神社を訪れたとき、本殿を取り囲むように深い樹々が広がる光景に出会ったことはないでしょうか。鎮守の森(ちんじゅのもり)──神社に付随する森です。クスノキやタブノキの大木が空を覆い、外の喧騒から切り離された静けさが境内を包む、あの森の正体はどんなものなのでしょうか。
本記事では、鎮守の森の基本的な定義と社叢との関係、古代の自然信仰から明治の神社整理・南方熊楠の反対運動まで、タブノキ・クスノキ・シイ・カシなどの照葉樹林の生態、明治神宮の 100 年計画と春日山原始林、宮脇昭が国内外に広げた「ふるさとの木によるふるさとの森づくり」、東日本大震災で減災に寄与した現代的意義までを、神社本庁・社叢学会・宮脇昭の著作などを主な手がかりに読み解いていきます。あわせて、「太古から続く手つかずの原生林」という思い込みがどこまで実際に当てはまるのか、地域によって森の姿がどう変わるのか、田畑に残る小さな森との見分け方といった、案外知られていない見方にも踏み込みます。鎮守の森をたどると、神社文化だけでなく、日本人が自然をどう守り、どう畏れてきたのかも見えてきます。
鎮守の森とは|神社に付随する神域の森

鎮守の森(ちんじゅのもり)とは、一般に神社を囲むように残された森や社寺林を指す呼び方です。本殿・拝殿・参道を取り囲み、神域として意識され、神社・祭祀と結びついて守られてきた森として古くから大切にされてきました。
- 鎮守の森は神社を囲む神域の森で、社叢(しゃそう)という言葉とも重なり合う
- 古代の自然信仰や神奈備の考え方を背景に、後世の鎮守信仰・村落祭祀と結びついてきた
- 本州中部以南の多くの鎮守の森では、タブノキ・シイ・カシなどの常緑広葉樹が重要な構成要素となる
- 明治神宮の森は本多静六らによる 100 年計画の人工林として知られる
- 宮脇昭の「ふるさとの木によるふるさとの森づくり」は国内外の森づくりに影響を与えた
鎮守の森と社叢の関係
鎮守の森と並んで使われる言葉に社叢(しゃそう)があります。社叢は、狭義には神社の森、広義には社寺林や聖域の樹林を含む概念で、社叢学会などの研究団体が学術用語として用いています。鎮守の森はその社叢の代表的なあり方で、神域として意識され、神社・祭祀と結びついて守られてきた森を表す呼び方です。
研究・保全の文脈では「社叢」、一般向け・信仰文化の文脈では「鎮守の森」と表現されることが多い傾向があります。両者は重なる対象を指しながら、語り手の立場によって使い分けられています。
神域としての森と日常の森との違い
生産目的の林業地とは異なり、鎮守の森は祭祀・神域性を中心に守られながら、地域生活にも一定の形で関わってきた森として継承されてきました。神域として伐採が控えられ、必要最小限の手入れだけで保たれることが多いため、結果として地域の原植生が長く残りやすい性格を持ちます。
田畑の中にぽつんと残る小さな森を見比べてみると、これも鎮守の森だろうかと迷うことがあります。景観生態学では、周囲を農地や宅地に囲まれて孤立した森を「孤立林(こりつりん)」と呼び、神社の社叢もその一種として研究の対象になります。よく似た姿でも、おもに家屋を風や雪から守るために植えられた「屋敷林(やしきりん)」は、用材や食用も兼ねた個人の家の林で、成り立ちが違います。両者を対比すると、地域の氏神として社殿や鳥居があり、みんなで祀られてきたかが、鎮守の森かどうかを見分ける手がかりになります。ただし個人の家にも屋敷神の小さな祠が祀られることや、鳥居のない鎮守の森、社が失われた跡地もあるため、祠の有無だけで決めきれるわけではありません。
神道の世界観や八百万の神の見方とも重なり、自然のあらゆる場所に神が宿るとする多神信仰のなかで、神社の森は神霊が宿ると意識された樹木や岩、山を含む神聖空間として大切にされてきました。穢れを持ち込まないために神社の入口に手水舎が置かれるのも、神域に入る前に心身を清める作法として位置づけられます。
