MENU

厳島神社|宗像三女神と平清盛が祈った海上の社をやさしく解説

ivory washi 背景に painterly な朱塗りの大鳥居が海中に立つ単一象徴構図、奥に弥山と宮島の杜のシルエット、タイトル「厳島神社と大鳥居」を上部左寄りに配したアイキャッチ画像

瀬戸内海に浮かぶ宮島(厳島)に鎮まる厳島神社(いつくしまじんじゃ)は、安芸国一宮として古くから崇敬されてきた古社です。海上に建つ寝殿造風の社殿と、潮の満ち引きに表情を変える大鳥居で知られ、1996年(平成8年)にはユネスコの世界文化遺産に登録されました。御祭神は宗像三女神(市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命)で、社伝では推古天皇元年(593年)に佐伯鞍職が創建したと伝えられ、仁安3年(1168年)頃には、かつて安芸守を務めた平清盛によって、現在の姿につながる寝殿造風の海上社殿が整えられました。平家一門は厳島神社を守護神として厚く崇敬したと伝えられます。

この記事では、厳島神社の御祭神である宗像三女神の由来、平清盛との関わりと平家納経、海上に建つ寝殿造風の社殿、海中の大鳥居(両部鳥居)の構造、潮の満ち引きで表情を変える景観、そして参拝の流れまで、厳島神社公式の御由緒、宮島観光協会公式、広島県公式観光「ひろしま観光ナビ」などを主な手がかりに整理します。

この記事でわかること
項目内容
テーマ厳島神社の御祭神・由緒・平清盛との関わり・建築
関連する神話誓約神話で生まれた宗像三女神(市杵島姫命など)
見どころ海中の大鳥居・寝殿造風の社殿・平家納経・干満で変わる景観
参考情報厳島神社公式・宮島観光協会公式・広島県公式観光
ivory washi 背景に painterly な瀬戸内海と宮島の俯瞰、画面奥に弥山と杜、海岸線に厳島神社の海上社殿、その沖合に大鳥居のシルエット、朝の光が差し込む構図、宮島の全景を象徴
目次

厳島神社とはどんな神社か

厳島神社の位置づけを知るうえで、まず御祭神、創建の由緒、世界遺産としての特色を押さえておきましょう。

瀬戸内海の宮島に鎮まる海上の社

厳島神社は、広島県廿日市市の宮島町に鎮座し、瀬戸内海に浮かぶ宮島(厳島)の北岸、宮島桟橋から徒歩圏に位置します。厳島神社公式の御由緒によれば、宮島は古来、島そのものを神聖視したため、陸地ではなく潮の満ち引きする場所に社殿を設けたと説明されています。安芸国(現在の広島県西部)の一宮として古くから尊ばれ、一の宮一覧でも触れているとおり、その国を代表する古社のひとつとして位置づけられてきました。

御祭神 宗像三女神

厳島神社の御祭神は、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)・田心姫命(たごりひめのみこと)・湍津姫命(たぎつひめのみこと)の三柱で、合わせて「宗像三女神(むなかたさんじょしん)」と呼ばれます。天照大神素戔嗚尊(スサノオ)誓約(うけい)神話によって生まれた女神とされ、九州の宗像大社(福岡県宗像市)を中心に祀られてきた海上交通の神々として広く信仰を集めてきました。厳島神社は、全国に広がる厳島信仰の中心的な社のひとつとして、宗像三女神を瀬戸内海の宮島に伝えてきました。

世界遺産と日本三景

厳島神社は、1996年(平成8年)にユネスコの世界文化遺産「厳島神社」として登録されました。社殿群と、その背後の弥山(みせん)原始林や前面の海を含む景観が一体として評価された登録です。宮島は古くから日本三景のひとつにも数えられているとされ、海上の鳥居と社殿が織りなす光景が、宮島を象徴する景観となっています。

ivory washi 背景に painterly な3つの水紋と、それぞれの中央に勾玉・鏡・玉の象徴、下に田心姫命・市杵島姫命・湍津姫命の墨書きラベル、宗像三女神を象徴する構図

