「寅の日にお参りする神社はどこですか」。検索するとこの質問が出てきます。ところが毘沙門天(びしゃもんてん)は仏で、もともと神社の神さまではありません。巳の日にお参りするとされる弁才天(べんざいてん)も同じです。それなのに、神社でお参りする人がいます。
寅の日と巳の日を調べていて、私がいちばん引っかかったのはここでした。調べてみると、この二つの日は暦に書かれた吉凶の注というより、仏の縁日(えんにち)として数えられてきた日でした。国立国会図書館が公開している暦の解説にも、選日(せんじつ)の一覧にも、吉日としては出てきません。それでも、開運カレンダーに載せている神社はあります。
この記事では、寅の日と巳の日が何に由来する日なのかという話から始めて、暦のどこに書かれているのか、神社側はどう扱っているのか、そして「やってはいけない」と言われる事柄にどこまで根拠があるのかを順に見ていきます。
- 寅の日も巳の日も、日に割り当てられた十二支の呼び名です。12日でひとまわりします
- 己巳(つちのとみ)の日は、十干(じっかん)と十二支の組み合わせなので60日に1回です
- 寅の日が金運と結びつけられる理由には、虎のことわざから来た筋と、毘沙門天の縁日から来た筋の二つがあります
- 信貴山朝護孫子寺(しぎさんちょうごそんしじ)は「ご縁日は毎月1日・3日と寅の日です」と案内しています
- 国立国会図書館の暦の解説にも、選日の一覧にも、寅の日・巳の日を吉日として挙げた項目はありません
- 東京都神社庁がウェブサイトで公開している暦の解説にも出てきません。いっぽう大杉神社は開運カレンダーに「寅の日 金運の吉日」「己巳の日 弁天様の縁日」と書いています
- 神社で毘沙門天や弁才天が祀られているのは、神仏習合(しんぶつしゅうごう)という歴史の結果です
- 蛇を祀る神社がすべて弁才天の系統とはかぎりません。大神神社(おおみわじんじゃ)の大物主神(おおものぬしのかみ)は、『日本書紀』に蛇の姿で書かれた神です
- 寅の日の禁忌のうち「結婚を避ける」は『精選版 日本国語大辞典』に載っています。葬式は辞典の「寅の日」の項と暦の資料にはありませんが、山形県には寅の日の葬式を避ける言い伝えが記録されていて、戻ってきてほしくない冠婚葬祭には向かないと案内している神社もあります。借金のほうは、今回調べた範囲では出典が見当たりません
日にも十二支があり、寅の日は12日でひとまわりする

まず言葉の整理からです。寅の日とは、日に割り当てられた十二支が「寅」にあたる日のことです。巳の日も同じで、日の十二支が「巳」の日を指します。
十二支は、年を数えるためだけのものではありません。月にも日にも割り当てられています。日の十二支は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の順に進み、12日でひとまわりします。だから寅の日も巳の日も、月に2回から3回はめぐってきます。思っているより、ずっと多いはずです。
ここで気をつけたいのが、寅年生まれと寅の日は別の話だということです。年の十二支は12年でひとまわり、日の十二支は12日でひとまわりですから、周期の長さがまるで違います。寅年に生まれた人にとって寅の日が特別だという説明も、確かめた範囲では暦の資料には見当たりませんでした。
もう一つ、己巳の日は少し仕組みが違います。己巳の日は、十干の「己」と十二支の「巳」が重なった日です。十干は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類です。十干と十二支が1つずつ同時に進んでいくので、実際にめぐる組み合わせは60通りになります。東京都神社庁も、日の干支は六十日で一巡すると説明しています。つまり己巳の日は60日に1回。巳の日そのものより、ぐっと回数が少ないわけです。
十干と十二支の組み合わせそのものについては『干支とは』の記事でくわしく書いています。
寅の日が金運と結びつくまでには、二つの別々の筋がある

2026年9月に「寅の日」で検索し、上位に出てきた記事を10本ほど読み比べてみると、金運と結びつける言い方がいくつも出てきます。虎の毛色が黄金色だから、という説明もそのひとつです。ただし、今回出どころまでたどれたのは二つだけでした。片方はことわざ、もう片方は寺の縁起にたどりつきます。ところが、この二つはまったく別の話です。
一つめ、虎のことわざから来た筋
