八剣宮・上知我麻神社でもそれぞれ御朱印が授与されています。ご祈祷の受付は午前8時30分から午後4時までです。

授与所・御朱印の受付時間は変更される場合があるため、参拝前に熱田神宮公式の案内をご確認ください

南門(正門)から入る場合の順路の一例を表にまとめました。この記事で紹介した見どころを一巡りできる流れです。

順路場所ここで見ること・すること
1南門・一の鳥居くぐる前に軽く一礼
2表参道(約400メートル)深い杜と摂社末社、樹齢千年を超える大楠(白蛇の伝承)
3手水舎手と口を清める
4本宮二礼二拍手一礼で参拝、御朱印の拝受
5信長塀本宮周辺で桶狭間必勝祈願ゆかりの築地塀を間近に見る
6南神苑(南門付近・帰路)別宮八剣宮と上知我麻神社に参拝、それぞれの御朱印も拝受できる

熱田祭(6月5日)と年間の祭礼

熱田神宮の年中行事のなかでもよく知られているのが、毎年6月5日に行われる「熱田祭(あつたまつり)」です。古くは「尚武祭(しょうぶさい)」とも呼ばれた本宮の例祭で、神事のあとには花火の奉納が行われることでも知られています。ほかにも、1月5日の「初えびす」や、毎月の月次祭、四季折々の祭典が執り行われ、神宮の祭祀の流れを伝えています。

参拝メモ

境内には自然林に近い杜が広がり、野鳥や草木に出会えるのも熱田神宮ならではの魅力です。ゆっくりと時間を取って、本宮への参拝と境内の散策をあわせてお楽しみください。最新の祭典情報や授与所の案内は、熱田神宮公式で確認するのがおすすめです。

よくある質問

熱田神宮の創建はいつですか?

熱田神宮の御由緒では、第12代景行天皇の御代に日本武尊(ヤマトタケル)が伊吹山で亡くなられた後、お妃である宮簀媛命が草薙神剣をここ熱田の地にお祀りになったのが創祀とされます。熱田神宮公式では創祀から約1900年と説明されており、社殿整備の時期については文献・伝承に諸説があります。創祀以来、熱田神宮公式の御由緒では伊勢の神宮に次ぐ格別に尊いお社として、皇室をはじめ歴代の武家からも厚い崇敬を受けてきたと伝えられます。

主祭神はどなたですか?

熱田神宮の主祭神は「熱田大神」と申し上げ、御由緒では三種の神器のひとつである草薙神剣を御霊代・御神体としてお祀りする天照大神のことだと伝えられます。相殿には天照大神・素戔嗚尊・日本武尊・宮簀媛命・建稲種命の五柱が「五神さま」として祀られており、いずれも草薙神剣にゆかりの深い神々です。

草薙神剣はどんな神剣ですか?

草薙神剣は別名「天叢雲剣」とも呼ばれ、八咫鏡・八尺瓊勾玉とあわせて三種の神器のひとつに数えられる神剣です。日本神話では、素戔嗚尊が出雲国でヤマタノオロチを退治した際、大蛇の尾から見つかったと伝えられます。後に伊勢神宮の倭姫命から日本武尊に授けられ、東征の途上で野原を焼かれた際に剣で草を薙ぎ払って難を逃れたことから「草薙の剣」と呼ばれるようになったと『古事記』『日本書紀』に伝えられています。

草薙神剣は壇ノ浦の戦いで海に沈んだのではないですか?

『平家物語』巻第十一「剣」の段では、寿永4年(1185年)の壇ノ浦の戦いで、二位尼が安徳天皇を抱いて入水された際に神剣が海に沈んだと語られています。この伝承の剣は、宮中に伝えられて皇位継承の儀礼で重んじられた形代(かたしろ)にまつわるものと受け止められてきました。熱田神宮の御由緒はこれと区別して、草薙神剣を創祀に関わる御神体として、熱田の地に祀り伝えてきたと説明しています。三種の神器をめぐる話題は古くから繊細に扱われてきたため、本記事では熱田神宮の御由緒に沿って整理しています。

なぜ熱田神宮は伊勢神宮に次ぐ格式の神社とされるのですか?

