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式年遷宮とは|20年ごとに建て替える理由と2033年までの予定

晩秋の明るい朝、杉と檜の深い森を少し高いところから見下ろした絵。隣りあう同じ広さの二つの敷地に、同じ形の茅葺きの社殿が一棟ずつ建ち、左は真新しい淡い木の色、右は日に焼けて落ち着いた色をしている。左上にタイトル「式年遷宮とは」を横一行で配したアイキャッチ画像

伊勢神宮では、20年ごとに社殿を新しく建て替えます。そう聞くと、まだ使える建物を壊してしまうように思えるかもしれません。Yahoo!知恵袋にも、20年ごとに造り替えるのはもったいない気がする、木材や労力もかかるのにそこまでする必要があるのか、という質問が寄せられています。

けれど、古い社殿の木は取り壊したあとも使われます。伊勢神宮によると、正殿の屋根を支えていた柱は宇治橋の鳥居になり、さらに別の場所の鳥居になって、合わせて60年使われます。次の第63回の式年遷宮も、令和15年(2033)の本番を待たずに、令和7年(2025)5月のお祭りからすでに始まっています。

この記事では、伊勢神宮の公式サイトと神社庁の資料、辞典の説明をもとに、式年遷宮で何を新しくするのか、なぜ20年なのか、2033年までにいつ何があるのかを順に見ていきます。

この記事で分かること
  • 式年遷宮は、20年に一度、社殿や神さまの衣・道具をすべて新しくして、天照大御神に新しいお宮へお遷りいただくお祭りであること(伊勢神宮)
  • なぜ20年なのかについて、伊勢神宮自身は「定説はありません」と書いていて、資料によって書き方の強さが違うこと
  • 第63回は令和7年(2025)に始まり、令和15年(2033)10月に予定されている遷御まで、一般の人が見られる行事や参加できる行事が年ごとにあること
目次

式年遷宮とは20年ごとに新しいお宮へ神さまにお遷りいただくお祭り

式年遷宮は「しきねんせんぐう」と読みます。伊勢神宮の説明では、「式年」は定められた年、「遷宮」は宮を遷(うつ)すことです。20年に一度、社殿や神さまの衣服・道具をすべて新しくして、天照大御神(あまてらすおおみかみ)に新しいお宮へお遷りいただくお祭りで、伊勢神宮はこれを「わが国最大のお祭り」と呼んでいます。

晩秋の明るい朝、杉と檜の森の中にある、丸い白い石を一面に敷きつめた平らな空き地を見た絵。中央に脚のついた小さな素木の屋根が一つだけ置かれ、右奥の木々のあいだから隣の敷地に建つ社殿の茅葺きの屋根がのぞく。次の遷宮で新しい社殿が建つ隣の敷地のイメージ

建て替えは、今の社殿を壊してから同じ場所に建てるのではありません。伊勢神宮の内宮(ないくう)にも外宮(げくう)にも、東と西に同じ広さの敷地があり、20年ごとに隣の敷地へ交互に建てます。新しい社殿ができてから神さまにお遷りいただくので、そのあいだは東西に新旧2つの社殿が並びます。伊勢神宮は、この光景を式年遷宮でしか見られないものとして紹介しています。

伊勢神宮は、式年遷宮のなかでいちばん重い儀式を「遷御(せんぎょ)」としています。神さまが古いお宮から新しいお宮へ移る儀式です。日本大百科全書(ニッポニカ)によると、遷宮と遷座(せんざ)は同じ意味で、一般の神社では遷座祭と呼び、伊勢神宮の遷宮祭と区別していました。

式年遷宮を説明するときに、よく「常若(とこわか)」という言葉が出てきます。第63回の特設ページのQ&Aで、伊勢神宮は、常若は「常に若々しい」という意味で、神宮にとっての理想だと説明しています。伊勢神宮の社殿がどんな形をしているかは『神明造とは』で書きました。

新しくなるのは社殿だけではない

造り替えるのは、内宮と外宮の正宮(しょうぐう、中心となるお宮)だけではありません。伊勢神宮によると、14所の別宮(べつぐう、正宮に次ぐお宮)や宇治橋なども造り替えられます。伊勢神宮の初心者向けページ「はじめての神宮」は、鳥居や宇治橋などを含めて170を超える建物すべてが建て替えられると書いています。

