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葵祭とは|賀茂祭の正式名称と王朝祭礼の起源を読み解く

ivory washi 背景に painterly な王朝祭礼の象徴的構成、画面中央に黒漆塗りの牛車(御所車)の大きな車輪 1 つの上半身が静かに置かれ、その手前にフタバアオイの葉が 3 枚控えめに散らされている。左上に横書きタイトル「葵祭とは」を mincho 太字で配したアイキャッチ画像。牛車車輪とフタバアオイで賀茂祭(葵祭)の王朝祭礼を象徴

5 月の京都に、フタバアオイで飾られた牛車や勅使、伝統装束の供奉者が約 8km とされる道のりを進む祭礼があります。葵祭(あおいまつり)は、京都の祇園祭、時代祭と並ぶ京都三大祭の一つに数えられ、賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の例祭として、5 月 15 日に営まれる古い祭礼です。

本記事ではまず、葵祭の正式名称が「賀茂祭」であり、「葵祭」の呼び名が元禄期の再興以後、江戸時代中頃から広く用いられるようになった経緯を整理します。続いて、下鴨神社と上賀茂神社の二社にわたる祭儀、6 世紀中葉の起源と伝わる鴨の神への祈りから平安時代の隆盛、戦乱期の中断と江戸時代再興、斎王代を中心とする女人列が 1956 年に復興された現代の演目であること、流鏑馬神事・賀茂競馬などを含む 5 月の祭礼期間、京都三大祭の中での位置、観覧と参拝の手引きまでを、両神社公式・宮内庁京都御所ページ・京都市文化史解説・京都市公式観光案内などを主な手がかりに整理します。

目次

葵祭とは|京都三大祭・賀茂神社の例祭

5 月の青空のもと、下鴨神社(賀茂御祖神社)の朱色の楼門を正面から仰ぐ painterly な情景。檜皮葺の屋根が深い色合いで、楼門の手前と両脇には糺の森の若々しい青葉が広がる。境内の参道は人影なく清浄。京都三大祭の舞台となる賀茂社の象徴的な姿を映す画像

葵祭は、京都市の賀茂御祖神社(下鴨神社)賀茂別雷神社(上賀茂神社)の両社で営まれる例祭です。毎年 5 月 15 日に行われ、京都御所から下鴨神社を経て上賀茂神社へ向かう行列「路頭の儀」が、平安装束の供奉者によって都大路を進みます。

この記事のポイント
  • 葵祭は下鴨神社と上賀茂神社の例祭で、毎年 5 月 15 日に営まれる京都三大祭の一つ
  • 正式名称は「賀茂祭(かもさい)」。「葵祭」の呼び名は元禄期の再興以後、江戸時代中頃から広く用いられるようになった
  • 起源は 6 世紀中葉の欽明天皇期に遡ると社伝で伝えられ、平安時代には「祭」といえば賀茂祭を指すほどに尊崇された
  • 斎王代を中心とする女人列は、平安時代に賀茂社へ奉仕した斎王(未婚の内親王)に倣い、昭和 31 年(1956 年)に復興された現代の演目
  • 葵祭は 5 月 15 日 1 日のみではなく、流鏑馬神事(5/3)・賀茂競馬(5/5)・御阿礼神事(5/12)などを含む 5 月の祭礼期間として営まれる

葵祭の基本(5 月 15 日、下鴨神社と上賀茂神社の例祭)

葵祭の中心となる路頭の儀は、毎年 5 月 15 日に営まれます。京都御所の建礼門前を午前 10 時 30 分に出発した行列は、丸太町通・河原町通を経て下鴨神社に到着し、社頭の儀を経て午後に下鴨神社を発ち、賀茂川堤を北上して上賀茂神社へ至ります。総勢約 500 名、馬 36 頭、牛 4 頭を伴う、平安装束の供奉者による行列です。

5 月 15 日が雨天の場合は翌 16 日に順延され、両日とも雨天の場合は中止となる場合があります。神社の祭りと神事の体系のなかでは、例祭(年に一度の大祭)に勅使の差遣を伴う代表例として位置づけられます。

