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春日大社|藤原氏の氏神と春日造の建築様式をやさしく解説

ivory washi 背景に painterly な御蓋山と春日大社境内の俯瞰図、奈良公園を歩く鹿の小さなシルエットと表参道の石燈籠の列、タイトル「春日大社と藤原氏」を上部左寄りに配したアイキャッチ画像

奈良公園の鹿と石燈籠の参道で知られる春日大社は、奈良時代に社殿が整えられて以来、藤原氏の氏神として、また全国およそ3000社の春日神社の本社として、長く崇敬を集めてきた神社です。世界遺産「古都奈良の文化財」のひとつにも数えられ、現代でも国内外から多くの参拝者が訪れます。

この記事では、春日大社の創建と藤原氏との関わり、春日造と呼ばれる独特の建築様式、鹿が神使とされる由緒、約3,000基の燈籠と祭礼、そして四柱の主祭神について、春日大社公式の由緒や奈良市観光協会公式、国指定文化財等データベースなどに沿って整理します。

この記事でわかること

  • 神護景雲2年(768年)の創建と藤原氏との関わり
  • 主祭神四柱(武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売神)
  • 春日造という独特の建築様式
  • 鹿が神使とされる由緒と「奈良のシカ」
  • 約3,000基の燈籠・春日祭・万燈籠
ivory washi 背景に painterly な御蓋山と奈良公園、朝の光が差し込む春日大社の表参道入口と楼門のシルエット、神社の全景を象徴する構図
目次

春日大社とはどんな神社か

春日大社を知るうえで、まず創建、御祭神、全国の春日社との関係を押さえておきましょう。

神護景雲2年(768年)の創建

春日大社の由緒では、神護景雲2年(768年)に御蓋山(みかさやま)の麓に四棟の社殿を建立したのが始まりとされます。平城京鎮護の神として崇敬されたと伝えられ、それに先立つ710年頃に鹿島神を御蓋山に迎えた伝承もあります。古都奈良の文化財として、1998年にユネスコの世界遺産にも登録されました。

主祭神 四柱の構成

春日大社の御本殿は、第一殿から第四殿まで横並びに鎮座する珍しい形式で、それぞれに異なる神が祀られています。

  • 第一殿:武甕槌命(たけみかづちのみこと) 常陸国・鹿島の神、藤原氏の守護神
  • 第二殿:経津主命(ふつぬしのみこと) 下総国・香取の神
  • 第三殿:天児屋根命(あめのこやねのみこと) 藤原氏の祖神、河内国・枚岡の神
  • 第四殿:比売神(ひめがみ) 天児屋根命の妻神

四柱は一般に「春日大神」とも総称されます。鹿島・香取の神を勧請し、藤原氏の祖神である天児屋根命と比売神を祀る構成に、春日信仰の特徴があります。

本殿御祭神由緒
第一殿武甕槌命常陸国・鹿島の神、藤原氏の守護神
第二殿経津主命下総国・香取の神
第三殿天児屋根命藤原氏の祖神、河内国・枚岡の神
第四殿比売神天児屋根命の妻神

全国春日神社の本社

春日大社は、全国およそ3000社の春日神社の本社として位置づけられています。各地では春日大神を勧請する形で、春日社・春日神社が広がっていきました。

世界遺産「古都奈良の文化財」で唯一の神社

春日大社は、1998年に登録された世界遺産「古都奈良の文化財」をつくる資産のひとつです。この世界遺産は八つの資産からできていますが、その中身を見ると、神社は春日大社ただひとつで、あとは東大寺・興福寺・元興寺・薬師寺・唐招提寺という五つの寺院と、春日山原始林、平城宮跡という顔ぶれです。

同じように神社と寺院がならぶ世界遺産でも、その組み合わせはさまざまです。たとえば「日光の社寺」は、東照宮と二荒山神社という二つの神社に、輪王寺という一つの寺院を合わせた二社一寺で、こちらは神社のほうが多い組み合わせです。奈良では、春日大社が寺院に囲まれた唯一の神社という立ち位置にあることも、この神社の性格をよく表しています。(八つの資産の内訳や社寺の数は、奈良市と日光市の公式情報にもとづく数え方です。)

ivory washi 背景に painterly な縦長の和紙短冊3〜4枚が縦に並び、中臣鎌足から藤原不比等への系譜が薄い墨書きで示されたインフォグラフィック、藤原氏の系譜を象徴

