古事記と日本書紀の違い|編纂目的・文体・神話の扱いを比較表でやさしく解説

朝の光のなか、生成り washi の机に開かれた古事記と日本書紀の冊子・巻物が並ぶ静謐な構図、タイトル「古事記と日本書紀の違い」を配したアイキャッチ画像

「古事記と日本書紀って、何が違うの?」現存する日本最古級の歴史書を学ぶとき、最初に立ち止まる疑問です。両書とも8世紀初頭に編纂され、神代から女帝の時代までを記す歴史書ですが、編纂の経緯・文体・神話の扱いには違いがあります

この記事では、国立公文書館・奈良県公式「なら記紀・万葉」・島根県観光連盟「しまね神話」などの公的資料を主に参照し、Wikipedia は補助的に確認しながら、古事記と日本書紀の違いを比較表で整理し、編纂のいきさつ・文体・神話の扱いの差を順にやさしく解説します。

目次

古事記と日本書紀の違い|先に一覧表で把握

古事記(712年)と日本書紀(720年)の8項目比較表(成立年・編纂者・巻数・文体・構成・編纂目的・神話の扱い・性格)を左右に対比したインフォグラフィック

古事記と日本書紀の違いは、8つの観点で整理すると一目で把握できます。先に全体像を確認しておくと、次の章からの解説が理解しやすくなります。

観点古事記日本書紀
成立年712年(和銅5年)720年(養老4年)
編纂者稗田阿礼(ひえだのあれ)が誦習し、太安万侶(おおのやすまろ)が撰録・筆録舎人親王(とねりしんのう)を中心とする編纂チーム
巻数3巻(上・中・下)30巻 + 系図1巻
文体一般に変体漢文(または和化漢文)と説明される、漢文に和文要素を交えた文体。万葉仮名による音表記も多い漢文体を基本とする正史の体裁
構成年代順の厳密な編年体ではなく、物語の流れを重視する構成編年体(年代順に出来事を記述)
編纂目的「内廷的(国内向け)」と説明されることが多い「外廷的(対外的にも通用する正史)」と説明されることが多い
神話の扱い出雲神話を厚く扱う、伝承を物語として記す「一書(あるふみ)」として複数の異伝を併記
性格皇室中心の物語的歴史書国家公式の正史(六国史の最初)

2つの書物は同じ時代に編纂されながら、目的も文体も性格も異なる対照的な書物です。共通点と相違点をふまえると、それぞれの役割を整理しやすくなります。

古事記とは|712年成立、現存する日本最古の歴史書

古事記をイメージした古い巻物のクローズアップ。和紙の質感、毛筆書きの変体漢文・万葉仮名、薄く神代の自然を背景にした painterly 表現

古事記(こじき)は、712年(和銅5年)に成立した、現存する日本最古の歴史書とされています。神代から推古天皇までの歴史を3巻にまとめた歴史書で、日本の神話・伝承を伝える古い記録の一つです。

編纂のいきさつと天武天皇の勅命

古事記の序文によれば、編纂の起点は7世紀後半の天武天皇にあります。序文では、帝紀・旧辞の誤りや異同を正す意図が語られており、稗田阿礼(ひえだのあれ)に当時の伝承を誦習させたと記されています。その後、元明天皇の和銅4年(711年)に太安万侶が筆録を命じられ、翌年の和銅5年(712年)に完成して献上されたとされています。

島根県観光連盟「しまね神話」によると、古事記と日本書紀は編纂の出発点が共に7世紀後半の天武朝にあったと説明されています。同じ起点から、目的の異なる2つの歴史書が生まれた背景を理解する手がかりになります。

稗田阿礼と太安万侶の役割

古事記序文では、稗田阿礼は記憶・誦習に優れた人物として描かれており、伝承を口承で習熟した役割を担ったとされています。太安万侶は阿礼が誦習した内容を文字に書き起こす役割を担い、両者の連携によって古事記は完成しました。