正式名称は「賀茂祭」(かもさい)

葵祭の正式名称は「賀茂祭」です。両神社の公式では現在も「賀茂祭(葵祭)」と並記されることが多く、神事としての本来の呼び名は古くから続く賀茂祭です。「葵祭」という通称は、江戸時代の元禄 7 年(1694 年)の再興以後、江戸時代中頃から広く用いられるようになりました。フタバアオイの葉で祭具や装束を飾る慣習に由来します(詳しくは H2-03 で扱います)。

京都三大祭と古い起源を伝える祭礼

葵祭は、京都の祇園祭(7 月)・時代祭(10 月)と並ぶ京都三大祭の一つです。さらに、神田祭(東京)や祇園祭などと並ぶ古い祭礼として、現存する日本の祭礼の中でも長い歴史を持つものに数えられます。平安時代の宮廷文化の面影を今に伝える、古い起源を伝える祭礼の一つとして知られています。

賀茂神社の二社一体(下鴨神社・上賀茂神社)

ivory washi 背景に painterly な横一列の対比図解。左に下鴨神社(賀茂御祖神社)を表す朱色の楼門アイコンが 1 つ、右に上賀茂神社(賀茂別雷神社)を表す円錐形の立砂(たてずな)アイコンが 1 つ並ぶ。両者の中央には細い線が引かれ、二社にわたる祭儀を示す。各アイコンの下に小さなラベル「下鴨神社」「上賀茂神社」が painterly タッチで描かれる

葵祭は、下鴨神社と上賀茂神社という二つの神社にわたる祭儀として営まれます。両社は古くから賀茂氏一族が奉斎してきた賀茂社の双璧で、ともにユネスコ世界遺産「古都京都の文化財」に含まれる京都でも屈指の古社です。

神社所在地主祭神路頭の儀での順
賀茂御祖神社(下鴨神社)京都市左京区下鴨賀茂建角身命・玉依姫命京都御所から先に到着
賀茂別雷神社(上賀茂神社)京都市北区上賀茂賀茂別雷神下鴨神社の後に到着

賀茂御祖神社(下鴨神社)とその祭神

下鴨神社(賀茂御祖神社)は、京都市左京区の糺の森に鎮座する古社です。主祭神は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)玉依姫命(たまよりひめのみこと)の二柱で、上賀茂神社の主祭神である賀茂別雷神の母方の祖父と母にあたります。神々の体系の中で、賀茂氏一族の始祖神として古代から奉斎されてきました。

賀茂別雷神社(上賀茂神社)とその祭神

上賀茂神社(賀茂別雷神社)は、京都市北区の賀茂川上流に鎮座する古社です。主祭神は賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)で、玉依姫命が川で拾った丹塗矢から生まれたと伝わる雷の神格です。賀茂神社の神紋であるフタバアオイは、この神が天降る際に「葵桂を飾れ」と告げたという伝承に由来するといわれます。

下鴨と上賀茂、両社にわたる祭儀

葵祭の路頭の儀は、京都御所を出発した行列がまず下鴨神社で社頭の儀を行い、その後に上賀茂神社へ向かって再び社頭の儀を行うという、両社にわたる祭儀です。下鴨神社は賀茂別雷神の母神・玉依姫命と外祖父・賀茂建角身命を祀り、上賀茂神社は賀茂別雷神を祀ります。この神統譜を背景に、路頭の儀は京都御所から下鴨神社、さらに上賀茂神社へと進みます。

葵祭の起源と歴史(6 世紀から現代まで)

ivory washi 背景に painterly な古い絵巻物 1 巻が画面中央に広げられ、右奥に黒い漆塗りの古い書箱、左手前にフタバアオイの葉が 1 枚控えめに置かれている。絵巻物の中央には筆書きの文字風の線が薄く流れる(具体的な漢字は読めないように)。賀茂祭の古い由緒を記した平安期の典籍を象徴する画像

葵祭の歴史は、日本の神社祭礼の中でも古く、賀茂神社の社伝では 6 世紀中葉の欽明天皇期に遡ると伝えられます。古くから続く素朴な祈りに始まり、平安時代に朝廷との結びつきが深い祭礼として隆盛し、戦乱期に中断したのち、江戸時代に再興されました。