藤原氏との関係(氏神としての歴史)

春日大社を語るうえで欠かせないのが、奈良時代から平安時代にかけて栄華をきわめた藤原氏との関わりです。氏神としての春日大社は、藤原氏の隆盛とともに大きく整えられていきました。

中臣鎌足から藤原不比等へ

藤原氏の出自は、大化の改新で知られる中臣鎌足にさかのぼります。中臣鎌足は中臣氏の出身で、晩年に「藤原」の姓を賜りました。その子・藤原不比等の時代に藤原氏は政治的基盤を大きく固め、後の藤原氏隆盛へとつながっていきます。中臣氏はもともと祭祀を担う氏族で、天児屋根命を祖神とする系譜が伝えられています。

鹿島神を御蓋山に遷した由緒

春日大社の社伝では、和銅3年(710年)の平城京遷都の頃、藤原不比等が藤原氏の守護神である鹿島の武甕槌命を御蓋山に迎えたと伝えられます。その後、神護景雲2年(768年)に四棟の社殿が建てられ、現在につながる春日大社の姿が整いました。

平安時代の隆盛と興福寺との関係

平安時代に入ると、藤原氏は摂関政治のもとで朝廷の中枢を担い、その氏神を祀る春日大社も大きく隆盛していきます。また、奈良時代に藤原氏の氏寺として建立された興福寺と春日社は、平安・鎌倉時代に一体的な宗教圏を形成し、春日社・興福寺・春日山をめぐる信仰圏が広がりました。明治時代の神仏分離を経て、現在は神社・寺院として別の道を歩んでいますが、両者が奈良の宗教文化の中心に位置してきたことは変わりません。

四柱はすべて、よその土地から迎えた神

春日大社の神様は、もともと奈良の土地にいた神だと思っていた方もいるかもしれません。私も春日大社を調べるまではそう思っていました。でも四柱は、どれも別の土地から迎えられた神々です。武甕槌命は茨城の鹿島から、経津主命は千葉の香取から、天児屋根命と比売神は大阪の枚岡から招かれたと伝えられています。私はここに、春日大社という神社の面白さがあるのではないかと考えています。神社は、その土地に昔からいる神を祀る場所だと考えられがちです。けれど春日大社は、藤原氏が自分たちの信じる神々を各地から選んで、一つの社に集めた神社です。土地から生まれた神ではなく、人が選んで招いた神の集まり。そういう成り立ちの神社だと知ると、四棟が横に並ぶあの本殿の見え方も変わってくる気がします。

神を送り出した側は、春日との関わりをどう伝えているか

四柱がよその土地から迎えられた神だとすると、では神を送り出した側の神社は、春日大社との関わりをどう伝えているのでしょうか。ここには、少し面白い偏りがあります。武甕槌命を祀る鹿島神宮の公式の由緒は、国譲りの神話や東国の歩みが中心で、春日大社への分祀にはふれていません。経津主命を祀る香取神宮の公式は、香取の神をまつる各地の神社の一つとして春日大社の名を挙げてはいますが、いつ、どのように分けられたのかという経緯までは、由緒の中心には置いていません

いっぽうで、天児屋根命を送り出した河内の枚岡神社は、春日とのつながりを由緒にはっきり刻んでいます。枚岡神社は、その御分霊が春日大社へ勧請されたことから「元春日(もとかすが)」と呼ばれると伝えています。さらに枚岡神社の社伝では、宝亀9年(778年)に今度は春日から武甕槌命たちの御分霊を迎えて四殿になったと伝えられ、春日と枚岡のあいだには、神を送り、また迎えるという行き来が残っています。鹿島や香取が春日との関わりを由緒の中心に置かないのは、関係を否定しているのではなく、それぞれの神社が自分の御祭神と歩みを軸に由緒を編んでいるためです。同じ「春日へ神を送った社」でも、伝え方にこれだけの違いがあるのは、知っておくと興味ぶかいところです。

ivory washi 背景に painterly な春日造本殿の建築図解、切妻造・妻入の身舎の正面に庇が付き、屋根に千木と鰹木が置かれ、白木の柱が描かれた構図、春日造の建築様式を象徴