宗像三女神(市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命)

厳島神社の御祭神である宗像三女神は、『古事記』『日本書紀』に伝わる誓約神話で生まれた女神たちです。三女神の名前と神話的な位置づけを順に紹介します。

誓約神話と三女神の誕生

『古事記』『日本書紀』では、高天原(たかまのはら)に上ろうとする素戔嗚尊に、姉の天照大神が疑いを抱き、誓約(うけい)を行って互いの心の正しさを確かめあったと伝えられます。そのとき、天照大神が素戔嗚尊の十握剣を噛み砕いて吐き出した息から生まれたのが、宗像三女神であったとされます。三女神は天照大神の御子神とされ、葦原中国へ降りて宗像の地に祀られたと伝えられます。スサノオとヤマタノオロチの神話の前段にあたる、姉弟の誓約の場面で生まれた神々です。

三女神それぞれの神格

三女神は、海上交通・航海を守る神として広く信仰されてきました。

  • 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) 厳島神社では特に社名との関係でも語られる女神で、社名「厳島」との関連を説く説もあります。神仏習合のなかで仏教の弁才天(弁財天)と結びつき、芸能・財福の神としても信仰されてきました。
  • 田心姫命(たごりひめのみこと) 『日本書紀』では田心姫、『古事記』では多紀理毘売命(タキリビメ)と記されます。宗像大社の沖津宮(おきつみや)の御祭神として知られています。
  • 湍津姫命(たぎつひめのみこと) 宗像大社の中津宮(なかつみや)の御祭神として知られ、水流の激しさを連想させる神名として説明されることがあります。

三女神は『古事記』『日本書紀』で名前の表記や順序にいくつかの異同があります。厳島神社の御祭神としては、いずれの伝承においても海と航海を守る三柱として古くから親しまれてきました。

宗像大社との関係

九州の宗像大社(福岡県宗像市)は、宗像三女神を沖津宮・中津宮・辺津宮(へつみや)の三宮に祀る神社として知られ、平成29年(2017年)には「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」として世界文化遺産に登録されています。厳島神社は、宗像三女神への信仰を瀬戸内海の海上交通の要所で受け継ぐ社として位置づけられます。

宗像大社と厳島神社はどう違うのか

同じ宗像三女神を祀ることから、九州の宗像大社と厳島神社は並べて語られることがよくあります。ただ、二社の成り立ちや信仰の形にはいくつかの違いがあります。福岡県宗像市に鎮座する宗像大社は、玄界灘に浮かぶ沖ノ島の沖津宮、中津宮、九州本土の田島に建つ辺津宮という三つの宮に、三女神を分けてお祀りする形が特色です。宗像大社公式によれば、田心姫神・湍津姫神・市杵島姫神をそれぞれの宮にお祀りしています。また、全国の宗像神社の総本宮とも言われます。

いっぽう厳島神社は、三女神を瀬戸内海の宮島にまとめてお祀りし、潮の満ち引きする海上へ社殿を展開した点が大きく異なります。世界遺産としても、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群では、沖津宮が鎮座する沖ノ島という祭祀の島そのものが評価の中心となり、厳島神社は海上に建つ社殿と背後の弥山原始林を含む景観が評価されました。同じ女神を今も祀る二社でも、参拝の形には違いがあります。宗像大社では沖ノ島の沖津宮を遠くから拝む遥拝の形も知られ、厳島神社では海の上の社殿へ直接お参りできます。この違いに注目すると、それぞれの個性が浮かび上がってきます。

ivory washi 背景に painterly な装飾された巻物(平家納経)と扇、金箔の装飾、背景に海上の厳島神社社殿のシルエット、平清盛と平家納経を象徴する構図

平清盛と厳島神社(平家一門の信仰)