「口承を文字に残す」というプロセスは、当時の日本語の音・語彙・語りの一端を伝えるうえで重要な意味を持ちます。次に解説する文体の特徴とも深く関係しています。

変体漢文と万葉仮名の文体

古事記の文体は、一般に「変体漢文(へんたいかんぶん)」または「和化漢文」などと説明される、漢文をベースに日本語の語順や語彙を残した文体で書かれています。地名や神名、和歌などの固有の音を残すために、漢字の音を借りて表記する「万葉仮名(まんようがな)」も多用されています。

たとえば「阿(あ)」「以(い)」のように、漢字本来の意味を離れて音だけを利用する書き方です。これは、当時の日本語の音や言い回しの一端を記録に残すための工夫であり、古事記が単なる漢文ではなく日本語の記録としての性格をあわせ持つことを示しています。

日本書紀とは|720年成立、日本最初の正史

日本書紀をイメージした端正な漢文体の書物のクローズアップ。整った漢文書写、編年体の構成、全30巻を示唆する書架を背景にした正史としての雰囲気

日本書紀(にほんしょき)は、720年(養老4年)に成立した日本最初の公式正史です。神代から持統天皇までの歴史を全30巻 + 系図1巻にまとめた歴史書で、後続の「続日本紀」「日本後紀」などとともに「六国史(りっこくし)」と呼ばれる国家公式歴史書群の最初に位置づけられます。

編纂のいきさつ

日本書紀は序文を持たないため成立経緯に不明な点も多く残りますが、起点は天武朝の修史事業にあると見る説が有力です。天武10年(681年)に天武天皇が川島皇子・忍壁皇子ら皇親・官人に「帝紀」「旧辞」の整理を命じたことが、日本書紀編纂の出発点と考えられています。その後、舎人親王を中心とする編纂チームが養老4年(720年)に完成させ、元正天皇に献上しました。

舎人親王と編纂チーム

舎人親王(とねりしんのう)は天武天皇の皇子で、編纂事業の責任者を務めたとされます。古事記が太安万侶という個人の名で完成したのに対し、日本書紀は編纂チームによる集合的な事業として進められたことが特徴です。これは、国家の正史としての性格を反映しています。

漢文体・編年体・全30巻の構成

日本書紀は漢文体を基本とした正史の体裁で記述されています。当時の東アジアにおける外交・公式文書では漢文が共通の言語として用いられていたため、東アジア世界で通用する漢文体を意識したと考えられています。

また、構成は編年体(年代順に出来事を記述する形式)を採用しています。編年体は中国の正史でも広く使われた形式の一つで、日本書紀が中国の史書編纂の伝統を意識して編纂されたことが文体・構成の両面から読み取れます。

なぜ8年違いで2つ作られた?|内向きと外向きの使い分け

古事記の『内廷的(国内向け)』と日本書紀の『外廷的(対外意識を含む)』を左右パネルで対比した概念図。左に和紙・几帳の宮中空間、右に漢文体・大陸的な広がり

古事記(712年)と日本書紀(720年)の成立年の差は、わずか8年です。同じ時代の朝廷で、なぜ性格の異なる2つの歴史書が並行して編纂されたのでしょうか。両書の違いは、しばしば「古事記は内廷的(国内向け)、日本書紀は外廷的(対外的にも通用する正史)」と説明されます。ただしこれは両書の性格を理解するための代表的な見方の一つであり、単純に「古事記=国内専用」「日本書紀=外国向け」と割り切れるものではありません。

古事記は内廷的と説明されることが多い|皇室と諸氏族の関係を物語として整理

古事記は、皇室の歴史を物語としてまとめ、諸氏族との関係性を整理することに重きを置いた歴史書とされています。和文寄りの変体漢文・万葉仮名で書かれていることは、国内向けの性格をうかがわせる要素の一つとも見られています。