障子越しの明るい朝の光の中、板の間に置かれた木の手機を斜め前から見た絵。木枠に細い生糸が張られ、手前に織りかけの艶のある白い絹の布と木の杼があり、横の台には植物で染めた淡い色の糸の束が三つ並ぶ。神さまの衣服を昔ながらの道具で一から作るイメージ

建物のほかに、神さまの衣服や道具も新しく作ります。大御神の衣服や服飾品を「御装束(おんしょうぞく)」、武具・楽器・文具や日用品などを「神宝(しんぽう)」といい、伊勢神宮によるとその数は714種、1576点です。「はじめての神宮」には、生糸を植物の染料で染め、昔ながらの機織り機で織っていると書かれています。

使う木の量も大きく、伊勢神宮によると、遷宮全体で使う木材(御用材)は約8500立方メートルにのぼります。直径1メートル余り、樹齢400年以上の木も使われます。遷宮の時期には約150名の宮大工が造営に関わり、遷宮のない時期にも30名弱が社殿の修繕や次の遷宮の準備をしています(伊勢神宮)。

ただし、古いお宮のものがすべて取り払われるわけではありません。山川日本史小辞典によると、正殿の床下に埋められる「心御柱(しんのみはしら)」は、柱を守る覆屋(おおいや)とともに残されます。新しい正殿の床下には、予定年表にある心御柱奉建(しんのみはしらほうけん)を経て、新しい心御柱が建てられます。

なぜ20年ごとなのか、伊勢神宮は定説がないと書いている

20年に一度という決まりは、古い記録に書かれています。伊勢神宮の「式年遷宮の思想」によると、延暦23年(804)に神祇官(じんぎかん、朝廷の祭祀を受け持つ役所)へ出された『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』に「常に二十箇年を限りて一度」、平安時代の中ごろにまとめられた法典『延喜式(えんぎしき)』に「廿年(はたとせ)に一度」と書かれています。

ところが、同じページは続けて、その理由はどちらの書物にも書かれていないとしています。第63回の特設ページのQ&Aでも、伊勢神宮は理由をいくつか挙げたうえで、「なぜ20年かという定説はありません」と答えています。

一方で、ほかの資料には、理由をはっきり書いているものもあります。私が確かめた資料の書き方を、言い切りの強さが分かるように並べてみました。

資料20年について書いていること言い切りの強さ
伊勢神宮(第63回特設ページのQ&A)社殿の尊厳を保つため、宮大工や神宝を作る技術を受け継ぐためなど、理由はいろいろ推測されるが、なぜ20年かという定説はない言い切らない
伊勢神宮(はじめての神宮)なぜ20年に一度なのかは記録がなく、わかっていない言い切らない
精選版日本国語大辞典年限には諸説あるとしたうえで、神さまが降りてくるのにふさわしい新しい座を用意するのが本来の意味かと思われる、と書く推測として書く
日本大百科全書(ニッポニカ)20年は木造建築の耐久年限にかかわり、人間の1世代に当たり、大神の新たな生まれ変わりを意味する意味づけとして書く
福島県神社庁20年は人生の一区切りと考えられ、技術を伝えるのに合理的な年数とされる。20代で入門し、40代で熟練工になり、60代で指導者になる理由の説明として書く
伊勢市観光協会(第63回の特設ページ)20年という周期は、建築技術や祭祀(さいし)の作法を次の世代へ受け継ぐために定められた理由を言い切る

表に挙げた伊勢神宮の2つのページは、どちらも20年の理由を言い切っていません。ほかの資料には、推測として書くものと、説明を言い切って書くものがあります。言い切りの強さは、どれが正しいかの順番ではありません。技術を受け継ぐため、という説明はよく目にしますが、伊勢神宮のQ&Aは、それを推測されてきた理由の一つとして挙げています。

そのうえで伊勢神宮は、20年に一度行ってきた結果として、神明造(しんめいづくり)の建て方や御装束神宝を今に伝えることができたと書いています。「式年遷宮の思想」のページでは、技術を伝えることが、続けてきた結果として書かれています。