現在の厳島神社の姿につながる基礎を整えたのは、平安時代末期の武将・政治家である平清盛(たいらのきよもり)です。清盛と厳島神社の関わりは、平家一門の信仰を支える深い縁となりました。

安芸守 平清盛と厳島の出会い

厳島神社公式の歴史記述によれば、平清盛は久安2年(1146年)に安芸守に任じられたことを機に、厳島神社を厚く崇敬するようになったと伝えられます。安芸国は瀬戸内海航路の要所であり、海上交通を司る宗像三女神を祀る厳島神社は、海運に支えられた平家一門の事業にとって深いつながりをもつ社となりました。

平清盛がなぜ都から遠い宮島にこれほど力を注いだのか。私は、場所選びの眼がすぐれていたからではないのかと考えています。宮島は瀬戸内の船の道を押さえる要の場所で、しかも島そのものが古くから神とあがめられてきました。

商いや政治の計算と、信じる気持ち。そのどちらか一方だけでは、海の上に社殿を建てるという発想までは出てこない気がします。実利と祈りの両方がそろう場所を選んだところに、清盛のすごさが隠れているように思います。

仁安3年(1168年)頃の大造営と寝殿造

仁安3年(1168年)頃、平清盛によって、平安時代の貴族邸宅の様式である寝殿造(しんでんづくり)を取り入れた現在の海上社殿の姿が整えられたと伝えられます。本社本殿・拝殿・祓殿・回廊などが海上に連なる現在の景観につながる基本構成が、この時期に形作られたとされます。平家一門は厳島神社を守護神として厚く崇敬し、宮島は平家ゆかりの聖地として広く知られるようになりました。

平家納経(国宝)

長寛2年(1164年)、平清盛をはじめ平家一門の人々が、極楽往生と平家一門の繁栄を願って法華経・阿弥陀経・般若心経などを写経し、装飾を施した経巻を厳島神社に奉納しました。これが「平家納経(へいけのうきょう)」と呼ばれる経典群で、清盛筆と伝えられる願文を巻頭に、平家一門の写経が収められています。昭和29年(1954年)に国宝に指定され、厳島神社の宝物館や東京国立博物館などの特別展で時折公開されており、平安時代後期の装飾経典の代表作として知られています。

ivory washi 背景に painterly な厳島神社の寝殿造風海上社殿の建築図解、中央の本殿と左右の回廊、床束で海面上に持ち上がった構造、寝殿造風の構成を象徴

寝殿造風の海上社殿(海上の建築美)

厳島神社の社殿は、平安時代の貴族邸宅の様式である寝殿造を、海上の祭祀空間に取り入れた点が大きな特色です。その特徴は、社殿の配置や床下の構造にも表れています。

寝殿造とはどんな建築様式か

寝殿造は、平安時代の貴族の住宅様式として知られ、中央の寝殿(主殿)を中心に、東西の対屋(たいのや)を渡殿(わたどの)で結び、南庭に池を配する形が特徴です。厳島神社では、本社本殿・幣殿・拝殿・祓殿が中央に連なり、東西の客神社(まろうどじんじゃ)などを長い回廊で結び、社殿の前面には海(瀬戸内海)を池に見立てた構成になっています。神社建築の見方で触れる流造・神明造・春日造などとは異なり、住宅建築の様式を神社祭祀の空間に展開した、ほかに例の少ない構成です。

編集部で心に残っているのは、厳島神社の社殿が寝殿造という貴族の住まいの形で建てられていることです。神様の社なら、もっと厳かで近寄りがたい形にもできたはずです。それをあえて、人がいちばん美しいと思っていた暮らしの様式で建てた。ここに、当時の人たちが神様をどう感じていたかが表れているのではないかと考えています。

遠くから拝むだけの相手ではなく、心をこめてもてなしたい大切な相手として海の上にお迎えした。そう考えると、潮が満ちて社殿が海に浮かぶ姿も、ただ美しいだけでなく、神様を丁寧にもてなす気持ちのあらわれのように感じられます。