「虎は千里行って千里帰る」ということわざがあります。虎は一日に千里を行って千里を戻ってくるほど勢いが強い、というたとえです。ここから、出て行ったお金も戻ってくる日だという言い方が生まれました。旅に出るのによい日だとされるのも、同じ「帰ってくる」からの連想です。
このことわざと寅の日の結びつきは、辞典にちゃんと載っています。『精選版 日本国語大辞典』の「寅の日」の項はこうです。
十二支の寅にあたる日。虎は千里行って千里もどるというところから、この日は婚礼などを忌んだ。また、毘沙門天の縁日。
精選版 日本国語大辞典(小学館)「寅の日」
ここで向きが逆になります。辞典が同じことわざから導いているのは婚礼を忌むほうで、お金が戻ってくるという話ではありません。帰ってくるという一点から、辞典は結婚に向かない日という結論を出し、いまのネット記事は出て行ったお金が戻る日という結論を出している。同じことわざが、片方では凶、もう片方では吉に使われています。
では金運の由来としてこのことわざを挙げた古い記録があるのかというと、こちらは今回確かめられませんでした。言葉としての寅の日は、1010年ごろに成ったとされる紫式部日記の「とらの日のあした、殿上人まゐる」(寛弘5年=1008年の五節の記事)まで遡れますが、そこに吉凶の意味は書かれていません。金運と結びつける言い方のほうは、由来というより、あとから付けられた説明に近いのかもしれないと私は思っています。
二つめ、毘沙門天の縁日という筋
こちらには、はっきりした一次の記述があります。奈良県にある信貴山朝護孫子寺は、毘沙門天を本尊とする寺で、公式サイトにこう書いています。
今から1400余年の昔、聖徳太子がこの山で毘沙門天王をご感得され、大変にご利益をいただかれましたのが寅の年、寅の日、寅の刻であったといわれています。その故事から、信貴山の毘沙門さまに寅の縁日にお参りすると、聖徳太子にあやかって良いご利益を授かるとして昔から信仰を集めてきました
信貴山朝護孫子寺「寅のお寺 信貴山」
同じページは、続けて「ご縁日は毎月1日・3日と寅の日です」と書いています。縁日というのは、その仏や神とのご縁が深いとされる日のことです。つまり寅の日は、暦の上で吉とされた日ではなく、毘沙門天とご縁が深い日として数えられてきたことになります。
毘沙門天は武と財をつかさどる仏とされてきました。金運との結びつきは、こちらの筋からも説明がつきます。ことわざ由来の連想と、縁日としての信仰。どちらか一方が正しいという話ではなく、別々に育った二つの言い方が、いつのまにか一つに束ねられているということです。
巳の日と己巳の日は、弁才天の縁日として数えられてきた

巳の日のほうは、由来の筋が一本です。巳の日は弁才天の縁日とされ、なかでも60日に1回の己巳の日が特別に扱われてきました。
なぜ蛇なのかというと、弁才天のお使いが蛇だとされてきたからです。弁才天はインドの川の神サラスヴァティーが仏教に取り込まれた仏で、日本では水の神としても信仰されてきました。水と蛇は昔から結びつけて語られてきた組み合わせです。
京都の六波羅蜜寺は、巳の日のお参りについて公式サイトでこう案内しています。
「巳の日」の中でも60日ごとに巡ってくる「己巳の日(つちのとみのひ)」は特に縁起が良いとされ、当山にも多数のお参りの方がお見えになります
六波羅蜜寺「弁財天『巳の日』のお参り」
ここでも「縁日」という言葉が使われています。寅の日も巳の日も、暦の吉凶ではなく、特定の仏とのご縁という枠組みで語られてきた日だというのが、二つに共通する性格です。
縁日は、その仏や神とのご縁が深いとされる日のことです。毎月決まった日に開かれるお参りの日で、屋台が出る「縁日」もここから来ています。日の吉凶を示す暦の注とは、そもそも成り立ちが違います。
二つの日は、暦注の一覧に吉日として立っていない

ここがこの記事でいちばんお伝えしたいところです。寅の日と巳の日は、国立国会図書館が解説する暦注の一覧に「吉日」として立てられた項目ではありません。
カレンダーの日付の下に小さく刷られる吉凶の注を、まとめて暦注(れきちゅう)と呼びます。国立国会図書館の解説「日本の暦」は、吉凶を表す言葉を六曜・中段・下段・その他に分けて説明しています。中段は十二直(じゅうにちょく)、下段は天赦日(てんしゃにち)などです。もう一つ、選日(せんじつ)という言葉もあります。こちらは段の名前ではなく、日の吉凶を見る注を広く指す言い方で、その多くは干支の組み合わせで吉凶を判断します。同じ資料は中段の十二直も、下段に書かれた注も、一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)や三隣亡(さんりんぼう)も、まとめて選日の仲間として説明しています。