島根県観光連盟「しまね神話」では、古事記の性格を「内廷的(ないていてき)」──宮中向けの歴史書──と説明しています。皇室の正統性と、諸氏族との関係を物語として伝えるための書物だった、というのが代表的な見方の一つです。

日本書紀は外廷的と説明されることが多い|対外意識も含む国家の正史

日本書紀は、当時の東アジア世界の標準的な歴史書形式を意識して編纂されたと考えられています。漢文体・編年体・全30巻という構成は、中国の史書編纂の伝統を意識したものとされています。

島根県観光連盟「しまね神話」では、日本書紀を「外廷的(がいていてき)」──国家の歴史書──と説明しています。東アジアの国際秩序の中で、日本という国の歴史と正統性を対外的にも通用する形で示すための書物だった、というのが代表的な見方の一つです。

共に7世紀後半の天武朝が起点

古事記と日本書紀は、それぞれ目的が異なるものの、編纂の出発点はどちらも7世紀後半の天武朝にあるとされています。天武天皇は、壬申の乱(672年)を経て即位した後、国家の歴史を整理する事業を進めました。

その流れの中で、国内向けの物語的歴史書(古事記)と、対外的にも通用する公式正史(日本書紀)という編纂方針の違いが生まれたと、対外意識を背景にした編纂方針の違いとして説明されることがあります。奈良時代初期の日本が東アジアの国際秩序の中で自国の位置を確立しようとした時代背景の表れとして読み解かれることもあります。

「記」と「紀」の漢字の違い|補助的な視点として

古事記の「」と日本書紀の「」は、どちらも「きろくする」という意味を持ちますが、書名の漢字選択にも両書の性格の違いがうかがえる、という見方が紹介されることがあります。ただし、書名の一字だけで編纂目的を断定することはできません。ここでは、文体・構成・成立背景とあわせて、補助的な視点として整理します。

「記」=伝え聞いた事柄を書きとめる

古事記の「記」は、伝承や出来事を記す字として受け取ることができます。ただし、書名の一字だけで古事記の性格を断定することはできません。ここでは、稗田阿礼の誦習と太安万侶の筆録という編纂過程とあわせて、補助的に見ておきます。

古事記には神話・伝説・和歌などが多く含まれ、年代順より物語の流れを重視した記述が見られます。書名の「記」の字も、こうした性格と整合的に読むことができる、という見方が紹介されることがあります。

「紀」=年代を立てて記す

日本書紀の「紀」は、中国史書の「本紀(ほんぎ)」などを連想させる字として説明されることがあります。本紀は中国の正史で、皇帝・帝王の事績を年代順に記す部分です。ただし、これも名称だけから断定するのではなく、漢文体・編年体・勅撰国史という性格とあわせて理解するのが安全です。

編年体と紀伝体の違い

歴史書の形式には、大きく分けて2つあります。

  • 編年体(へんねんたい):出来事を年代順に記す形式。日本書紀が採用
  • 紀伝体(きでんたい):「本紀(皇帝の事績)」と「列伝(臣下の伝記)」を組み合わせた形式。中国の『史記』が代表例

古事記は厳密にはどちらにも分類しにくい独自の構成で、神代から始まる物語を伝承の流れに沿って記しています。一方、日本書紀は中国式の編年体を採用し、年代の枠に出来事を整理しました。同じ時代を扱いながら、構成の違いから両書の性格の差が浮かび上がります。

神話の扱いの違い|出雲神話と「一書」

古事記の『出雲神話を厚く扱う統合的物語』と日本書紀の『一書による異伝併記』の違いを左右パネルで対比した概念図。左に出雲神話のシンボル、右に異伝併記の書物見開き

古事記と日本書紀は、ともに神代の物語(神話)から始まりますが、同じ神話エピソードでも記述の仕方や扱う比重が異なります。代表的な違いを2点見ていきます。

古事記は出雲神話を厚く扱う

古事記は、上巻(神代)に出雲に関わる神話がまとまって記されることが知られています。スサノオのヤマタノオロチ退治、オオクニヌシの国造りや国譲り神話など、出雲を舞台とする物語が神代の記述の中で重要な位置を占めています。