海上に建つ社殿の構造

本社の社殿群は、海中に打ち込まれた多数の木の床束(ゆかつか)の上に床板を敷き、海面と社殿が直接接しないように造られています。満潮時には床下に海水が満ち、社殿全体が海に浮かんでいるように見える一方、干潮時には床下の床束と砂浜が現れ、海と陸の境界が時間とともに移ろう独特の景観を作り出します。社殿の床には所々に隙間が設けられており、高潮の際に水圧を逃がす工夫がされていると伝えられます。

類例の少ない海上の寝殿造

潮の満ち引きのある場所に寝殿造風の社殿群と大鳥居が一体となって展開する構成は、国内でもきわめて珍しいものです。1996年に世界文化遺産に登録された際にも、自然と建築が一体となった景観の独自性が高く評価されました。

ivory washi 背景に painterly な朱塗りの大鳥居(両部鳥居・四脚鳥居)の正面構造図、主柱2本と袖柱4本、箱状の笠木と島木、海面と海底の砂、両部鳥居の構造を象徴

海中の大鳥居(両部鳥居)

厳島神社の象徴ともいえるのが、海中にそびえる朱塗りの大鳥居です。大鳥居の構造と特徴を、宮島観光協会公式の案内に沿って整理します。

大鳥居の大きさと位置

大鳥居は、本社の社殿から沖合約160メートルの海上に立っています。宮島観光協会公式の案内によれば、高さ約16.6メートル、棟(笠木)の長さ約24.2メートル、主柱の周囲約9.9メートル、総重量は約60トンとされ、木造の鳥居としては国内有数の規模を誇るとされます。現在の大鳥居は、平安時代から数えて9代目にあたり、明治8年(1875年)に再建されたもので、2019年から2022年にかけて行われた保存修理(令和の大改修)を経て、今もその姿を瀬戸内海に伝えています。

項目数値
高さ約16.6メートル
棟(笠木)の長さ約24.2メートル
主柱の周囲約9.9メートル
総重量約60トン
沖合からの距離約160メートル
現在の鳥居平安時代から数えて9代目(明治8年再建)

両部鳥居(四脚鳥居)の構造

厳島神社の大鳥居は、左右の主柱の前後をそれぞれ袖柱(そでばしら)が支える両部鳥居(りょうぶとりい・四脚鳥居)」と呼ばれる形式で建てられています。鳥居の種類と見分け方で触れているとおり、神明鳥居・明神鳥居といった一般的な鳥居とは異なり、主柱を4本の袖柱が支える堅牢な構造で、海中に立つ大鳥居としての安定性を確保しています。主柱は楠(クスノキ)の自然木が用いられ、笠木と島木は中空の箱状に造られて、内部に約4トンの石が詰められていると伝えられます。

海底に「置かれて」いる鳥居

厳島神社の大鳥居は、海底に基礎杭を打ち込まずに、自重で海底の砂の上に立っているのも大きな特色です。約60トンもの重量と、笠木の中の石による加重を活かして、海中での安定を保ってきました。長い歴史のなかで何度も再建されてきましたが、現在も「海底に置かれて立つ大鳥居」という構造を伝え続けています。

「海底に深く埋まっている」という思い込み

海中にそびえる姿から、大鳥居は柱を海底の地盤に深く埋め込んで固定しているのだろう、と受け止められることがあります。実際には、宮島観光協会公式の説明によれば、大鳥居は約60トンの自重で海底に立つのが基本で、柱を深く埋めて固定する造りにはなっていません。笠木と島木が中空の箱状に造られ、内部に石を詰めて重さを加えているのも、この自立を支えるための工夫のひとつです。