この第三章を通して読んでも、寅の日・巳の日という項目は立っていません。では出てこないのかというと、出てきます。ただし別の注を決めるための材料としてです。
こういうことです。
- 中段(十二直)を配るときの起点として
- 国立国会図書館は「1月の月建は寅なので、1月節(立春)後の最初の寅の日が建となり、次の卯の日には除、辰の日には満…と順に配当します」と説明しています。寅の日そのものが吉なのではなく、1月に十二直を割り当てる数えはじめの日として出てきます。起点の十二支は月ごとに変わり、巳の日が起点になるのは4月です
- 重日(じゅうにち)という注の条件として
- 同じ資料は「巳の日と亥の日のこと。吉事を行えば吉事が重なり、凶事を行えば凶事が重なる日。ただし、結婚・葬式を忌む」と書いています。巳の日が単独で吉日なのではなく、重日という注に当たる日の条件として挙がっています
- 凶とされる注の条件としても
- 同じ下段の帰忌日(きこにち)は「凶星の精が人家の門戸をふさぐ日で、旅行・帰宅などを忌む」日で、その条件が「1月は丑の日、2月は寅の日」と月ごとに決まっています。帰忌日に当たるのは一部の月の寅の日だけで、寅の日は吉として立っていないのと同じように、凶としても立っておらず、別の注の条件として顔を出します
同じ資料が「その他」としてまとめている選日の一覧を見ても同じです。八専、十方暮、三隣亡、天一天上、一粒万倍日、不成就日、大犯土・小犯土、三伏、庚申、甲子という10の名前が並びますが、寅の日・巳の日は入っていません。
これは「寅の日は迷信だ」という話ではありません。出どころが違うという話です。六曜も、一粒万倍日も、天赦日も、暦の注として広まった日の吉凶です。それに対して寅の日と巳の日は、仏の縁日として数えられてきた筋が太い日です。寅の日には、辞典に載る婚礼を忌む言い伝えも並んで伝わっていますが、これも暦注の一覧に立った吉凶ではありません。いまの寺社や民間のカレンダーには二つの日を吉日として載せる例もあり、同じ欄に並んで印刷されていても、来た道が違います。
だから「寅の日と一粒万倍日はどちらが良い日ですか」という問いは、答えが出ない形をしています。暦の注と縁日を比べることになるからです。暦の注のほうの仕組みは『一粒万倍日とは』と『天赦日とは』で扱っています。
神社側の扱いは、一枚岩ではない

では神社はこの二つの日をどう扱っているのか。ここも調べてみると、はっきり分かれていました。
先に結論を書きます。東京都神社庁がウェブサイトで公開している暦の解説には載らず、個々の神社は案内しています。
東京都神社庁はウェブサイトの「神社Q&A」に、六曜と十二支についての暦のQ&Aを2件載せていますが、2026年9月に読んだ時点で、寅の日・巳の日という言葉は出てきませんでした。干支や六曜の説明はありますが、この二つの日を吉日として案内する記述は確かめられませんでした。なお、神社で頒布されている暦の冊子そのものまでは、今回は見ていません。
いっぽう、茨城県の大杉神社は「開運カレンダー」にはっきり書いています。
- 寅の日
- 金運の吉日で商売繁昌等の最適日
- 己巳の日
- 弁天様の縁日。金運、美貌運の最適日
- 巳の日
- 弁天様の縁日。金運、美貌運の吉日
神奈川県の江島神社は、日本三大弁財天の一つとされる神社です。御朱印を紹介するサイトや参拝した人の記録を見ると、ここでは巳の日に御朱印へ特別な印が押されるそうです。ただ、神社の公式サイトにあるお知らせのページは今回開くことができず、神社自身の文面では確かめられていません。白蛇をかたどった授与品も知られていますが、こちらは巳の日に限ったものではないようです。
東京都神社庁の暦の解説には載らず、個々の神社は案内する。この差は、どちらかが間違っているということではないと私は思います。暦を整理して出す立場と、参拝する人の関心に答える立場では、書くことが変わるということでしょう。
同じことは六曜でも起きています。石川県の大野湊神社は「一般的に神社(参拝および祭事など)と六曜は何ら関係ありません」と案内していますが、六曜の扱いは神社によって幅があります。日取りをめぐる神社側の説明の幅については『神社参拝に良い日はあるのか』でまとめています。