鎮守の森の歴史|古代の自然信仰から現代へ

鎮守の森の背景には、神社という建築物が整えられるよりも前の、山・森・巨木・巨石を神聖視する古い自然信仰があります。仏教伝来以前の日本では、山岳・森・巨石それ自体が祭祀の対象であり、神社祭祀の場が整えられていくなかで、境内の樹林も神聖な空間として守られていきました。現在「鎮守の森」と呼ばれるような神社周辺の森は、後世の鎮守信仰・村落祭祀・社叢概念の広がりとともに、地域の暮らしに深く根づいていきます。
カムナビ・神奈備|山と森を神の宿る場とする古代信仰
古代日本において、「神奈備(かんなび/かむなび)」は、神が鎮まる山・森・場所を指す古語的表現として用いられました。奈良の三輪山、大和の三諸山、出雲の佐太の御子主の社など、神奈備として知られる場所は全国に点在し、いずれも山と森そのものを神聖空間として捉える信仰の形を伝えています。
大神神社(おおみわじんじゃ)は、本殿を持たず、背後の三輪山そのものを御神体として祀ることで知られます。森と山が祈りの対象そのものであった時代の姿を、現代まで残す数少ない神社の一つです。
神社制度の整備と鎮守の森の定着
神社祭祀の場が整えられていくなかで、境内の樹林も神聖な空間として守られていきました。「鎮守」という言葉は平安時代以降の仏教寺院の守護神や土地守護神の文脈で広がり、近世には村落の氏神・産土神を鎮守と呼ぶようになります。現在「鎮守の森」と呼ばれるような神社周辺の森は、後世の鎮守信仰や村落祭祀の広がりとともに、地域の暮らしに深く根づいていきました。
江戸時代の村落では、多くの場合、地域の鎮守神を祀る社と周囲の樹林が、祭祀や共同体の場として機能していました。間伐や倒木の処理は地域共同で行われ、そこから取れる落ち葉や枝は燃料・堆肥として暮らしを支えました。
明治の神社合祀と南方熊楠の反対運動
1906 年(明治 39 年)の内務省訓令などを契機に、政府は「1 町村 1 社」を目指す神社整理・合祀を全国的に進めました。これにより多くの小さな神社が廃止され、そこに付随していた鎮守の森も伐採されて払い下げられる事態が広がります。
この大規模な森林伐採に強く反対したのが、和歌山の博物学者南方熊楠(みなかた・くまぐす)です。熊楠は 1909 年前後から新聞投稿や論考などで神社合祀に反対し、民俗・信仰・自然保護の観点から批判しました。1910 年前後には、合祀推進側の会場に押しかけて家宅侵入の容疑で拘留されたこともあり、運動はやがて広がります。1920 年(大正 9 年)の貴族院で「神社合祀無益」と決議され、政策は事実上終息しました。
熊楠の反対運動は、生態学(エコロジー)の視点で神社の森を語った先駆的な事例と評価され、現代の鎮守の森保全運動にも影響を残しています。
今の「鎮守の森」の姿は近代に広まった
鎮守の森は太古から続く手つかずの原生林だと、広く言われてきました。けれど、それが昔からの姿とは限りません。江戸時代の地誌や古い絵図を調べた植生史の研究では、社殿のすぐ近くを除けば、当時の境内林はアカマツを中心とした明るい林として描かれる例が多く、今のような鬱蒼とした照葉樹の森とは様子が違っていたと指摘されています。落ち葉や枯れ枝は、周辺で暮らす人々に薪や肥料として集められることもあり、地域の暮らしを支える資源になっていたためです。今の深い森の姿がずっと昔から続いてきたと考えるのは、案外多い誤解の一つです。