島根県観光連盟「しまね神話」では、出雲国を中心とする神話群が古事記の中で物語として豊かに展開されている点が紹介されています。一方、日本書紀では出雲神話の記述は古事記ほど多くないとされています。

日本書紀は「一書(あるふみ)」で別伝を併記

日本書紀の特徴的な記述方法として、神代の巻に「一書(あるふみ)」という形式で異なる伝承を併記している点があります。本文の後に「一書に曰く(あるふみにいわく)」という形で、別の伝承を複数引用するスタイルです。

たとえばイザナギ・イザナミの国生み神話では、本文に加えて複数の「一書」が併記され、神々の呼び名や物語の細部に異伝があることを示しています。これは、諸氏族や地方に伝わる伝承の多様性を、正史として記録するという編纂方針の表れと考えられます。

同じエピソードでも語り口が異なる

古事記と日本書紀は、同じ神話エピソードを扱う場合でも語り口が異なります。一例として、ヤマトタケルの物語では、古事記が父・景行天皇との対立や英雄の悲劇性を物語として強調するのに対し、日本書紀では国家の英雄譚としての側面が前面に出る、といった違いが指摘されることがあります。

2つの書物を読み比べると、同じ時代の出来事を異なる視点で記録した史料の対比として、より立体的な日本古代史像が見えてきます。

古事記と日本書紀の共通点

違いに目が行きがちですが、古事記と日本書紀には重要な共通点もあります。両書の役割を理解する手がかりになります。

編纂の出発点はどちらも天武朝

すでに触れたとおり、両書とも編纂の出発点は7世紀後半の天武朝にあります。同じ時代の修史事業から、目的の異なる2つの歴史書が生まれた、という背景は両書の共通基盤です。

神代から女帝の時代までを記す

古事記は神代から推古天皇まで、日本書紀は神代から持統天皇までを扱います。どちらも神代から始まり、結果としていずれも女帝の時代で記述を終えるという構成上の共通点があります。同時期の朝廷で編纂された点で、両書は近い関係にあるといえます。

どちらも漢字で記述された

当時は、平仮名・片仮名が一般的な文字体系として成立する以前でした。古事記の変体漢文・万葉仮名も、日本書紀の漢文体も、いずれも漢字を用いた文章です。古事記以前にも漢字による日本語表記の試みはありましたが、こうした漢字による日本語表記の蓄積は、後の仮名成立につながっていきます。

古事記と日本書紀のQ&A

古事記と日本書紀、正しいのはどっち?

「どちらが正しい」という二者択一の問いは、両書の性格には合いません。両書は目的が異なる別の書物であり、同じ時代の出来事や神話を別の視点・別の文体で記録したものです。たとえば日本書紀の「一書」が複数の異伝を併記しているように、古代の伝承には元から多様性があり、両書はその多様性を異なる形で記録したと理解するのが適切です。

先にどちらを読むべきですか?

初学者にとっては古事記から始めるほうが入りやすいとされることが多いです。物語性が強く、神話・伝承の流れを追いやすいためです。日本書紀は漢文体の正史で内容も体系的なため、古事記の物語に親しんだあとに、より公式な歴史書として読み進めるとよいでしょう。現代語訳やマンガ版も多数出版されています。

風土記・万葉集との違いは?

同じ奈良時代初期に編纂された関連書物に、地誌「風土記(ふどき)」(713年に編纂命令)と歌集「万葉集(まんようしゅう)」(8世紀後半成立)があります。風土記は各国(地方)の地名・産物・伝承を記録した地方誌で、万葉集は古代日本の和歌を集めた歌集です。古事記・日本書紀が中央の歴史書であるのに対し、風土記は地方の記録、万葉集は文学作品という位置づけになります。

神話は事実? 創作?