毘沙門天も弁才天も仏で、神社で祀られるのは神仏習合の結果

冒頭の引っかかりに戻ります。「寅の日にお参りする神社は」と検索されているのに、毘沙門天は仏です。矛盾しているようですが、これは神仏習合という歴史を知ると説明がつきます。
神仏習合は、神と仏をひとつながりのものとして祀ってきた長い時代のことです。明治の初めに神仏分離が行われるまで、神社と寺はいまほどはっきり分かれていませんでした。その名残は、今もあちこちに残っています。
たとえば毘沙門天を本尊とする信貴山朝護孫子寺は寺ですが、神仏習合の名残から境内に鳥居が並んでいます。逆に、鎌倉の銭洗弁財天宇賀福神社は神社で、本宮に市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、奥宮に弁財天を祀っています。東京の末廣神社は神社でありながら、日本橋七福神の毘沙門天を祀る社として知られています。
七福神というくくりも、神と仏が混じっています。恵比寿は日本の神、大黒天・毘沙門天・弁才天はもともとインドの神で仏教に取り込まれた尊格、福禄寿と寿老人は中国の道教由来、布袋は中国の僧とされる人物です。大黒天は日本で大国主命(おおくにぬしのみこと)と重ねて祀られてきた経緯もあります。七福神めぐりで神社と寺を続けてお参りできるのは、この歴史があるからです。
ですから「寅の日は神社と寺のどちらに行くのが正しいのか」という問いには、こう答えるのがいちばん近いと思います。どちらでもかまわない。ただし、お参りする先に毘沙門天や弁才天が祀られているかどうかは、行く前に確かめたほうがよい、と。神仏習合そのものについては『神仏習合とは』でくわしく書いています。
蛇を祀る神社が、弁才天の系統とはかぎらない

巳の日に参る社を紹介する記事を読んでいて、もう一つ気になったことがあります。弁才天を祀る社と、蛇そのものを神として祀る社が、区別されずに並べられていることです。
奈良県の大神神社の主祭神は大物主神です。この神は『日本書紀』に蛇の姿で伝わる神です。夫の正体を知りたがった妻が朝になって見たものは蛇だった、という有名な話が崇神天皇の条に残っています。『古事記』にも三輪山の神の話はありますが、こちらは糸をたどって正体を知る筋で、蛇の姿とは書かれていません。境内には巳の神杉と呼ばれる杉があり、神社の案内によれば卵が供えられています。
この蛇と、弁才天のお使いの蛇は、たどっていくと別の道から来ています。片方は日本の神話に伝わる神です。もう片方は、弁才天という仏そのものはインドから来ていますが、インドや中国の経典に説かれた像は琵琶を持つ二本の腕の姿や、武器を持つ八本の腕の姿でした。蛇の姿は、日本の中世に宇賀神(うがじん)という蛇の姿の神と結びついてから加わったものとされています。宇賀神がどこから来た神なのかにも、いくつかの説があります。どちらも蛇にまつわる信仰ですが、同じものではありません。
お参りする側にとって、この区別は大げさな話に聞こえるかもしれません。それでも、自分がどこへ何を願いに行くのかがはっきりするという点では、知っておいて損はないと思います。下の表は、巳の日・寅の日に名前の挙がる社を三つの系統に分けたものです。これは私が整理のために分けたもので、一つの社に複数の系統の信仰が重なることもあります。たとえば大神神社の境内にも、市杵島姫命を祀る社があります。
| 系統 | 祀られているもの | 由来の筋 | 例 |
|---|---|---|---|
| 弁才天の系統 | 弁才天(仏)。市杵島姫命と重ねて祀られることもある | 仏そのものはインド由来。蛇の姿は日本で宇賀神と結びついて加わったもの。巳の日が縁日 | 江島神社、銭洗弁財天宇賀福神社 |
| 蛇神の系統 | 蛇の姿で語られてきた日本の神 | 『日本書紀』の伝承。仏教とは別の道すじ | 大神神社(大物主神) |
| 七福神・毘沙門天の系統 | 毘沙門天(仏)。七福神の一柱として神社に祀られることがある | 仏そのものはインド由来。寅が使いとされ、寅の日が縁日 | 末廣神社(日本橋七福神)、信貴山朝護孫子寺 |
お参りしたい社がどの系統かを調べるには、その社の公式サイトで祭神(さいじん)の名前を見るのがいちばん早い方法です。市杵島姫命や弁才天の名があれば一つめ、大物主神のように記紀の神の名だけなら二つめ、七福神めぐりの札所になっていれば三つめ、という見分け方になります。