とはいえ、何の備えもなく砂の上へ置いているというわけでもありません。宮島観光協会公式の解説によれば、柱そのものを杭で固定してはいないものの、重い鳥居が沈み込まないよう、柱の下の地盤には松の丸太杭を打ち込んで固める根固めが施されていると伝えられます。大鳥居の主柱には楠が使われ、傷んだ部分を新しい材へ継ぎ替える根継ぎが行われたこともあります。浮いているのでも、深く埋めて固定しているのでもなく、自重と地盤の備えを組み合わせて安定を保つ。海の上に立つ厳島神社の大鳥居ならではの構造だと分かると、主柱を前後から支えて倒れにくくする袖柱の大切さも見えてきます。

ivory washi 背景に painterly な満潮の朝(左)と干潮の朝(右)の穏やかな観光的対比構図、左に海に静かに浮かぶ社殿と大鳥居、右に床束と砂浜が現れた景観、満潮・干潮の墨書きラベル、潮の干満で変わる景観を象徴

干潮と満潮で変わる景観

厳島神社の見どころのひとつが、潮の満ち引きで大きく変わる景観です。同じ場所でも、時間帯によってまったく異なる表情を見せます。

潮の状態景観の特徴目安となる潮位
満潮時社殿全体が海に浮かぶ、大鳥居の足元が海中に約250センチメートル以上
干潮時社殿の床下に砂浜、大鳥居の足元まで歩ける約100センチメートル以下

満潮時の景観

満潮時には、社殿の床下まで海水が満ち、社殿全体が海に浮かんでいるかのように見えます。大鳥居も足元が海中に没し、朱塗りの柱が瀬戸内海の青に映える、もっとも知られた景観が現れます。宮島観光協会公式の案内では、回廊まわりで水面を間近に楽しむには、潮位約250センチメートル以上を目安にするとよいと紹介されています。

干潮時の景観

干潮時には、社殿の床下に砂浜が広がり、大鳥居の足元まで歩いて行くことができます。両部鳥居の主柱と袖柱の構造を直接観察できる時間帯です。過去には大鳥居の柱に硬貨を差し込む例も見られましたが、文化財保護の観点から控えるべき行為です。宮島観光協会公式の案内では、大鳥居の下まで歩いて近づくには、潮位約100センチメートル以下を目安にするとよいと紹介されています。

海の上に建てるというのは、建物にとっては不利なことだらけです。柱は潮に洗われ、木は傷みやすくなります。それでも厳島神社は、その不利をそのまま美しさに変えました。

潮が満ちれば社殿が海に浮かんで見え、潮が引けば大鳥居まで歩いて行けます。条件の悪さを隠すのではなく、見せ方の中心に据える。この発想の転換が、八百年以上も人を引きつけている理由ではないのかと考えています。

潮位の確認と参拝計画

宮島の潮位は気象条件と日付によって変動するため、参拝の計画を立てる際は、宮島観光協会公式や気象庁の潮汐情報を事前に確認するのがおすすめです。同じ日のうちに満潮と干潮の両方の表情を楽しめる時間帯もあり、半日から一日を宮島で過ごす計画にすると、移ろう景観をゆっくり味わうことができます。

潮位を「できること」で読み替える

宮島観光協会公式では、大鳥居まで歩けるかどうかは満潮・干潮という言葉ではなく、その時刻の潮位が何センチかで見当をつけるとわかりやすいと案内されています。潮位の目安ごとに、そのときできることを読み替えておくと、訪問の計画が立てやすくなります。

  • 約100センチ以下 大鳥居の足元まで歩いて近づけます。
  • 約100〜250センチ 歩いて渡れず、社殿が完全に浮かんでも見えない中間の時間帯です(公式の2つの目安から編集部が読み替えた区分です)。
  • 約250センチ以上 社殿と大鳥居が海に浮かんで見える景観になります。

潮位は日によって変わり、100センチ以下まで下がる時間帯がない日もあります。歩いて大鳥居へ近づきたい場合は、宮島観光協会公式の潮見表で訪問日の潮位を先に見ておくと計画が立てやすくなります。表示される潮位は広島港の値を用いた目安で、宮島では潮の動く時刻が広島港より少し早まることがあるとされています。