6 世紀中葉の起源(欽明天皇期、五穀豊穣の祈り)

賀茂神社の社伝では、欽明天皇の時代(6 世紀中葉)に、風雨が激しく五穀が実らない年が続いたため、賀茂の大神を崇敬する伊吉若日子(いきのわかひこ)に占わせたところ、賀茂の神々への祈りが必要であるとされ、4 月の吉日に祭礼が行われたと伝えられます。この祭礼が風雨を鎮め、五穀豊穣をもたらしたという伝承が、賀茂祭の原型として語り継がれてきました。

平安時代に「祭」といえば賀茂祭を指した

平安時代に入ると、賀茂祭は朝廷との結びつきが深い祭礼として重んじられました。上賀茂神社公式では、大同 2 年(807 年)に勅祭として始まり、弘仁 10 年(819 年)には中祀に準じて斎行するよう勅が下されたと伝えられます。平安中期には、貴族の間で単に「祭」といえば賀茂祭を指したほどに隆盛し、『枕草子』『源氏物語』にもその華やぎが描かれています。

賀茂祭は古くから勅使の参向を伴う重要な祭礼であり、近代以降は石清水祭(石清水八幡宮)・春日祭(春日大社)とともに日本三勅祭の一つに数えられています。現在も宮内庁から勅使が遣わされ、路頭の儀では勅使役の近衛使代を中心とする本列が都大路を進みます。

鎌倉・室町・戦乱期の中断と江戸時代再興(1694 年)

平安時代に隆盛を極めた賀茂祭も、鎌倉・室町時代を経て次第に衰え、応仁の乱(1467-1477 年)などの戦乱期には行列が姿を消しました。長らく中断していた祭礼が再興されたのは、江戸時代の元禄 7 年(1694 年)のことです。徳川幕府と朝廷の協力のもとで、王朝風俗の行列が約 200 年ぶりに復活しました。

なぜ「葵祭」と呼ばれるのか(葵で飾る由来は江戸再興後)

「葵祭」という通称は、1694 年の再興以後、御簾・牛車・勅使と供奉者の衣冠・牛馬にいたるまで、すべてフタバアオイの葉で飾るようになったことに由来します。フタバアオイは賀茂社ゆかりの神紋でもあり、徳川家の三つ葉葵の家紋とも縁が深い植物です。江戸時代中頃から、この呼び名が広く用いられるようになり、現在では正式名称の賀茂祭よりも葵祭の方が知られるようになりました。

斎王代を中心とする女人列(1956 年復興の演目)

5 月中旬の賀茂川堤の遠景。画面下半分に石畳の沿道と若々しい青葉並木、画面中央には平安装束の行列のシルエットが遠景で薄く描かれる(人物の顔や具体的な装束のディテールは識別できない距離)。画面奥には穏やかな初夏の青空が広がる。葵祭路頭の儀の華やぎを遠景で控えめに伝える画像

葵祭の路頭の儀で最も注目を集めるのが、斎王代(さいおうだい)を中心とする女人列です。腰輿(およよ)に乗り、十二単をまとった斎王代の優美な姿は、平安装束の文化を現代に伝える役として、毎年メディアでも大きく取り上げられます。

古代の斎王(未婚の内親王・賀茂社に奉仕)

斎王とは、古くから賀茂神社や伊勢神宮に奉仕した未婚の内親王(または女王)のことです。賀茂の斎王は嵯峨天皇の皇女・有智子内親王に始まり、平安時代を通じて歴代の皇族女性が務めました。賀茂社の斎王は斎院と呼ばれる御所で潔斎し、葵祭に奉仕したと伝えられます。鎌倉時代に入ると、斎王制度は途絶えました。

斎王の制度は伊勢と賀茂で別だった

斎王という言葉でひとまとめにされがちですが、伊勢神宮の斎宮と賀茂社の斎院は別々の制度で、続いた長さも人数も終わり方も違います。三重県の斎宮歴史博物館の解説では、伊勢に仕えた斎王は飛鳥時代(7 世紀後半)に始まり、元弘 3 年(1333 年)を最後に、約 660 年のあいだに 60 人あまりが選ばれたとされます。