やってはいけないと言われることに、どこまで根拠があるか
寅の日について検索すると、「やってはいけないこと」がどの記事にも出てきます。よく挙がるのは次の三つです。
- 結婚・入籍は避ける。出て行ったものが戻ってくる日なので、出戻りを連想させるため
- 葬式は避ける。虎が霊魂を連れて戻ってくると信じられていたため
- お金を借りるのは避ける。借金が繰り返されるため
今回10本の記事を読み比べましたが、この三つについて、どの記述の根拠なのかを示していた記事は一本もありませんでした。記事の末尾に暦の本の書名を並べていたものは1本ありましたが、三つのどれを支える本なのかは書かれていません。ただし寅の日について調べていくと、一つめの結婚には裏付けがありました。
さきほど引いた『精選版 日本国語大辞典』が、寅の日について「この日は婚礼などを忌んだ」と書いています。結婚を避けるという言い伝えのほうは、辞典に載るくらい古くからある話でした。面白いのは、辞典が挙げる理由がネット記事とまったく同じ「虎は千里行って千里もどる」だということです。同じ一つのことわざから、辞典は結婚を避ける理由を引き出し、いまの記事はお金が戻ってくる理由を引き出しているわけです。
残る二つのうち、借金のほうは、今回調べた暦の資料にも辞典にも、確かめた社寺の案内にも根拠が見当たりませんでした。
葬式のほうは少し事情が違います。国立国会図書館の暦の解説にも、辞典の「寅の日」の項にも、葬式を避けるという記述はありませんでした。ただ、国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースには、1915年に山形県で記録された「寅の日に葬式を出すと死人が戻ってくる」という言い伝えが収められています。暦の注ではなく、土地の言い伝えとして残ってきたものです。ところが群馬県の産泰神社(さんたいじんじゃ)は、公式サイトの読み物のページで、寅の日は出て行ったものが戻ってくる日だと説明したうえで、戻ってきてほしくない冠婚葬祭には向かないと書いています。辞典が結婚を避ける理由にしたのと同じ「戻ってくる」を、神社が冠婚葬祭まで含めて案内している例です。
では暦のほうに寅の日を凶とする記述がないのかというと、そうとも言い切れません。国立国会図書館が下段の注として挙げる帰忌日(きこにち)は「凶星の精が人家の門戸をふさぐ日で、旅行・帰宅などを忌む」日で、その条件が「1月は丑の日、2月は寅の日」と月ごとに決まっています。ただし忌むのは旅行と帰宅で、結婚でも葬式でも借金でもありません。帰忌日に当たるのは一部の月の寅の日だけですが、その月にかぎっては、寅の日は旅に出るのによい日だ、というよく見かける説明とちょうど逆を向きます。
いっぽう、巳の日の忌みについては、暦の資料に近い記述があります。国立国会図書館が重日として挙げている「巳の日と亥の日」は、吉事も凶事も重なる日で、ただし結婚・葬式を忌むとされています。巳の日に結婚を避けるという言い方があるとすれば、こちらから来ている可能性が考えられます。
- 寅の日の禁忌…結婚を避けるという言い伝えは『精選版 日本国語大辞典』に載っています。葬式は暦の資料と辞典の「寅の日」の項にはありませんが、山形県には寅の日に葬式を出すと死人が戻ってくるという言い伝えが記録されていて、同じ「戻ってくる」から、戻ってきてほしくない冠婚葬祭を避けるよう案内している神社もあります。借金のほうは、今回調べた範囲では根拠が見当たりませんでした
- 巳の日の忌み…重日という別の注に「結婚・葬式を忌む」という記述があります。ただしこれは巳の日が吉日だからではなく、重日に当たる日だからです
結婚式やお葬式の日取りは、暦よりも先に、来ていただく方の都合と会場の空き具合で決まるものだと思います。暦の注は、決めたあとで気になったときに見るくらいがちょうどよい距離ではないでしょうか。
ここまで見てきて私が思うのは、寅の日と巳の日については「何を避けるか」よりも「どの枠組みの話なのか」を先に押さえたほうが迷いにくい、ということです。暦の注として書かれているなら、その注が何を吉とし何を凶とするのかは資料で確かめられます。縁日として書かれているなら、確かめる先はその仏を祀る社寺の案内になります。どちらの話なのかが分かれば、調べに行く先も決まります。
よくある質問
- 神社にお参りしてはいけない日はありますか?