「鎮守の森」という言葉そのものも、それほど古いものではありません。研究では、島崎藤村の小説『夜明け前』の一節が早い使用例のひとつではないかと指摘されており、今わたしたちが思い描く「こんもりと茂った鎮守の森」の風景は、近代以降に広まったイメージだという見方が示されています。もっとも、これは神聖な森を敬う感覚まで新しいという話ではありません。森を尊ぶ心は古くからありましたが、言葉や思い浮かべる景観のほうが近代に強まった、ということです。神域として守られてきた面と、暮らしの資源として利用されてきた面。その両方を持つのが鎮守の森の実際の姿だと言えます。
鎮守の森の樹種|照葉樹林の生態系

鎮守の森を歩くと、まっすぐ伸びた背の高い樹々と、つやのある厚い葉が頭上を覆っていることに気づきます。本州中部以南の多くの鎮守の森では、タブノキ・シイ・カシ類などの常緑広葉樹(照葉樹林、しょうようじゅりん)が重要な構成要素となっています。
ただし、鎮守の森の樹種は全国どこでも同じではありません。日本列島は南北に長く、その土地に本来育つ植生(潜在自然植生)が気候帯によって変わるためです。自分の住む地域の鎮守の森がどんな樹でできているかは、次の一覧表のように気候帯で分けて考えると見当がつきます。
| 気候帯 | 主な地域 | 本来の植生 | 代表的な樹種 |
|---|---|---|---|
| 暖温帯(照葉樹林帯) | おおむね関東以西の低地 | 常緑広葉樹の照葉樹林 | タブノキ・シイ・カシ |
| 移行帯 | 関東周辺 | 常緑樹と落葉樹が入り交じる(太平洋側は東北南部あたりまで常緑樹も) | シイ・タブ/コナラ・クヌギ |
| 冷温帯(落葉樹林帯) | 東北・北陸・北海道南西部 | 落葉広葉樹林 | ブナ・ミズナラ |
たとえば東北や北陸のような冷温帯の地域になると、山地を中心にブナやミズナラといった落葉樹が代表的になります。ただし同じ東北でも、標高や海沿いか内陸か、人の手の入り方によって、ヒバやスギ、アカマツが目立つ森もあります。「鎮守の森といえば常緑の照葉樹林」というイメージは、あくまで暖かい西日本を中心とした姿で、地域によって森の顔つきは大きく変わります。こうした気候帯の境目も一本の線ではなく、日本海側や海沿いの低地では常緑の照葉樹がより北まで見られます。表の区分はおおまかな目安と考えてください。
タブノキ・クスノキ・シイ・カシなど常緑広葉樹
鎮守の森を代表する樹種としては、次のような常緑広葉樹が挙げられます。
- タブノキ(椨):照葉樹林の代表的な樹種で、暖地の鎮守の森で大木として育つことが多い樹
- クスノキ(楠):暖地の鎮守の森を象徴する大木。樹齢千年級の巨樹も各地に点在し、御神木として祀られる例がみられます
- シイ(椎):スダジイ・ツブラジイなどがあり、関東以西の照葉樹林を構成する代表的な樹
- カシ(樫):シラカシ・アラカシなど。境内の主木として植えられることも多い樹
- ツバキ(椿):照葉樹林の下木として広く分布する常緑広葉樹
これらの樹々は、神社の境内に長く残されてきた結果、一部の社叢ではその地域の潜在自然植生(その土地に本来育つはずの植生)を知る貴重な手がかりとなっています。
神社の大木が伐られない理由
神社の境内で、樹齢数百年から千年に及ぶ大木に出会うことがあります。これらが伐採されずに残ってきた背景には、樹霊信仰──大きな樹に神が宿るとする古代以来の感覚があります。
注連縄(しめなわ)が巻かれた巨木は御神木(ごしんぼく)として祀られ、伐採の対象から外されます。神社の境内地そのものが神域として伐採を控えられてきたことに加えて、御神木の存在が大木の保全をいっそう確かなものにしてきました。参拝作法のなかで樹々に手を合わせる人も少なくないのは、この樹霊信仰の流れを汲む感覚と言えます。
社叢に保たれる「潜在自然植生」