一方、国立国会図書館のレファレンス(国史大辞典などをもとにした回答)では、賀茂の斎院は 9 世紀の初めから 13 世紀の初めまでの約 400 年間、35 人が務めたとされ、伊勢よりおよそ 100 年早くとだえています。賀茂の斎院は鎌倉時代の初めを最後に廃絶し、その後は置かれていません。この点でも、昭和 31 年(1956 年)に加わった今の斎王代は、昔の制度をそのまま受け継いだものではありません。

1956 年(昭和 31 年)女人列の復興

斎王代を中心とする女人列は、古代の斎王に倣って葵祭を彩る役で、昭和 31 年(1956 年)に復興されました。京都の市民と賀茂神社の協力のもとで斎王代を中心とする女人列が復興され、現在まで葵祭路頭の儀の華やぎを担っています。「斎王の代わり」を意味することから「斎王代」と呼ばれます。

現代の斎王代と選出(京都ゆかりの一般女性)

現代の斎王代は、毎年京都ゆかりの一般女性から選ばれます。古代の斎王が皇族であったのとは異なり、現代の斎王代は皇族ではない一般の女性です。十二単を身にまとい、腰輿に乗って路頭の儀に参列する姿は、葵祭の華やぎの中心として知られています。斎王代を中心に、命婦(みょうぶ)・女嬬(にょじゅ)・采女(うねめ)などの平安装束の女性たちが続きます。

斎王代禊の儀(下鴨・上賀茂で隔年実施)

葵祭の前儀の一つに斎王代禊の儀があります。これは斎王代と女人列の女性たちが、下鴨神社の御手洗池または上賀茂神社の楢の小川で身を清める神事で、両社が隔年で交互に実施します。例年 5 月 4 日頃に営まれ、葵祭の清祓を担う前儀です。実施場所は両神社公式の最新発表でご確認ください。

葵祭の主要神事(5 月の祭礼期間)

ivory washi 背景に painterly な横一列の 5 月タイムライン図解。左から「5/1 足汰式」「5/3 流鏑馬」「5/5 賀茂競馬」「5/12 御阿礼」「5/15 路頭の儀」の 5 つのアイコン枠が並ぶ。各アイコンは馬の蹄跡 1 つ、矢 1 本、駆ける馬の輪郭 1 つ、灯篭 1 つ、牛車の車輪 1 つで表現され、各枠の上に日付、下に小さな神事名のラベル(漢字 2-3 文字)が painterly タッチで描かれる

葵祭は 5 月 15 日の行列だけでなく、5 月を通じて関連神事が続く祭礼です。賀茂競馬足汰式(5/1)に始まり、流鏑馬神事(5/3)、賀茂競馬(5/5)、斎王代禊の儀(例年 5/4 頃)、御阿礼神事(5/12 夜)、そして 5/15 の路頭の儀・社頭の儀へと続きます。

御神輿は出ない(主役は天皇の使い)

お祭りというと、神社の御神輿に神様を乗せて担ぐ姿を思い浮かべる方が多いかもしれません。ですが葵祭の行列には、神様を運ぶ神輿渡御はありません。京都市の公式観光サイトに載った葵祭行列保存会の会長のインタビューでは、行列でお出かけするのは勅使(天皇の使い)であって、神様のお出かけにあたる神輿はない、と語られています。

とはいえ、神社が関わらないわけではありません。行列が下鴨神社と上賀茂神社に着いたあとの社頭の儀は、両社の神職が執り行う正式な神事です。整理すると、行列の運営は保存会、神事は神社という役割分担になっています。「主催はどこか」で迷ったときは、この二つを分けて考えるとわかりやすいです。

流鏑馬神事(下鴨神社・祭礼路の清祓)