暦の上で「この日は参拝してはいけない」と決められているわけではありません。ただし、神社側が「この日は控えてください」と案内している場合はあります。たとえば忌中(きちゅう)の期間についての考え方は、神社によって案内が異なります。日取りをめぐる神社側の説明の幅については『神社参拝に良い日はあるのか』でまとめています。参拝先に決まりがあるかどうかは、公式サイトか社務所でご確認ください。
- 巳の日にお参りするなら、時間帯は決まっているのですか?
巳の日だから何時に、という決まりは確かめた範囲では見当たりませんでした。なお「巳の刻」は午前10時ごろを指す昔の時刻の言い方ですが、これは日の十二支とは別の使い方です。社寺によっては巳の日に朝のお参りの行事を行うところもありますので、参列したい場合は時刻を事前にご確認ください。参拝の時間帯そのものの考え方は『神社参拝の時間』で扱っています。
- 寅年生まれの人にとって、寅の日は特別な日ですか?
そのような記述は、今回確かめた暦の資料と社寺の案内には見当たりませんでした。年の十二支は12年でひとまわり、日の十二支は12日でひとまわりで、そもそも数え方の単位が違います。ただし、寅年には毘沙門天の特別な行事を行う寺があります。たとえば信貴山朝護孫子寺では、いちばん奥の秘仏が12年に1度の寅年に開帳されます。年と日を分けて考えると、案内の意味が読み取りやすくなります。干支の仕組みは『干支とは』をご覧ください。
まとめ
この記事では、寅の日と巳の日が何に由来する日なのかという話から、暦のどこに書かれているのか、神社側の扱い、禁忌の根拠までを確かめました。
- 寅の日・巳の日は日の十二支の呼び名で、12日でひとまわりする。己巳の日は十干と十二支の組み合わせなので60日に1回
- 寅の日が金運と結びつく理由には、虎のことわざから来た筋と、毘沙門天の縁日という二つの別々の筋がある
- 信貴山朝護孫子寺は「ご縁日は毎月1日・3日と寅の日です」と案内している。巳の日も弁才天の縁日で、60日に1回の己巳の日が特別に扱われる
- 国立国会図書館の暦の解説にも選日の一覧にも、寅の日・巳の日を吉日として立てた項目はない。出てくるのは十二直を配る起点や、重日・帰忌日といった別の注の条件としてである
- 東京都神社庁がウェブサイトで公開している暦の解説には出てこない。いっぽう大杉神社は開運カレンダーに明記している。江島神社では巳の日に御朱印へ特別な印が押されると紹介されている。扱いには幅がある
- 毘沙門天も弁才天も仏。神社で祀られているのは神仏習合の結果で、寺に鳥居があるのも同じ理由
- 蛇を祀る神社がすべて弁才天の系統とはかぎらない。大神神社の大物主神は『日本書紀』に蛇の姿で書かれた神で、別の道すじから来ている
- 寅の日の「結婚を避ける」は辞典に載っていて、理由もネット記事と同じことわざ。ただし辞典はそこから凶を、いまの記事は吉を導いている。葬式は辞典の「寅の日」の項と暦の資料には無いが、山形県には寅の日の葬式を避ける言い伝えが記録されていて、戻ってきてほしくない冠婚葬祭を避けるよう案内する神社もある。借金は今回調べた範囲では出典が見当たらない
次に寅の日・巳の日という言葉を見かけたら、その日が何の日として案内されているのかを見てみてください。暦の吉凶として書かれているのか、縁日として書かれているのかで、読み方が変わります。そのうえで、あなたはどちらの意味で受け取りますか。お参りする先に毘沙門天や弁才天が祀られているなら、縁日として読むほうが、行った先の景色とつながるはずです。