大鳥居の柱に硬貨を差し込む行為は文化財損傷につながるため、控えるべき行為とされています。長く受け継がれてきた建築を未来に伝えるためにも、見るだけのお参りを心がけたいところです。

ivory washi 背景に painterly な厳島神社の境内案内、中央奥に本社本殿のシルエット、手前左に高舞台、手前右に能舞台、回廊が結ぶ構図、境内の見どころを象徴

平家納経と境内の見どころ・参拝の流れ

厳島神社の境内には、本社の社殿群のほかにも多くの見どころが点在しています。境内の構成と参拝の流れを整理しておきましょう。

本社の社殿群

厳島神社の本社は、本殿・幣殿・拝殿・祓殿が南北に連なる形で建てられ、海上に張り出した高舞台(たかぶたい)では、舞楽の奉納が古くから行われてきました。本社の東側には客神社(まろうどじんじゃ)が建ち、東回廊から渡るかたちで参拝の入口となっています。社殿群はいずれも国宝または国の重要文化財に指定されており、平安時代後期の建築様式を今に伝える貴重な遺構です。

能舞台と高舞台

厳島神社の能舞台は、海上に建つ能舞台として知られ、潮が満ちると床下に海水が入り込み、特有の音響を生む構造になっています。重要文化財に指定されており、毎年4月には桃花祭神能(とうかさいじんのう)が奉納されます。また、本社拝殿の前にせり出す高舞台は、舞楽の舞台として古くから用いられ、平清盛の時代から続く厳島の祭祀文化を伝える場として大切にされてきました。

参拝の流れと作法

参拝は、宮島桟橋から海岸沿いに大鳥居を眺めながら歩き、東回廊の入口で拝観受付を済ませてから境内に入る流れが一般的です。基本の作法は一般的な神社参拝と同じで、手水舎の作法二礼二拍手一礼を意識すれば十分です。回廊を進みながら客神社・本社の順にお参りし、出口の西回廊を抜けるまで、ゆっくりとした時間が流れます。拝観時間や昇殿料は厳島神社公式の案内で確認できます。

滞在時間とフェリーで組み立てる宮島の一日

宮島は、厳島神社の参拝だけでなく、表参道の食べ歩きや周辺の寺社、弥山(みせん)の自然まで含めて楽しめる島です。どこまで巡るかで必要な滞在時間が変わるため、先に滞在時間の枠を決めてから回る順を組むと無理がありません。宮島観光協会公式では、主要な見どころを巡る三時間ほどのモデルコースなど、所要時間別の回り方が紹介されています。

滞在時間の目安(編集部の目安)主な回り方
約1時間厳島神社の本社参拝を中心に、大鳥居を眺める
約3時間本社参拝に、宝物館や大聖院・五重塔・千畳閣など周辺の寺社を加える(公式の3時間コースに近い回り方)
半日上記に表参道の食べ歩きなど、島の街歩きをゆっくり加える
一日さらに弥山の自然散策まで足を延ばし、島全体を味わう

本州側の宮島口と宮島桟橋の間は、JR西日本宮島フェリーと宮島松大汽船の二社が、それぞれ片道10分前後で運航しています。日中はおおむね15分間隔ですが、会社や時間帯によって間隔は多少前後し、多客期には便が増やされることもあります。三連休などの繁忙期は乗り場が混み合い、乗船まで少し待つ時間を見込んでおくと落ち着いて動けます。JR西日本宮島フェリーには、日中の一部の便で大鳥居に近づいて航行する便もあり、海上から鳥居を眺めたいときの楽しみになります。乗船時には宮島を訪れる人にかかる宮島訪問税(1回100円)も運賃とあわせて必要です。運航ダイヤや料金は変わることがあるため、訪問前に各社公式で最新のダイヤと料金を確かめておきましょう。