流鏑馬神事(やぶさめしんじ)は、毎年 5 月 3 日に下鴨神社の糺の森の馬場で営まれます。2026 年は 5 月 3 日(日)に実施予定です。疾走する馬上から的を射る古式ゆかしい神事で、葵祭の祭礼路を清めるという意味合いを持ちます。射手は鎌倉時代の武士装束を身にまとい、3 つの的を順に射抜く様子に多くの観覧者が集まります。

賀茂競馬(上賀茂神社・五穀豊穣祈願の馬の競べ)

賀茂競馬(かもくらべうま)は、毎年 5 月 5 日に上賀茂神社で営まれる五穀豊穣を祈願する神事です。2026 年は 5 月 5 日(火)に実施予定です。寛治 7 年(1093 年)の堀河天皇の時代に始まったと伝わり、左方・右方に分かれた 2 頭の馬が直線の馬場を駆け抜けて競います。前儀として 5 月 1 日に組み合わせと走順を決める足汰式(あしぞろえしき)が営まれます。

御阿礼神事(上賀茂神社・神迎えの夜の神事)

御阿礼神事(みあれしんじ)は、毎年 5 月 12 日の深夜に上賀茂神社で営まれる神迎えの神事です。一般には非公開の神事として知られ、詳細は神社公式の案内に委ねられます。葵祭へ向けた重要な前儀の一つです。

路頭の儀(京都御所から下鴨・上賀茂神社への王朝行列)

路頭の儀は、5 月 15 日の葵祭の中心となる行列の儀です。2026 年は 5 月 15 日(金)に実施予定で、雨天の場合は 5 月 16 日(土)に順延されます。京都御所の建礼門前を午前 10 時 30 分に出発した行列は、丸太町通から河原町通を北上し、下鴨神社へ午前 11 時 40 分頃に到着します。社頭の儀のあと、午後 2 時 20 分に下鴨神社を発ち、賀茂川堤を経て上賀茂神社へ午後 3 時 30 分頃に到着します。

行列は本列(ほんれつ)斎王代列の二つに分かれます。本列は勅使を中心とする男性中心の行列で、検非違使・山城使・牛車・舞人・近衛使などの平安装束の供奉者から構成されます。斎王代列は斎王代を中心とする女性の行列で、十二単の女嬬・采女などが続きます。

社頭の儀(下鴨・上賀茂で勅使が御祭文を奏上)

社頭の儀は、路頭の儀の途中に下鴨神社と上賀茂神社のそれぞれで営まれる神事です。両社で勅使が天皇の御祭文(ごさいもん)を奏上し、御幣物が奉られます。続いて走馬の儀などが行われ、葵祭の古い由緒を伝える要素とされています。

行列の中で新しい部分と古い部分

葵祭を一つのかたまりとして見ると気づきにくいのですが、行列の中の部分ごとに、始まった時期も、続き方も違います。上賀茂神社の公式の説明をたどると、同じ形のまま続いてきたわけではないことがわかります。

  • 応仁の乱のあとに廃絶し、元禄 7 年(1694 年)に再興
  • 明治のはじめに一度とだえ、明治 17 年(1884 年)に再興
  • 昭和 18 年(1943 年)には行列が取りやめとなり(社頭の儀は続けられた)、昭和 28 年(1953 年)にふたたび行列が出るようになった
  • 斎王代を中心とする女人列は昭和 31 年(1956 年)に加わった

一方で、勅使が社頭の儀で御祭文を奏上する部分は、賀茂祭が平安時代の初めに朝廷の勅祭となって以来の、いちばん古い由緒に連なります。いちばん人目を引く斎王代の列は、この中でいちばん新しく加わった部分にあたります。

葵祭は千年以上ずっと同じ形で続いてきた、と考える人は多いと思います。でも実際には、何度も途切れています。私は、途切れるたびに人がもう一度形にして受け継いできたこと自体が、この祭りの古さの中身ではないかと考えています。ずっと変わらずに残ったものより、なくなりかけても人が呼び戻したものだと思うと、行列を見る気持ちも少し変わります。