なぜ20年なのかについて、伊勢神宮は「定説はありません」と書いています。技術を伝えるためという説明はわかりやすいので、理由として書かれることもあります。私は、当の神宮が理由を言い切らないのは、20年という決まりを、理由を説明できるかどうかとは関係なく守ってきたからではないのかと考えています。途切れた時期をはさんで62回まで続いてきたのに、なぜ20年なのかには今も定説がないことが、式年遷宮でいちばん不思議なところだと思います。

木が傷むから20年、という説明を古い記録と照らし合わせる

式年遷宮の理由の一つに、「木造の社殿は20年ほどで傷んでしまうから」という説明があります。伊勢神宮の「はじめての神宮」も、これまで推測されてきた理由の一つとしてこれを挙げています。伊勢神宮の正殿は、柱の根元を地面に直接埋めて立てる掘立柱(ほったてばしら)の建物です(ブリタニカ国際大百科事典)。

この説明がどこから来たのかを、古い記録から順に見ていきます。20年という決まりを書いた『皇太神宮儀式帳』(804年)と『延喜式』には、理由が書かれていません。伊勢神宮は「これまで様々な理由が推定されてきました」としていて、少なくとも伊勢神宮が紹介する2つの古い記録には、木の傷みを理由とする記述はありません。

辞典の書き方も見てみます。平凡社の世界大百科事典は「式年造替(しきねんぞうたい)」の項目で、掘立柱だった社殿の耐用年数が「20年ないし60年ほど」であることと関係があると考えられる、としています。ただ同じ項目は、宮中の大嘗祭(だいじょうさい)では天皇一代に一度の祭りのために建物をすべて新しく造り、終わると取り払っていたので、その慣わしから示唆を受けた可能性が強い、とも書いています。ブリタニカ国際大百科事典の「式年造替」の項目は、この制度の始まりを、農耕社会で秋の祭りのたびに臨時の神殿を造り、祭りがすむと取り払っていた慣わしにあるとみています。

木の傷みと20年の関係を考える材料は、伊勢神宮などの説明と辞典の中に3つあります。

  • 古い木の使われ方。伊勢神宮によると、正殿の棟持柱は宇治橋の鳥居などになって、合わせて60年使われます。国土交通白書によると、この柱は削り直してから鳥居に使います。社殿の柱の形のまま60年立っているわけではありません(あとの見出しでくわしく書きます)
  • 中断していたあいだの社殿。伊勢御遷宮委員会は、戦国時代の一時期には、修理だけで120年間をしのいだこともあったと書いています。一方で三重県の「三重の文化」は、そのあいだに正殿などの建物がひどく荒れたと書いています
  • ほかの神社の年数。世界大百科事典によると、決まった年数で社殿を建て替える式年造替は多くの古い神社に見られ、住吉・春日・香取・鹿島は20年、宇佐は33年、出雲は60年を慣わしとしていましたが、江戸時代に途絶えたとしています。春日大社は今も「20年に一度の式年造替」を行っていますが、御本殿を修理するあいだは神さまに仮殿へお遷りいただく形で、建て替えとは違います

どれも、20年で木が使えなくなるかどうかを直接確かめる材料ではありません。世界大百科事典も、耐用年数の説を大嘗祭の慣わしの説と並べて書いていて、木の傷みだけで20年を説明してはいません。

1300年続いてきた式年遷宮にも中断があった

伊勢神宮によると、式年遷宮は第40代天武(てんむ)天皇のご宿願により始まり、次の持統(じとう)天皇の4年(690)に内宮で、6年(692)に外宮で第1回が行われました。平成25年(2013)10月の遷宮で62回を数えています。

制度が決められた年は、資料によって書き方が分かれます。三重県の「三重の文化」は天武天皇14年(685)とされるとし、日本大百科全書は天武朝(673〜686)に定められたと説明しています。ここで挙げた資料に共通しているのは、天武天皇の時代に始まり、持統天皇の時代に第1回が行われた、という点です。