春日造の建築様式

春日大社の本殿は、独特の建築様式「春日造(かすがづくり)」を代表する建物として、広く知られています。大社造・神明造・住吉造などとともに、古式を伝える代表的な神社本殿形式の一つです。

春日造の特徴(切妻・妻入・正面庇)

春日造は、切妻造・妻入の身舎(もや)の正面に庇(ひさし)を付けた、一間社形式の本殿建築です。主な特徴は次のとおりです。

  • 屋根は切妻造(きりづまづくり)で、妻入(つまいり)と呼ばれる、三角形に見える側を正面に向ける配置
  • 身舎の正面にが付き、優雅な反りのある屋根がやさしく前方に張り出す
  • 屋根の上には千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)が置かれる
  • 身舎の柱は円柱、向拝(こうばい)の柱は角柱で構成される

四棟の本殿は国宝

春日大社の御本殿は第一殿から第四殿までの四棟があり、いずれも国宝に指定されています。国指定文化財等データベースでは、現在の本殿は文久3年(1863年)に造り替えられたものですが、春日造の代表例として古い形式をよく伝えていると評価されています。

式年造替の伝統

春日大社では古くから、御本殿をはじめとする社殿を一定の期間ごとに造り替える「式年造替(しきねんぞうたい)」の伝統が続いてきました。およそ20年に一度、御本殿を中心に、境内の諸社殿も修理・造替の対象となり、古い形が世代を超えて受け継がれていきます。式年遷宮で知られる伊勢神宮と比較されることもある、重要な造営の伝統です。

本殿と若宮社で、造替の回数は別に数える

春日大社の式年造替は、回数の数え方に少し注意すると分かりやすくなります。御本殿(第一殿から第四殿)の造替と、摂社である若宮神社の造替は、別々の回数で数えられていると公式には説明されています。御本殿の造替は2016年に通算第六十次を数えたと各観光機関が伝えており、若宮神社の造替はそれとは別に、令和3年から4年(2021年から2022年)に第四十三次を迎えました。

若宮神社の造替は、明治のころから20年ごとの周期が崩れていました。昭和39年(1964年)の造替から前回の平成14年(2002年・第四十二次)まで38年もの間が空き、令和の造替で、約120年ぶりに20年周期に戻ったと公式に記されています。「第六十次」という数字だけを見て春日大社全体の造替回数と受け取ると実際とずれてしまうので、本殿と若宮社は分けて数えるのがポイントです。

同じ場所で建て替え続けるということ

式年造替と伊勢神宮の式年遷宮は、どちらも二十年ほどごとに社殿を新しくする営みです。ただ、そのやり方は逆と言っていいほど違います。伊勢は隣の敷地に社殿を建て替えて、神様に新しいお住まいへ移っていただきます。春日大社は、場所を動かさず、同じところで社殿を直し続けます。私は、この違いに春日大社らしさが出ているのではないかと考えています。どちらが優れているという話ではありません。古い形を未来へ渡したいという願いは同じで、その渡し方が神社によって違うということです。春日大社のやり方は、社殿だけでなく、その社殿が建っている場所そのものを守ろうとする考え方に見えます。御蓋山のふもとという、この場所でなければならない。そういう気持ちが、動かさずに直し続けるやり方に表れているように思います。

ivory washi 背景に painterly な御蓋山と奈良公園、朝の光のなかに painterly な野生鹿数頭(うち1頭は白鹿)が静かに佇む構図、武甕槌命の白鹿伝承と神使としての鹿を象徴

鹿は神使(春日の象徴)

春日大社といえば、奈良公園を歩く野生の鹿の姿を思い浮かべる方も多いでしょう。この鹿が「神の使い」と位置づけられてきたのは、春日大社の由緒に深い理由があります。

武甕槌命と白鹿の伝承

春日大社の由緒では、平城京遷都の頃、武甕槌命が常陸国(茨城県)の鹿島から奈良の御蓋山へお遷りになる際、白い鹿に乗ってお越しになったと伝えられます。この伝承から、鹿は武甕槌命の神使(神様の使い)として、春日大社のもっとも大切な動物として位置づけられてきました。