京都三大祭の中での位置(葵祭・祇園祭・時代祭)

ivory washi 背景に painterly な横一列の 3 つの鳥居アイコン。左に上賀茂神社(葵祭)を表す朱色の鳥居 1 基、中央に八坂神社(祇園祭)を表す朱色の鳥居 1 基、右に平安神宮(時代祭)を表す朱色の大鳥居 1 基が並ぶ。各鳥居の下に祭礼名「葵祭」「祇園祭」「時代祭」のラベル(漢字 3 文字)が painterly タッチで描かれる。京都三大祭の舞台となる 3 つの神社を象徴的に対比する図解

葵祭は、京都三大祭(葵祭・祇園祭・時代祭)のなかでも古い起源を伝える祭礼として知られています。三つの祭は同じ京都三大祭に数えられますが、葵祭は朝廷との結びつき、祇園祭は町衆の力、時代祭は近代京都の記念事業というように、成り立ちも担い手も大きく異なります。

祭礼起源性格担い手
葵祭6 世紀中葉(欽明天皇期)王朝祭礼・国家祭祀朝廷・賀茂神社
祇園祭869 年(貞観 11 年)疫病退散の都市祭礼八坂神社・町衆
時代祭1895 年(明治 28 年)平安遷都 1100 年記念平安神宮・市民

葵祭に残る王朝祭礼の面影

葵祭は、社伝に伝わる起源で見ると、京都三大祭の中でも特に古い由緒を持つ祭礼です。6 世紀中葉の欽明天皇期に遡ると伝えられ、平安時代には朝廷との結びつきが深い祭礼として営まれました。現代に伝わる王朝風俗の行列は、平安時代の宮廷文化の面影を今に伝える代表的な祭礼の一つです。

装束は平安時代そのままの再現ではない

王朝の面影を伝える行列の装束は、平安時代の宮廷装束をそのまま忠実に写したものと思われがちです。ですが実際には、江戸時代の再興のあと、後の世の考証にもとづいて整えられてきた形です。京都宮廷文化研究所のコラムでは、装束の考証にはかなり無理があり、本来の官位に合わない装束を着ている例もある、と説明されています。京都観光の公式サイトでも、葵祭の行列は時代に合わせて少しずつ変わってきた一方で、基本の形や作法は平安時代の様式を伝えている、と紹介されています。

ただ、これは行列が仮装だという話ではありません。実在した宮廷装束の伝統を受け継いでいる点は変わりません。ある一つの時代の姿をそっくり写したもの、というわけではない、ということです。

祇園祭との違い(869 年起源・町衆主導)

祇園祭は、869 年(貞観 11 年)の疫病流行を鎮めるための御霊会を起源とする祭礼です。中世以降は町衆が山鉾を維持・運営する都市祭礼として発展しました。葵祭が朝廷との結びつきが深い祭礼であるのに対して、祇園祭は町衆の祭として性格づけが対照的です。

時代祭との違い(1895 年・平安遷都 1100 年記念)

時代祭は、1895 年(明治 28 年)に平安神宮の創建と平安遷都 1100 年記念として始まった祭礼で、京都三大祭の中では最も新しい祭礼です。延暦時代から明治維新までの各時代の風俗装束をまとった行列が、京都御苑から平安神宮へ向かいます。葵祭の王朝行列が「平安時代の宮廷文化の継承」であるのに対し、時代祭は「明治の創出による京都の歴史的記憶の再構築」という性格を持ちます。

日本三勅祭(葵祭・石清水祭・春日祭)としての位置づけ

葵祭は、京都三大祭としての位置に加えて、近代以降は石清水祭(石清水八幡宮、9 月)・春日祭(春日大社、3 月)とともに日本三勅祭の一つに数えられます。勅使が遣わされる勅祭のうち、賀茂祭・石清水祭・春日祭は日本三勅祭と称され、現代も三社で宮内庁の勅使参向が続いています。神道の世界観の中で、朝廷と神社祭祀の結びつきを今に伝える祭礼の系譜として位置づけられます。

葵祭の楽しみ方(2026 年路頭の儀に向けて)