20年ごとに続いてきたといっても、一度も途切れなかったわけではありません。伊勢神宮の「式年遷宮の歴史」によると、室町時代の後期には、遷宮の費用を集める仕組みがうまく働かなくなり、約120年あまりのあいだ遷宮が行われませんでした。安土桃山時代になって、遷宮上人(せんぐうしょうにん)と呼ばれた慶光院清順(けいこういんせいじゅん)と周養(しゅうよう)が寄付を募り、織田信長と豊臣秀吉が費用を出して復興しています。

第二次世界大戦のあとにも、予定がずれたことがありました。三重県の「三重の文化」によると、昭和24年に予定されていた第59回は、戦災からの復興のさなかだったため、昭和28年(1953)に延期されています。

費用は誰が出してきたのか

国土交通白書のコラムによると、前回の第62回の事業費は約550億円と公表されています。費用を出してきたのは、時代によって違います。

  • 古代は朝廷
  • 鎌倉時代は鎌倉幕府、江戸時代は徳川幕府
  • 明治から戦前までは政府
  • 戦後は、伊勢神宮が民間の宗教法人になって政府の手を離れたため、国の予算は使われず、伊勢神宮の自己財源

ここまでが国土交通白書の説明です。寄付の割合は、資料によって書き方が違います。福島県神社庁の説明では、第62回の約550億円のうち、寄付で集めたのは3分の1ほどです。日本商工会議所の事業報告によると、寄付を集めた伊勢神宮式年遷宮奉賛会は、550億円のうち220億円を募金で集める役を引き受け、はじめに立てた目標の額に届いています。途中で触れた約120年の中断についても、伊勢神宮は、費用の取り立てが難しくなったことを事情として挙げています。

第63回はもう始まっている、2033年までの予定

式年遷宮は、遷御の1日だけの行事ではありません。伊勢神宮の遷宮予定年表によると、第63回は令和7年(2025)から8年余りをかけて、33のお祭りと行事が予定されています。予定年表は、お祭りを、木材を用意する「御神木のお祭り」、社殿を建てる「社殿建築のお祭り」、神さまにお遷りいただく「神遷しのお祭り」の3つに分けています。

晩秋の明るい朝、木曽の山の斜面に広がる檜の森を林の中から見上げた絵。まっすぐに伸びた太い檜の幹が立ち並び、手前の一本は赤茶色の樹皮が縦に裂けたひときわ太い木で、梢のあいだから朝の光が差し込む。式年遷宮に使う御用材が育つ森のイメージ

伊勢神宮の予定年表から、主なものを年ごとに抜き出しました。予定年表に載っている行事のうち、令和8年までのものは、記事を書いた2026年10月の時点で時期を過ぎています。令和9年からは予定です。お木曳の月は、観光三重と伊勢御遷宮委員会が案内している今回の日程に合わせました。

令和7年(2025)

5月2日に山口祭(やまぐちさい)。木を切り出す山の入口の神さまに、作業の安全を祈ります。6月3日に御杣始祭(みそまはじめさい)。長野県上松町の木曽谷国有林で、御用材を正式に切り始めます

令和8年(2026)

4月に御木曳初式(おきひきぞめしき)。5月から8月に御木曳行事(おきひきぎょうじ)の第一次。木曽から運ばれた御用材の一部を、伊勢の奉曳団が全国から加わる人たちとともに内宮と外宮へ曳き入れて納めます

令和9年(2027)

5月から8月に御木曳行事の第二次

令和10年(2028)

4月に鎮地祭(ちんちさい)。新しい社殿を建てる敷地で行う最初のお祭りで、工事の安全を祈ります

令和11年(2029)

11月に宇治橋渡始式(うじばしわたりはじめしき)。架け替えた宇治橋の渡り初めで、渡女を先頭に、全国から選ばれた三世代の夫婦や市民が続いて渡ります

令和14年(2032)

3月に立柱祭(りっちゅうさい)と上棟祭(じょうとうさい)。新しい正殿の柱を建て、棟木(むなぎ)を上げるお祭りです

令和15年(2033)

7月から8月に御白石持行事(おしらいしもちぎょうじ)。10月に遷御

宇治橋の架け替えが遷宮の4年前なのは、戦争で遷宮が延びたためです。第63回の特設ページのQ&Aによると、遷宮と同じ年に架け替えるようになったのは明治22年(1889)からで、その後、第二次世界大戦で遷宮が延びたことにより4年前の架け替えになり、今もそれを続けています。