鹿島から春日への神使

武甕槌命を祀る鹿島神宮は茨城県鹿島市にあり、現在も鹿との関わりを伝える神社です。神話のなかで武甕槌命は、葦原中国を譲り受けるために天降った神として知られ、その武勇と威厳が春日にも受け継がれています。白鹿伝承は、鹿島と春日を結ぶ由緒として語られています。

奈良の鹿は天然記念物

春日大社の付近で自然繁殖してきた野生の鹿は、現在「奈良のシカ」として国の天然記念物に指定されています。室町時代以降は鹿を殺めることが厳しく禁じられたとも伝えられ、奈良の人々によって長く大切に守られてきました。現在、奈良公園周辺には千頭を超える野生の鹿が生息しており、近年の調査では奈良公園内で約1,400頭台が確認されています。人間と野生の鹿が市街地で共生する光景は、全国的にも珍しい光景です。

🦌 奈良の鹿とふれあうときの心得

奈良の鹿は野生動物です。観光のときには、餌の与え方や接し方のマナーが奈良市観光協会から案内されています。神使として大切に守られてきた動物だからこそ、訪れる側も丁寧な配慮を心がけたいところです。

奈良の鹿は、いま誰が守っているのか

奈良公園を歩く鹿を、春日大社が飼育して管理している動物だと受け取っている方もいます。神使としての由緒はたしかに春日大社にありますが、いまの保護や管理のしくみを見ると、少し違った姿が見えてきます。

奈良の鹿は1957年に国の天然記念物に指定された野生動物で、日々の保護や管理は一般財団法人「奈良の鹿愛護会」が奈良県・奈良市とともに担っています。愛護会は1891年に発足した「春日神鹿保護会」を前身とし、1934年に法人化、1947年に現在の名称へと改められ、2013年に一般財団法人へ移ったと、愛護会の沿革では説明されています。

春日大社と鹿の結びつきそのものは、白鹿の伝承として今も生きています。いっぽうで、日々の世話や頭数の調査、けがをした鹿の保護は、この愛護会と奈良県・奈良市が中心になって行っています。「大社がいまも飼っている」というより、地域全体で守られている野生動物だと考えると、奈良の鹿の姿が分かりやすくなります。

ivory washi 背景に painterly な春日大社の参道、石燈籠が連なり painterly な火が灯される夜の光景、万燈籠の幻想的な美しさと約3000基の燈籠の歴史を象徴

燈籠と祭礼

春日大社の参道と境内に立ち並ぶ燈籠、そして年中行われる祭礼は、奈良の信仰文化を今に伝える大きな見どころです。

約3,000基の燈籠と寄進の歴史

春日大社の境内と参道には、石燈籠が約2,000基、釣燈籠が約1,000基、合わせて約3,000基の燈籠があります。これらは平安時代末期から現代に至るまで、春日の神を崇敬する人々が、家内安全や商売繁盛、武運長久、先祖の供養といったさまざまな祈りを込めて寄進してきたものです。一つひとつの燈籠に、長い年月の祈りが刻まれています。

春日祭(3月13日・三勅祭)

春日大社の最も重要な祭礼が、毎年3月13日に行われる「春日祭(かすがさい)」です。古くは「申祭(さるまつり)」とも呼ばれ、賀茂神社の葵祭、石清水八幡宮の石清水祭とともに「三勅祭(さんちょくさい)」のひとつに数えられます。勅祭とは、天皇のお使い(勅使)が遣わされて執り行われる祭祀のことで、日本でもごく限られた神社にのみ伝わる格式の高い祭礼です。

三勅祭という括りは、明治に整えられた

春日祭・葵祭・石清水祭の三つは、それぞれの神社の公式がたがいを三勅祭の仲間として挙げていて、括り方に食い違いはありません。ただ、三つを「三勅祭」として今のように並べる形が整ったのは、明治のはじめのことだとされます。

三つの祭には、それぞれに長い歴史があります。賀茂神社の葵祭は、大同2年(807年)に勅祭として行われたと伝わる古い祭です。春日祭は嘉祥2年(849年)ごろに始まったと伝えられ、現在の3月13日という日取りは明治19年(1886年)に定められたとされます。石清水八幡宮の石清水祭は、公式によれば天暦2年(948年)の勅使の差遣にさかのぼります。それぞれ始まりの時期は違いますが、明治17年(1884年)に古い儀式が整え直され、三勅祭として並び称されるようになったと、賀茂別雷神社は伝えています。格式の上下ではなく、それぞれの祭が歩んできた歴史の重なりとして見ておくとよさそうです。