5 月中旬の賀茂川堤近くの境内を上から俯瞰した painterly な情景。画面下半分に石畳の散歩道、両脇に若々しい青葉のケヤキやモミジの並木、画面奥に小さく朱色の鳥居 1 基が見える。空は爽やかな初夏の青空、参道は静かで人影なし。葵祭の季節感(初夏の青葉と石畳の落ち着き)を伝える観覧前夜の情景

葵祭の路頭の儀を観覧する際には、観覧場所・アクセス・服装・マナーの準備が役に立ちます。2026 年の路頭の儀は 5 月 15 日(金)、雨天の場合は 5 月 16 日(土)に順延されます。

観覧のおすすめスポット(京都御所・河原町通・賀茂川堤)

路頭の儀の観覧スポットは大きく分けて三つあります。京都御所(建礼門前広場)では出発の様子を間近で見られ、下鴨神社参道では森を背景にした王朝装束の行列を観覧できます。両所には有料観覧席が設けられます(2026 年は 5,000 円台から 20,000 円程度まで)。沿道では河原町通(下鴨神社到着前)や賀茂川堤(上賀茂神社到着前)が無料で観覧しやすいスポットです。

質問サイトには「有料観覧席は本当に必要か」と迷う声も見られます。行列は長い列をなして進むので、沿道の無料スポットでも見ることはできます。一方で、座ってゆっくり眺めたい場合や、よい位置をしっかり取りたい場合は有料観覧席が向いています。有料観覧席は例年春頃から販売され、早い年には売り切れることもあるため、日程が決まったら早めに確保しておくと取りやすくなります。

下鴨・上賀茂神社へのアクセスと参拝の作法

下鴨神社へは京阪電車「出町柳」駅から徒歩約 12 分が中心的なアクセスです。京都御所側から徒歩で移動する場合は、距離があるため時間に余裕を見ておくと安心です。上賀茂神社へは京都市バス 4 系統「上賀茂神社前」下車すぐです。参拝の前後には神社参拝の基本作法を確認しておくと安心です。御朱印を希望する場合は、御朱印のもらい方の手順に沿って授与所で受けます。

服装と所作のマナー(雨天順延の可能性)

5 月中旬の京都は気温の寒暖差があり、屋外での長時間観覧になるため、薄手の上着とレインコート(折りたたみ傘ではなく上下のレインコートが望ましい)を持参すると安心です。2026 年の有料観覧席では三脚や日傘の使用は禁止と案内されており、観覧の際には主催者の案内に従います。神社境内では、行列を見守る他の参拝者の妨げにならないよう静かに観覧することが大切です。

2026 年葵祭日程の整理

2026 年の葵祭の主な神事日程は、流鏑馬神事(5 月 3 日 日曜)、賀茂競馬足汰式(5 月 1 日 金曜)、賀茂競馬(5 月 5 日 火曜)、斎王代禊の儀(例年 5 月 4 日頃・実施場所は年により確認)、御阿礼神事(5 月 12 日頃 深夜)、路頭の儀(5 月 15 日 金曜)、社頭の儀(5 月 15 日)です。最新の日程は両神社公式や京都市公式観光案内で確認してから参拝の計画を立てることをおすすめします。

よくある質問(FAQ)