なお、伊勢神宮は予定年表に「この予定表は前回斎行の例によります」と書き添えています。前回の第62回の流れに当てはめた予定なので、実際の日付は変わることがあります。お参りに合わせたい場合は、伊勢神宮の発表を確かめてください。

一般の人が見られること、参加できること

式年遷宮のクライマックスである遷御は、一般の人は見ることができません。「はじめての神宮」によると、遷御は「清らかな闇の中」で行われ、神さまのお姿が人目に触れないよう白い絹の布で隠して進みます。一般の方は直接ご覧いただけないと書いています。映像については、儀式のあとに一部を紹介できるだろう、という言い方です。

明るい朝の光の中、素木の浅い木箱に入った丸くて白い川石と、その手前に広げた真っ白な布の中央に石が一つだけ載っている静物の絵。背景には川面のきらめきがやわらかくぼける。宮川で拾った白い石を一つずつ白い布に包んで納めるお白石持行事のイメージ

そのかわり、見たり加わったりできる場面もあります。伊勢神宮と伊勢御遷宮委員会の案内から、3つに分けて並べます。

  • 見られるもの: 遷宮に関わるお祭りのなかには、参道から見られるものがあります(はじめての神宮)。遷宮の時期には、東西の敷地に新旧の社殿が並ぶ様子も見られます(伊勢神宮)
  • 参加できるもの: 代表的なのは御木曳行事とお白石持行事です。伊勢の人たち(旧神領民)が中心ですが、予定年表には、全国からも「特別神領民」として加わる人がいると書かれています
  • 選ばれた人が加わるもの: 宇治橋渡始式では、渡女(わたりめ)を先頭に、全国から選ばれた三世代そろった夫婦が新しい橋を渡ります(予定年表)

御木曳行事は、御用材を神域へ運び入れる奉仕が、地域の行事になったものです。伊勢御遷宮委員会は、遷宮の行事のなかで市民が参加できる数少ない機会だと紹介しています。伊勢神宮によると、内宮へは木ソリに乗せた御用材を五十鈴川の中を曳いて運び、外宮へは奉曳車(ほうえいしゃ)に乗せて陸路で運びます。伊勢御遷宮委員会の案内では、第二次は令和9年の5月8日から6月12日に陸曳(おかびき)、7月24日から8月1日に川曳(かわびき)が予定されています。

お白石持行事は、宮川で拾い集めた白い石を、神域の中では一人ずつ白い布に包んで手に持ち、新しい正殿の敷地に納める行事です(伊勢御遷宮委員会・福島県神社庁)。伊勢御遷宮委員会によると、前回の平成25年にはのべ約22万人が参加しました。伊勢神宮で一般の参拝者が入れる場所と入れない場所の境目については『伊勢神宮で入れない場所』で書いています。

見学や参加を調べるときの問い合わせ先

伊勢神宮の遷宮予定年表は、お祭りと行事の名前と日付を載せていますが、見学できるか、参加できるかを一覧にした表ではありません。調べるときは、行事によって案内しているところが分かれます。

  • 遷御などのお祭りの日程と内容は、伊勢神宮の発表で確かめます。遷御は一般の人は直接見られず、儀式のあとに一部が映像で紹介される見込みです(はじめての神宮)
  • 伊勢のお木曳行事とお白石持行事は、伊勢御遷宮委員会が案内しています。曳き手は奉曳団(ほうえいだん)ごとに加わり、委員会のサイトには第二次のお木曳で曳く奉曳団の一覧が載っています(令和8年9月16日現在)。問い合わせ用に、事務局のメールアドレスも載っています
  • 別宮の瀧原宮(たきはらのみや)の御木曳行事では、一般の人が特別神領民として加わる募集が、三重県観光連盟の「観光三重」で案内されていました。瀧原宮のこの募集は、定員に達して締め切られました

第二次のお木曳について、2026年10月15日に私が委員会のトップページとお木曳のページを確かめた時点では、全国から申し込める窓口の案内は見つけられませんでした。神社がまとめる奉仕団に加わって参加する例はあります。たとえば東京の小平神明宮は、令和9年5月21日から22日の日程で、御木曳行事へ一緒に出る人を40名募っています。加わる人は、小平神明宮・武蔵野神社奉仕団の一員という扱いです(締め切りは令和8年11月17日、定員になり次第締め切り)。委員会は日程にも「社会情勢等により変更となる場合があります」と書き添えています。参加を考えている場合は、委員会のサイトの最新情報や、近くの神社の案内を確かめてください。