参考文献
公式資料(公的機関・神社庁・社寺)
- 国立国会図書館「日本の暦」吉凶を表す言葉②中段(選日の説明・十二直の配当表と、1月の起点となる寅の日・4月の起点となる巳の日)
- 国立国会図書館「日本の暦」吉凶を表す言葉③下段(下段の各注・重日と帰忌日の記述)/同 吉凶を表す言葉④その他(選日の一覧)
- 信貴山朝護孫子寺「寅のお寺 信貴山」(聖徳太子の感得が寅の年・寅の日・寅の刻であったという縁起/ご縁日は毎月1日・3日と寅の日)
- 信貴山朝護孫子寺「年中行事」(いちばん奥の秘仏が12年に1度の寅年に開帳されること)
- 六波羅蜜寺「弁財天『巳の日』のお参り」(己巳の日は60日ごとで特に縁起が良いとされること)
- 東京都神社庁「神社Q&A 暦(2)」(日の干支が六十日で一巡すること)
- 大杉神社「開運カレンダー」(寅の日・巳の日・己巳の日の位置づけ)
- 産泰神社 このはな手帖「一粒万倍日とは?」(寅の日は冠婚葬祭に向かないとする案内)
- 大野湊神社「大安は吉?仏滅は凶?不思議な六曜を解説します!」(神社と六曜は関係がないとする案内)
- 末廣神社 公式サイト(日本橋七福神の毘沙門天を祀ること)
- 大神神社「巳の神杉」(大物主大神の化身の白蛇が棲むとされる杉と、卵が供えられていること)
- 江島神社 公式サイト(公式サイトの一般案内を確認。巳の日の御朱印の個別告知ページは2026年9月の再確認でも開けなかったため、巳の日の御朱印については下の御朱印紹介サイトの報告によっています)
補助参考(百科事典・読者の疑問)
- ウィキペディア「弁才天」(縁日が巳の日であること・己巳の日の位置づけ・宇賀神や市杵島姫命との習合)/同「毘沙門天」/同「朝護孫子寺」(創建伝承と境内の鳥居)/同「銭洗弁財天宇賀福神社」(本宮と奥宮の祭神)/同「大神神社」(大物主神と蛇の伝承)/同「宇賀神」(宇賀神の出自についての諸説)
- 精選版 日本国語大辞典(小学館)「寅の日」(ことわざとの結びつき・婚礼を忌むこと・毘沙門天の縁日であること・紫式部日記の用例)
- 国際日本文化研究センター「怪異・妖怪伝承データベース」(1915年に山形県で記録された、寅の日の葬式を避ける言い伝え)
- 開運戦隊ゴシュインジャー「江島神社の御朱印」(巳の日に御朱印へ印が押されるという紹介。神社の公式情報ではありません)
- Google 検索の「他の人はこちらも質問」および関連検索に現れた寅の日・巳の日に関する疑問(読者の疑問の把握に用いた)
本記事は、2026年9月に国立国会図書館の公開資料、東京都神社庁の暦の解説、寺の案内(信貴山朝護孫子寺と六波羅蜜寺)、神社の案内(大杉神社・産泰神社・大神神社・大野湊神社・末廣神社)、江島神社の公式サイトの一般案内、辞典と百科事典、国際日本文化研究センターの伝承データベース、御朱印紹介サイトを確認し、寅の日と巳の日の由来と暦での扱い、神社側の案内の幅を本記事独自に整理したものです。日の吉凶の受け取り方は、暦を出す側や地域によって異なることがあります。金銭に関わる判断や結婚・葬儀の日取りは、暦ではなくご事情に合わせてお決めください。実際にお参りされる際は、参拝先の最新の案内をご確認ください。