熱田神宮公式の御由緒では、三種の神器のうち八咫鏡を伊勢神宮にお祀りし、草薙神剣を熱田神宮にお祀りすることから、伊勢の神宮に次ぐ格別に尊いお社として説明されています。歴代の朝廷や、源頼朝・織田信長・徳川家など武家からも厚い崇敬を受け、神社建築や祭祀の規模においても古くから格式の高い神社として位置づけられてきました。律令体制下では「名神大社」として遇され、近代社格制度のもとでは官幣大社に列せられた歴史があります。

信長塀とはなんですか?

信長塀は、永禄3年(1560年)に織田信長が桶狭間の戦いの出陣に先立ち、熱田神宮で必勝祈願を行い、勝利を収めたお礼として奉納したと伝えられる築地塀です。土と石灰を油で塗り固める伝統的な工法による堅牢な塀で、本宮の周囲に現存しています。兵庫県の西宮神社「大練塀」、京都府の三十三間堂「太閤塀」とあわせて日本三大土塀のひとつに数えられるとされ、戦国期の神社崇敬の在り方を今に伝える歴史的な遺構となっています。

熱田神宮の見どころは?

熱田神宮の境内は約6万坪に及び、境内外をあわせて別宮1社、摂社12社、末社31社が祀られています。本宮・別宮八剣宮・上知我麻神社・樹齢千年を超える大楠・信長塀・宝物館・二十五丁橋などが代表的な見どころです。毎年6月5日の熱田祭(尚武祭)では、神事のあとに花火の奉納が行われることでも知られています。

熱田神宮へのアクセスは?

熱田神宮へは、名鉄名古屋本線「神宮前駅」から徒歩約3〜5分、JR東海道線「熱田駅」から徒歩約8分、地下鉄名城線「神宮西駅」または「伝馬町駅」から徒歩約7分です。境内には東門・南門・西門の3つの無料駐車場(合計約400台)があり、基本的に午後5時に閉門します。夜間の駐車場利用については変更されることもあるため、最新情報は熱田神宮公式や名古屋市公式観光サイトで確認できます。年末年始の参拝期間中は駐車場が利用できなくなるため、公共交通機関の利用が便利です。

まとめ

三種の神器のひとつ草薙神剣を御神体としてお祀りする熱田神宮は、日本武尊のお妃である宮簀媛命が神剣を熱田の地にお祀りされたという由緒から始まり、創建以来、伊勢神宮に次ぐ格式の神社として、皇室や歴代の武家から厚い崇敬を集めてきました。御祭神の熱田大神を中心に、相殿の五神さまとして天照大神・素戔嗚尊・日本武尊・宮簀媛命・建稲種命が祀られ、いずれも草薙神剣の物語に深く関わる神々です。

境内には樹齢千年を超える大楠や、織田信長が桶狭間の必勝祈願に奉納したと伝わる信長塀、別宮八剣宮や上知我麻神社など、長い歴史を物語る史跡が点在しています。スサノオとヤマタノオロチの神話から始まり、天照大神・素戔嗚尊・日本武尊へと連なる草薙神剣の物語が結ばれる場所として、熱田神宮の杜は今も静かに神剣を護り続けています。手水舎の作法二礼二拍手一礼を意識しながら、ぜひゆっくりと境内を歩いてみてください。

参考文献

歴史・学術参考

  • 三浦佑之『口語訳 古事記 神代篇』文春文庫
  • 戸部民夫『「日本の神様」がよくわかる本』PHP文庫

神社公式・自治体/文化財データベース

  • 熱田神宮公式(御由緒・御祭神・境内案内・祭典・信長塀)
  • 名古屋市公式観光「名古屋コンシェルジュ」(熱田神宮)
  • 愛知県公式観光ガイド「Aichi Now」(熱田神宮 熱田祭)
  • 文化遺産データベース/文化遺産オンライン

補助参考

  • 『古事記』(岩波文庫・倉野憲司校注)
  • 『日本書紀』(岩波文庫・坂本太郎ほか校注)

※ 本記事の画像はChatGPT 等の生成AIによる象徴的なイメージ画像です。実際の景観とは異なる場合があります。詳細は免責事項をご覧ください。

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この記事を書いた人

あやとき編集部は、40代の編集メンバーで運営しています。子を持つ親としても、一人の人間としても、暮らしに息づく神社との関わりを大切にしながら、全国の神社文化を丁寧に読み解いていきます。

神道や神社の奥深さを、専門用語に頼らず、どなたにも分かりやすい言葉でお届けします。読者の方と同じ目線で、共に学んでいく姿勢を基本としています。詳しくは運営者情報をご覧ください。

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