万燈籠(節分・中元)

年に二度、すべての燈籠に火が灯される「万燈籠(まんとうろう)」の神事は、春日大社の風景がもっとも幻想的になる行事のひとつです。2月節分の日の「節分万燈籠」8月14日・15日の「中元万燈籠」の二回行われ、夜の境内が約3,000基の燈火に照らし出されます。この風景を目当てに、毎年多くの参拝者が訪れます。

祭礼日付特徴
春日祭(申祭)3月13日三勅祭の一つ、勅使を迎える格式高い祭礼
節分万燈籠2月節分約3,000基の燈籠に火を灯す
中元万燈籠8月14日・15日夏の万燈籠、最も多くの参拝者が訪れる

一斉に火を灯す行事は、いつ整えられたのか

境内におよそ3000基の燈籠が並ぶ万燈籠は、平安時代の昔から毎年途切れず続いてきた行事だと受け取られることがあります。ただ、春日大社の年中行事の説明を読むと、いま行われている形は、それほど古いものではないことがわかります。

燈籠そのものは、平安時代の末ごろから武士や貴族、庶民が祈りを込めて奉納してきた長い積み重ねです。いっぽうで、境内すべての燈籠に一斉に火を灯す現在の万燈籠は、明治から昭和にかけて再興された行事だと公式に説明されています。節分の夜の万燈籠は明治21年(1888年)に、中元の夜の万燈籠は昭和4年(1929年)に、それぞれ再興されたと記されており、中元万燈籠は現在、8月14日と15日の二日間に行われています。

火を灯して祈る信仰そのものは古くからあったとしても、年に二度、一斉に灯す年中行事としての形が定まったのは明治から昭和にかけてのことだと押さえておくと、あの燈火の風景の受け取り方も少し変わってきます。

行事の古さを、年数ではなく人の意思で見る

境内すべての燈籠に火が灯る万燈籠は、平安時代からずっと続いてきた行事だと思っていた方もいるかもしれません。私もそう思っていました。実際には、今の形になったのは明治から昭和にかけてだと春日大社が説明しています。ただ、燈籠に祈りを込めて奉納することや、火を灯して祈るという行いそのものは、ずっと昔からありました。私が大事だと感じるのは、一度途切れかけた行事を、もう一度やろうと決めて整え直した人たちがいたということです。行事の値打ちは、何年続いたかという長さだけで決まるものではないのではないか。私はそう考えています。

ivory washi 背景に painterly な4つの本殿のシルエットが横並びに配された構図、第一殿(武甕槌命)・第二殿(経津主命)・第三殿(天児屋根命)・第四殿(比売神)の四柱の配置を象徴

主祭神の四柱を詳しく知る

春日大社の四柱の神々は、鹿島・香取・枚岡などの由緒と深く結びついています。ここでは、それぞれの神の性格と信仰上の位置づけを見ていきます。

武甕槌命(鹿島の神)

武甕槌命は、古事記・日本書紀の神話で、葦原中国の国譲りに重要な役割を果たした神として描かれます。剣の神・武勇の神としての性格が強く、藤原氏の守護神として、また鹿島神宮(茨城県)の主祭神として広く信仰されてきました。春日大社では第一殿に祀られ、白鹿に乗って奈良に来たという伝承の中心となる神でもあります。

経津主命(香取の神)

経津主命は、日本書紀において武甕槌命と並んで国譲りの神話に登場する神で、剣の神・武勇の神としての性格を共有します。下総国(千葉県)の香取神宮の主祭神として知られ、春日大社では第二殿に祀られています。武甕槌命とともに、武門の人々から長く崇敬されてきました。

天児屋根命(藤原氏の祖神)

天児屋根命は、天岩屋戸の神話で祝詞を奏上した神として知られ、祭祀を司る神として位置づけられています。中臣氏・藤原氏の祖神とされ、春日大社では第三殿に祀られています。河内国(大阪府)の枚岡神社(ひらおかじんじゃ)が、天児屋根命を祀る古社として知られており、春日大社の信仰のルーツのひとつにあたります。