宝物館と周辺の見どころ

境内の宝物館では、平家納経(国宝、通常はレプリカ展示)をはじめ、太刀・鎧・舞楽面など、厳島神社に伝わる多くの社宝を見ることができます。境内のすぐ近くには、平清盛をお祀りする清盛神社、世界遺産に含まれる弥山原始林、千畳閣(豊国神社)・五重塔・大願寺など、宮島ならではの文化財や信仰の場が広がっています。宮島を訪れる際は、潮位を確認しながら、満潮と干潮の両方の表情を見られる時間帯を選ぶと、厳島神社の景観をより立体的に理解できます。

よくある質問

厳島神社の御祭神はどなたですか?

厳島神社の御祭神は、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)・田心姫命(たごりひめのみこと)・湍津姫命(たぎつひめのみこと)の三柱で、合わせて「宗像三女神(むなかたさんじょしん)」と呼ばれます。三女神は『古事記』『日本書紀』に伝わる誓約(うけい)神話で、天照大神と素戔嗚尊の誓約によって生まれた女神とされ、海上交通・航海を守る神として、九州の宗像大社をはじめ全国の宗像系・厳島系の神社で広く信仰されてきました。三女神は『古事記』『日本書紀』で名前の表記や順序にいくつかの異同があります。

創建はいつですか?

厳島神社の社伝では、推古天皇元年(593年)に、地元の有力豪族であった佐伯鞍職(さえきのくらもと)が神託を受けて市杵島姫命を御笠浜にお祀りしたのが創建と伝えられます。その後、仁安3年(1168年)頃、かつて安芸守を務めた平清盛によって、現在の姿につながる寝殿造風の海上社殿が整えられ、平家一門が守護神として厚く崇敬したと伝えられます。1996年(平成8年)にはユネスコの世界文化遺産「厳島神社」として登録されています。

海中の大鳥居の大きさはどれくらいですか?

厳島神社の大鳥居は、社殿の沖合約160メートルの海上に立っており、宮島観光協会公式の案内では、高さ約16.6メートル、棟(笠木)の長さ約24.2メートル、主柱の周囲約9.9メートル、総重量約60トンとされています。構造は、左右の主柱の前後を袖柱が支える「両部鳥居(りょうぶとりい・四脚鳥居)」で、笠木と島木は中空の箱状に造られており、内部に約4トンの石が詰められて重さを加えていると伝えられます。本体は自重で立っており、土中に基礎杭を打ち込まずに海底の砂に置かれているのも特徴です。現在の大鳥居は、平安時代から数えて9代目にあたり、明治8年(1875年)に再建されました。

満潮と干潮、どちらに行くのがおすすめですか?

厳島神社は潮の満ち引きで景観が大きく変わるため、満潮時と干潮時のどちらにも見どころがあります。満潮時は社殿全体が海に浮かんでいるかのように見え、寝殿造風の建築美が際立ちます(回廊まわりで水面を間近に見るには潮位約250センチメートル以上が目安)。干潮時は鳥居の足元まで歩いて近づくことができ、両部鳥居の構造を直接見ることができます(大鳥居の下まで歩くには潮位約100センチメートル以下が目安)。最新の潮位は宮島観光協会公式や気象庁の潮汐情報で確認できます。

平清盛と厳島神社の関係は?

平清盛は久安2年(1146年)に安芸守に任じられたことを機に厳島神社を崇敬するようになり、仁安3年(1168年)頃には、現在の姿につながる寝殿造風の海上社殿の構成を整えたと伝えられます。長寛2年(1164年)には、清盛をはじめ平家一門が法華経・阿弥陀経・般若心経などを書写し、装飾を施した経巻を厳島神社に奉納しました。これが「平家納経(へいけのうきょう)」と呼ばれる平家の写経群で、1954年(昭和29年)に国宝に指定されています。

厳島神社の見どころは?