遷宮の年でなくても毎年行われる初穂曳

お木曳に近い形の行事は、遷宮の年を待たなくても毎年行われています。伊勢御遷宮委員会によると、神宮の神嘗祭(かんなめさい)を祝って、その年の稲穂(お初穂)を納める「初穂曳(はつほびき)」が、例年10月15日に外宮への陸曳、16日に内宮への川曳として行われます。

始まったのは昭和47年(1972)です。委員会は、20年に一度の遷宮の行事だけでは若い人に意味や伝統を伝えるのが難しい、という先人の考えから生まれた行事だと紹介しています。令和8年(2026)は第55回です。

陸曳では神宮が持つ奉曳車が使われ、伊勢の子どもたちや市民のほか、県内外の特別神領民も曳き手として加わります。川曳では、初穂を飾った初穂船を曳いて、五十鈴川を浦田橋の下流から宇治橋までさかのぼります。委員会によると、令和8年は3台の奉曳車にそれぞれお木・樽・俵を積みました。お木曳とお白石持で使う荷の締め方を受け継ぐためで、初穂曳の準備のときに伊勢神宮奉仕会青年部が荷積みと荷締めを練習しています。

古い社殿と木はどこへ行くのか

はじめの疑問に戻ります。建て替えたあとの古い社殿は、捨てられるわけではありません。伊勢神宮によると、遷宮で使われた古い木材は、全国の神社に譲り渡されたり、移築されたりします。「はじめての神宮」は、古い社殿が、地震などで被害を受けた全国の神社に移築されることもあると説明しています。

晩秋の明るい朝、五十鈴川にかかる木の宇治橋を入口から正面に見た絵。手前に大きな素木の鳥居が立ち、ゆるやかに反った橋の先にも同じ形の鳥居が小さく見え、向こう岸は深い森に続く。正殿の棟持柱が建て替えのあと宇治橋の鳥居になることを示すイメージ

よく知られているのが、正殿の棟持柱(むなもちばしら)の行き先です。伊勢神宮の正殿では、この太い柱が両側の妻の外に独立して立ち、屋根のいちばん上の棟(むね)を支えています。伊勢神宮の説明をまとめると、次のようになります。

  1. 内宮と外宮の正殿の棟持柱として20年
  2. 宇治橋の鳥居として20年
  3. さらに20年たつと、鈴鹿峠のふもとの「関の追分(せきのおいわけ)」と、桑名の「七里の渡し(しちりのわたし)」の鳥居になる

伊勢神宮は、正殿の棟持柱になってから60年のお勤めを果たしていると書いています。

神さまの衣服や道具も、すぐに役目を終えるわけではありません。伊勢神宮によると、御装束神宝は20年間正殿に納められたあと、新しいお宮の西宝殿(さいほうでん)でさらに20年間保存されます。奉納された神宝が役目を終えるのは40年後です。

木を育てることも続けられています。伊勢神宮によると、200年後には遷宮に使う御用材を自分たちの森でまかなえるようにする「森林経営計画」が大正12年(1923)から行われています。前回の第62回では、この森の木を約700年ぶりに御用材の一部として出すことができました。使われたのは、間伐で切った木です。

よくある質問

出雲大社の遷宮は伊勢神宮の式年遷宮と何が違うのですか?

出雲大社では平成25年(2013)に、昭和28年の御遷宮から60年目の節目として御遷宮が行われました。出雲大社によると、今の御本殿は延享元年(1744)に建てられたもので、その後、文化6年・明治14年・昭和28年・平成25年の4回、屋根の葺き替えなどを中心とする修理を重ねています。平成25年の御遷宮に向けては、神さまにいったん仮の御殿へ遷っていただき、そのあいだに本殿を修理しました。伊勢神宮のように隣の敷地に新しい社殿を建てるのではなく、今の御本殿を修理しながら受け継いでいる点が違います。出雲大社のお参りの作法は『出雲大社の参拝方法』で書いています。

春日大社の式年造替は式年遷宮と同じものですか?