比売神

比売神は、第三殿の天児屋根命の后神として、第四殿に祀られています。神社の比売神は、夫婦神として男神とともに祀られる女神を指すことが多く、春日大社でも同様の位置づけです。武神二柱と祭祀に関わる神々を合わせ祀る構成から、藤原氏の信仰の広がりを読み取ることもできます。

ivory washi 背景に painterly な春日大社の二之鳥居のシルエット、両側に石燈籠の列が伸び、朝の光が差し込む構図、参拝の入口を象徴

参拝の見どころと作法

春日大社は世界遺産にして全国春日神社の総本社で、見どころが多くあります。背景を知っておくと、参拝の見え方が変わります。

表参道と二之鳥居

奈良公園から続く長い表参道は、両側に石燈籠が並ぶ杜の道です。途中には、春日大社の象徴のひとつである二之鳥居が建っており、ここを抜けると、参道の空気がいっそう静かに感じられます。鹿たちが参道のあちこちで草を食む風景も、奈良らしい光景のひとつです。

国宝殿の宝物

本殿西側にある「春日大社国宝殿」では、春日大社に伝わる国宝・重要文化財を中心とした宝物の数々を見ることができます。平安時代から鎌倉時代にかけての武具や奉納品が中心で、武門の信仰を集めてきた春日大社の歴史を感じられる施設です。

御朱印・若宮十五社めぐり

春日大社の境内には、本殿のほかにも多くの摂社・末社が点在します。とくに知られているのが、若宮神社をはじめとする十五社をめぐる「若宮十五社めぐり」で、夫婦大国社で受付をしたあと、一社ずつお参りして御朱印をいただくことができます。

参拝にかかる時間は、回り方によってかなり変わります。本殿周辺のお参りだけなら30分ほど、若宮十五社めぐりや国宝殿までゆっくり見て回るなら、2時間から3時間ほどを目安にしておくと、あわてずに過ごせます。

森のなかをゆっくり歩きながら、境内の広がりを感じられるのも春日大社参拝の魅力です。参拝の基本は一般的な神社参拝と同じで、手水舎の作法二礼二拍手一礼を意識すれば十分ですが、現地の案内がある場合はそれに従いましょう。

よくある質問

春日大社の創建はいつですか?

春日大社の由緒では、神護景雲2年(768年)に御蓋山の麓に四棟の社殿を建立したのが始まりとされます。それに先立つ和銅3年(710年)の平城京遷都の頃、藤原不比等が藤原氏の守護神である鹿島神(武甕槌命)を御蓋山に遷して祀ったのが、春日の神を奉斎する始まりだと伝えられています。

主祭神はどなたですか?

春日大社の主祭神は、第一殿の武甕槌命、第二殿の経津主命、第三殿の天児屋根命、第四殿の比売神の四柱です。それぞれ鹿島・香取・枚岡など各地の由緒ある神々で、四柱を合わせて「春日の神」「春日大神」と総称することもあります。

なぜ奈良に鹿がたくさんいるのですか?

春日大社の由緒では、平城京遷都の頃、武甕槌命が常陸国の鹿島から奈良の御蓋山へお遷りになる際、白い鹿に乗ってお越しになったと伝えられます。この伝承から、鹿は春日大社の神使(神様の使い)として、長く奈良の人々に大切にされてきました。現在は「奈良のシカ」として国の天然記念物に指定されており、奈良公園周辺には千頭を超える野生の鹿が生息しています。近年の調査では、奈良公園内で約1,400頭台が確認されています。

春日造とはどんな建築様式ですか?

春日造は、春日大社の本殿を代表例とする神社建築の様式です。切妻造・妻入の身舎の正面に庇を付けた一間社形式で、屋根の上には千木と鰹木が置かれます。身舎の柱は円柱、向拝の柱は角柱で構成され、大社造・神明造・住吉造などとともに、古式を伝える代表的な神社本殿形式の一つに数えられます。春日大社の本殿は、春日造の代表例として国宝に指定されています。

春日大社の主な祭礼は何ですか?