厳島神社の主な見どころは、海中の大鳥居(両部鳥居)、寝殿造風の本社本殿・拝殿・回廊、海上に建つ高舞台と能舞台、平家納経などの社宝を伝える宝物館、海岸線に沿って広がる客神社、潮の干満で表情を変える社殿全体の景観などです。境内のすぐ近くには、平清盛にちなんだ清盛神社、世界遺産に含まれる弥山原始林、千畳閣・五重塔などの周辺名所もあり、宮島全体を一日かけてゆっくり巡ることができます。

アクセスは?

厳島神社へは、まず本州側の宮島口へ向かい、そこからフェリーで厳島(宮島)へ渡ります。本州側の宮島口へは、JR山陽本線「宮島口駅」または広島電鉄宮島線「広電宮島口駅」が最寄りで、広島駅からはJRで約25〜30分、広島電鉄で約60〜70分が目安です。宮島口桟橋からはJR西日本宮島フェリーまたは宮島松大汽船で約10分、宮島桟橋に到着後、厳島神社まで徒歩約12分が目安です。所要時間はダイヤ等で変動するため、最新の運航情報は宮島観光協会公式やフェリー各社の案内で確認できます。

宮島の観光にはどれくらいの時間を見ておけばよいですか?

厳島神社の本社参拝だけであれば、1時間ほどが編集部の目安です。宮島観光協会公式では、宝物館や大聖院・五重塔・千畳閣など主要な見どころをあわせて巡る三時間ほどのモデルコースなどが所要時間別に紹介されています。表参道の食べ歩きも楽しむなら半日、弥山の自然散策まで足を延ばすなら一日を宮島で過ごす計画にするとよいでしょう。潮の満ち引きで大鳥居まで歩ける時間帯が変わるため、宮島観光協会公式の潮見表で潮位も確認しながら滞在時間を組み立てるのがおすすめです。

まとめ

厳島神社は、瀬戸内海に浮かぶ宮島に鎮まる安芸国一宮の世界遺産で、御祭神は誓約神話で生まれた宗像三女神(市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命)、創建は推古天皇元年(593年)に佐伯鞍職によると社伝に伝えられます。仁安3年(1168年)頃、かつて安芸守を務めた平清盛によって現在の姿につながる寝殿造風の海上社殿が整えられ、平家一門が守護神として厚く崇敬したと伝えられます。長寛2年(1164年)には平家納経(国宝)が奉納され、平安時代後期の装飾経典の代表作として今に伝えられています。

海中にそびえる両部鳥居の大鳥居、海上に建つ寝殿造風の本社・回廊、潮の満ち引きで表情を変える独特の景観は、ほかに類例の少ない日本の建築美です。スサノオとアマテラスの誓約神話から続く宗像三女神の物語、鹿島神宮と香取神宮のような武門の社とはまた異なる海の社の世界を、ぜひ宮島の海と杜とともに味わってみてください。手水舎の作法二礼二拍手一礼を意識しながら、ゆっくりとした時間のなかで参拝を楽しめます。

参考文献

歴史・学術参考

  • 三浦佑之『口語訳 古事記 神代篇』文春文庫
  • 戸部民夫『「日本の神様」がよくわかる本』PHP文庫

神社公式・自治体/観光公式

補助参考

  • 『古事記』(岩波文庫・倉野憲司校注)
  • 『日本書紀』(岩波文庫・坂本太郎ほか校注)

※ 本記事の画像はChatGPT 等の生成AIによる象徴的なイメージ画像です。実際の景観とは異なる場合があります。詳細は免責事項をご覧ください。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

あやとき編集部は、40代の編集メンバーで運営しています。子を持つ親としても、一人の人間としても、暮らしに息づく神社との関わりを大切にしながら、全国の神社文化を丁寧に読み解いていきます。

神道や神社の奥深さを、専門用語に頼らず、どなたにも分かりやすい言葉でお届けします。読者の方と同じ目線で、共に学んでいく姿勢を基本としています。詳しくは運営者情報をご覧ください。

目次