2026 年の葵祭はいつですか?
2026 年の路頭の儀(行列の儀)は 5 月 15 日(金)に行われます。雨天の場合は翌 5 月 16 日(土)に順延され、両日とも雨天の場合は中止となる場合があります。前儀として 5 月 3 日(日)に下鴨神社の流鏑馬神事、5 月 5 日(火)に上賀茂神社の賀茂競馬などが営まれ、葵祭は 5 月の祭礼期間として位置づけられます。最新の日程は両神社公式でご確認ください。
葵祭はなぜ「葵」と呼ばれるのですか?
葵祭の正式名称は「賀茂祭」(かもさい)です。「葵祭」の呼び名は、江戸時代の元禄 7 年(1694 年)の再興以後、江戸時代中頃から広く用いられるようになりました。御簾・牛車・勅使と供奉者の衣冠・牛馬にいたるまで、フタバアオイの葉で飾るようになったことに由来します。フタバアオイは賀茂神社の神紋でもあります。
葵祭が行われる賀茂神社とはどこの神社ですか?
葵祭は京都市の二つの神社、賀茂御祖神社(下鴨神社・左京区下鴨)と賀茂別雷神社(上賀茂神社・北区上賀茂)の例祭です。下鴨神社は賀茂別雷神の母神・玉依姫命と外祖父・賀茂建角身命を祀り、上賀茂神社は賀茂別雷神を祀ります。両社は古くから賀茂氏一族が奉斎してきた両社にわたる祭儀を行ってきました。
斎王代(さいおうだい)とはどんな役割ですか?
斎王代を中心とする女人列は葵祭の路頭の儀の華やぎを担う役で、平安時代に賀茂社へ奉仕した斎王(未婚の内親王)に倣って、昭和 31 年(1956 年)に復興された現代の演目です。古代の斎王は皇族でしたが、現代の斎王代は京都ゆかりの一般女性から選ばれます。十二単をまとい、腰輿(およよ)に乗って行列に加わります。
葵祭と祇園祭、どちらが古いのですか?
社伝に伝わる起源では葵祭の方が古いと伝わります。葵祭は 6 世紀中葉の欽明天皇期に鴨の神の祭礼として始まったと伝えられ、平安時代には「祭」といえば賀茂祭を指すほどでした。一方、祇園祭は 869 年(貞観 11 年)の御霊会が起源で、疫病退散の庶民祭として発展しました。葵祭が朝廷との結びつきが深い祭礼であるのに対し、祇園祭は町衆主導の都市祭礼という質的な違いがあります。
葵祭では神社の御神輿(みこし)が出ますか?
葵祭の行列には、神様を乗せて担ぐ神輿渡御はありません。都大路を進むのは天皇の使いである勅使を中心とする行列で、京都市公式観光サイトの行列保存会会長インタビューでも「お出かけするのは勅使」と語られています。ただし行列が下鴨神社と上賀茂神社に着いたあとの社頭の儀は、両社の神職が執り行う正式な神事です。行列の運営は葵祭行列保存会、神事は神社という役割分担になっています。
葵祭の装束は平安時代のものをそのまま再現していますか?
実際の装束は江戸時代の再興のあとに考証で整えられてきた形をもとにしており、平安時代のある一時代をそっくり忠実に写したものではありません。京都宮廷文化研究所のコラムでは、装束の考証にはかなり無理があり、本来の官位に合わない装束を着ている例もあると説明されています。ただし葵祭の行列は仮装行列ではなく、実在した宮廷装束の伝統を受け継いでいます。

葵祭を理解するための要点

葵祭は、賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の例祭で、毎年 5 月 15 日に営まれる京都三大祭の一つです。正式名称は「賀茂祭」であり、「葵祭」の呼び名は江戸時代の元禄 7 年(1694 年)の再興以後、江戸時代中頃から広く用いられるようになりました。フタバアオイで祭具や装束を飾る慣習に由来します。

起源は 6 世紀中葉の欽明天皇期に遡ると社伝で伝えられ、平安時代には「祭」といえば賀茂祭を指すほどに尊崇されました。近代以降は石清水祭・春日祭とともに日本三勅祭の一つとして数えられ、戦乱期の中断を経て江戸時代に再興されました。斎王代を中心とする女人列は、平安時代に賀茂社へ奉仕した斎王(未婚の内親王)に倣う1956 年復興の演目で、十二単をまとい腰輿に乗って行列に加わる姿が葵祭の華やぎを担っています。

葵祭は 5 月 15 日 1 日のみではなく、流鏑馬神事(5/3)・賀茂競馬(5/5)・御阿礼神事(5/12)などを含む 5 月の祭礼期間として営まれます。2026 年の路頭の儀は 5 月 15 日(金)、雨天の場合は 5 月 16 日(土)に順延されます。最新の日程は両神社公式でご確認のうえ参拝の計画を立てることをおすすめします。

参考文献・参照リンク

※ 本記事の画像はChatGPT 等の生成AIによる象徴的なイメージ画像です。実際の景観とは異なる場合があります。詳細は免責事項をご覧ください。

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この記事を書いた人

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