神代の記述は、現代の歴史学ではそのままの事実とは扱われていません。一方で、神話は古代日本の世界観・氏族関係・地理感覚を伝える重要な史料として研究されています。「事実か創作か」の二項対立ではなく、古代日本の人々がどのように世界を理解し、どのように記録したかを読み解く資料、と捉えるのが一般的です。

何が記されているのですか?

両書とも神代から始まり、歴代天皇の記録へと続く構成です。神代では国生み(イザナギ・イザナミ)、天照大神の岩戸隠れ、スサノオのヤマタノオロチ退治、オオクニヌシの国譲り、天孫降臨など、日本神話の主要なエピソードが記されています。人代では神武天皇から始まる歴代天皇の事績や物語が、それぞれの書物の形式で記録されています。

教科書ではどう扱われていますか?

中学・高校の歴史教科書では、奈良時代初期の重要な歴史書として、両書の成立年(古事記712年、日本書紀720年)、編纂者(古事記は太安万侶による撰録・稗田阿礼の誦習、日本書紀は舎人親王らによる編纂)、文体の違い(変体漢文 vs 漢文体)などが基本事項として扱われます。神代の記述については、神話・伝承として扱い、史実とは区別する記述が一般的です。

まとめ|2つの書物が伝える日本の出発点

古事記と日本書紀は、同じ8世紀初頭に編纂されながら、目的・文体・神話の扱いが異なる対照的な歴史書です。「古事記は内廷的、日本書紀は外廷的」と説明されることが多く、この見方を手がかりにすると、両書の違いを初学者にも理解しやすくなります。

違いと共通点のクイックチェック

  • 成立年は古事記712年・日本書紀720年(わずか8年差)
  • 編纂者は古事記が太安万侶・稗田阿礼、日本書紀が舎人親王ら編纂チーム
  • 文体は古事記が変体漢文・万葉仮名、日本書紀が漢文体
  • 編纂目的は「古事記=内廷的・日本書紀=外廷的」と説明されることが多い(代表的な見方)
  • 古事記は出雲神話を厚く扱い、日本書紀は「一書」で異伝を併記
  • 共通点は天武朝起点・神代から女帝までの構成・漢字記述

日本神話と関連する記事

古事記と日本書紀の違いを押さえたら、神社や神話の個別エピソードを読み解く記事もあわせてどうぞ。

参考・引用ソース

主要ソース(公式・準公式)

補助的参考

著者について

あやとき編集部は、神社・神道・日本の伝統文化の「綾(織り合わされたパターン)」を「解く(読み解く)」ことをテーマに、公的資料を主に参照し、必要に応じて専門資料で確認しながら記事を制作しています。本記事は国立公文書館「歴史と物語」(古事記・日本書紀)、奈良県公式「なら記紀・万葉」、島根県観光連盟「しまね神話」、JapanKnowledge「古典への招待」を主要ソースとし、Wikipedia「古事記」「日本書紀」「万葉仮名」を補助的に確認しました。

古事記・日本書紀の研究には、文献学・歴史学・神話学などの専門分野で多様な解釈があり、本記事で紹介した内容は代表的な見解の一つです。原典そのものや専門書には、本記事で扱いきれなかった精緻な議論が多く残されています。さらに踏み込んで学びたい方には、現代語訳や入門書、各地の博物館・資料館の展示などをおすすめします。

※ 本記事の画像はChatGPT 等の生成AIによる象徴的なイメージ画像です。実際の景観とは異なる場合があります。詳細は免責事項をご覧ください。

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この記事を書いた人

あやとき編集部は、40代の編集メンバーで運営しています。子を持つ親としても、一人の人間としても、暮らしに息づく神社との関わりを大切にしながら、全国の神社文化を丁寧に読み解いていきます。

神道や神社の奥深さを、専門用語に頼らず、どなたにも分かりやすい言葉でお届けします。読者の方と同じ目線で、共に学んでいく姿勢を基本としています。詳しくは運営者情報をご覧ください。

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