どちらも、決まった年数ごとに社殿を整える行事です。山川日本史小辞典は、春日大社と下鴨社(賀茂御祖神社)では21年目、伊勢神宮では20年目に行われるとしています。春日大社自身は「20年に一度の式年造替」と案内していて、資料によって書き方が違います。春日大社では、御本殿を修繕するあいだ神さまに仮殿へお遷りいただき、社殿の大修理と御調度品の調製を行います。伊勢神宮が隣の敷地に新しい社殿を建てるのとは、ここが違います。くわしくは『春日大社とは』で書いています。

式年遷宮が中断したのは戦国時代の戦乱のせいですか?

伊勢神宮の「式年遷宮の歴史」は、室町時代の後期に、役夫工米(やくぶくまい、遷宮の費用として全国に命じた税)による費用の取り立てが難しくなり、約120年あまり遷宮が行われなかったと説明しています。伊勢神宮のこのページは、中断の事情として、費用の取り立てが難しくなったことを挙げています。一方で、伊勢御遷宮委員会は戦国時代の一時期とし、世界大百科事典は「15,16世紀の戦乱の世に一時途絶えた」と書いていて、時代の言い方は資料によって違います。中断の長さも、ブリタニカ国際大百科事典は約1世紀としていて、何年と数えるかは資料によって変わります。この記事では、伊勢神宮の「約120年あまり」に合わせています。

まとめ

この記事で確かめたことを、要点だけ並べておきます。

  • 式年遷宮は、20年に一度、社殿と御装束神宝をすべて新しくして、天照大御神に隣の敷地の新しいお宮へお遷りいただくお祭り
  • 新しくなるのは170を超える建物と、714種1576点の御装束神宝。心御柱は覆屋とともに残される
  • 20年という決まりは平安時代の記録にあるが、理由は書かれておらず、伊勢神宮は「定説はありません」としている
  • 第1回は持統天皇4年(690)。室町時代の後期には約120年あまりの中断があった
  • 第63回は令和7年(2025)に始まり、令和15年(2033)10月に遷御の予定。御木曳行事とお白石持行事には参加の機会がある
  • 正殿の棟持柱は宇治橋の鳥居などになって合わせて60年使われる。御装束神宝は正殿に20年納められ、西宝殿でさらに20年保存される
  • 遷宮の年でなくても、毎年10月15日と16日に初穂曳が行われ、県内外の特別神領民も曳き手に加わる(伊勢御遷宮委員会)

次に内宮へお参りするときは、宇治橋の鳥居の柱を見上げてみてください。伊勢神宮によると、その柱は、もとは正殿の棟持柱だった木です。

参考文献

公式資料(伊勢神宮・神社・神社庁・官公庁)

辞典

補助参考(観光案内・読者の疑問)

本記事は、2026年10月に、伊勢神宮・伊勢御遷宮委員会・出雲大社・福島県神社庁の公式サイト、三重県と国土交通省の公開資料のうち式年遷宮や初穂曳にふれるページを確かめ、コトバンクで読める辞典類と照らし合わせて、20年の理由の書き方、費用の負担者、第63回の予定、古い木材の使われ方を本記事独自に整理しました。行事の日程は伊勢神宮の予定年表(前回の例による)にもとづくため、くわしくは伊勢神宮の発表をご確認ください。

※本記事の御利益・御神徳に関する記述は、各神社が伝える信仰の紹介です。詳細は免責事項をご確認ください。

※ 本記事の画像はChatGPT 等の生成AIによる象徴的なイメージ画像です。実際の景観とは異なる場合があります。詳細は免責事項をご覧ください。

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この記事を書いた人

あやとき編集部は、40代の編集メンバーで運営しています。子を持つ親としても、一人の人間としても、暮らしに息づく神社との関わりを大切にしながら、全国の神社文化を丁寧に読み解いていきます。

神道や神社の奥深さを、専門用語に頼らず、どなたにも分かりやすい言葉でお届けします。読者の方と同じ目線で、共に学んでいく姿勢を基本としています。詳しくは運営者情報をご覧ください。

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