春日大社の最も重要な祭礼は、毎年3月13日に行われる「春日祭(申祭)」で、賀茂神社の葵祭、石清水八幡宮の石清水祭とともに「三勅祭」のひとつに数えられます。また、2月節分と8月14日・15日に行われる「万燈籠」の神事も広く知られており、約3,000基の燈籠に火が灯される幻想的な風景を見ることができます。

春日大社へのアクセスは?

JR奈良駅・近鉄奈良駅からバス(春日大社本殿行)で約11〜15分、「春日大社本殿」下車すぐ。または市内循環バス(外回り)で「春日大社表参道」下車、徒歩約10分です。最新の運行情報は、奈良交通バスや奈良市観光協会公式サイトで確認できます。

御朱印はもらえますか?

春日大社では御朱印が授与されています。本殿周辺の授与所のほか、若宮神社をはじめ境内の十五社をめぐる「若宮十五社めぐり」では、夫婦大国社で受付をして各社の御朱印をいただくこともできます。授与の有無や受付時間は変わることがあるので、最新情報は春日大社公式で確認するのがおすすめです。

奈良の鹿は春日大社が飼っているのですか?

奈良の鹿は、1957年に国の天然記念物に指定された野生動物です。日々の保護や管理は、一般財団法人「奈良の鹿愛護会」が奈良県・奈良市とともに担っています。春日大社は白鹿の伝承にもとづく神使としての由緒で鹿と深く結びついていますが、日々の世話や頭数の調査、けがをした鹿の保護は、この愛護会と県・市が中心になって行っています。「大社が飼育している」というより、地域全体で守られている野生動物だと考えるとよいでしょう。

式年造替は、伊勢神宮の式年遷宮と同じものですか?

似ているようで、中身は異なります。伊勢神宮の式年遷宮は、新しい敷地に社殿を建て替えて御神体をお遷しする行事です。春日大社の式年造替は、場所を移さず、同じ位置で社殿を修理し調える点が違います(御本殿は国宝のため、全体を解体して新築することはしません)。また春日大社では、御本殿(第一殿から第四殿)の造替と、摂社である若宮神社の造替が別々の回数で数えられており、御本殿は2016年に通算第六十次を数えたと各観光機関が伝えています。

まとめ

神護景雲2年(768年)に社殿が整えられたと伝わる春日大社は、藤原氏の氏神として、また春日造の建築様式と約3,000基の燈籠で知られる奈良の象徴的な神社として、長く崇敬を集めてきました。主祭神の四柱は、鹿島・香取の神々と、藤原氏の祖神に関わる神々から成り、白鹿に乗ってきたという武甕槌命の伝承が、奈良の鹿を神使とする信仰につながっています。

世界遺産「古都奈良の文化財」のひとつとして、また天神信仰の系譜言霊の文化と並ぶ、日本の信仰文化の重要な拠点として、春日大社は今も静かにその歴史を伝えています。手水舎の作法二礼二拍手一礼とあわせて、ぜひ現地での参拝の時間を味わってみてください。

参考文献

歴史・学術参考

  • 戸部民夫『「日本の神様」がよくわかる本』PHP文庫

神社公式・自治体/文化財データベース

  • 春日大社公式(由緒・本殿・御祭神・祭礼)
  • 奈良市観光協会公式(春日大社のご案内・万燈籠など)
  • 奈良県観光連盟「祈りの回廊」
  • 奈良県歴史文化資源データベース「いかす・なら」
  • 国指定文化財等データベース(春日大社本社本殿)
  • 文化遺産データベース/文化遺産オンライン(春日造)
  • 奈良の鹿愛護会(奈良のシカ・頭数調査)

補助参考

  • nippon.com「世界遺産 春日大社」

※ 本記事の画像はChatGPT 等の生成AIによる象徴的なイメージ画像です。実際の景観とは異なる場合があります。詳細は免責事項をご覧ください。

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この記事を書いた人

あやとき編集部は、40代の編集メンバーで運営しています。子を持つ親としても、一人の人間としても、暮らしに息づく神社との関わりを大切にしながら、全国の神社文化を丁寧に読み解いていきます。

神道や神社の奥深さを、専門用語に頼らず、どなたにも分かりやすい言葉でお届けします。読者の方と同じ目線で、共に学んでいく姿勢を基本としています。詳しくは運営者情報をご覧ください。

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