植物生態学者・宮脇昭は、鎮守の森がその土地の「潜在自然植生」──人為を加えなければ本来育つはずの植生──を保ち続けてきたことに着目しました。一部の社叢では、周辺開発を免れたことで地域本来の植生を知る手がかりが残されてきました。
この発見は、後述する「宮脇方式」と呼ばれる森づくりの理論的基盤となり、現代の生態系再生の手法にもつながっていきます。
有名な鎮守の森|明治神宮・春日山原始林ほか

日本各地に鎮守の森は存在しますが、なかでも歴史的・文化的に広く知られる森がいくつかあります。明治神宮の森と春日山原始林は、その代表的な二つです。
明治神宮の森|本多静六らによる 100 年計画の人工林
東京・代々木の明治神宮の森は、1920 年(大正 9 年)の創建にあわせて造成された人工林です。創建以前の代々木は、現在のような深い森ではなく、造成によって森がつくられました。林学者の本多静六(ほんだ・せいろく)、本郷高徳(ほんごう・たかのり)、上原敬二(うえはら・けいじ)らが、100 年・150 年先を見据えた森づくりを設計しました。
計画の核は、関東の潜在自然植生に近い常緑広葉樹(カシ・シイ・クスノキなど)を中心に据え、当初は針葉樹で速やかに森を立ち上げつつ、時間をかけて広葉樹へと遷移させるという多段階の森林計画でした。全国から献木された約 10 万本の苗木が植えられ、100 年後の今、都心のなかに 3,000 種以上の動植物が確認される豊かな森が成立しています。
明治神宮の森は、人工的に造成されながら、自然更新する森を目指した事例として、国内外で広く紹介されています。
春日山原始林|ユネスコ世界文化遺産
奈良の春日大社の背後に広がる春日山原始林は、約 250 ヘクタールの面積を持つ天然の鎮守の森です。春日大社の神域として、平安時代初期の 841 年(承和 8 年)に狩猟・伐採が禁じられて以来、原生に近い照葉樹林が長く保たれてきました。
1998 年(平成 10 年)にユネスコの世界文化遺産「古都奈良の文化財」の構成資産の一つとして登録され、神域と原始林がそのまま世界遺産となっている貴重な事例です。春日大社の参拝とあわせて、千年以上続いてきた森の姿に触れることができます。
全国の鎮守の森と地域の暮らし
明治神宮や春日山のような大規模な森だけでなく、全国の村や町には、地域の鎮守神を祀る小さな神社と、それを囲む鎮守の森が点在しています。大規模・小規模を問わず、多くの神社には境内林や樹木が残り、地域の景観や祭祀と結びついています。京都の八坂神社、名古屋の熱田神宮などにも、それぞれの土地の風土に応じた境内林が継承されています。
こうした地域の鎮守の森は、お祭りや初詣の舞台となり、子どもの遊び場となり、地域コミュニティの中心として暮らしと結びついてきました。
宮脇方式|ふるさとの木によるふるさとの森づくり

植物生態学者の宮脇昭(みやわき・あきら、1928-2021)は、鎮守の森に残る潜在自然植生の研究から出発し、「ふるさとの木によるふるさとの森づくり」という独自の植林方式を確立しました。国内外で知られる「宮脇方式(Miyawaki Method)」は、鎮守の森に残る潜在自然植生の考え方と、生態系再生の実践をつなぐ手法として紹介されています。
潜在自然植生に基づく混植密植
宮脇方式の核は、その土地に本来育つはずの常緑広葉樹(潜在自然植生)を、複数種・密植して植えるという手法です。鎮守の森の樹相を観察した宮脇は、タブノキ・シイ・カシなどを若木の段階で混ぜて密植することで、数十年で深い森に育てられることを実証しました。
従来の植林が単一樹種を疎に植える方式だったのに対し、宮脇方式は多種類を密に植えることで樹々の競争を促し、自然遷移を加速させることを目指します。初期の数年間は管理を行い、その後は自然の成長に委ねるのも特徴です。
新日鐵大分での実践から国内外の森づくりへ
宮脇方式の最初の大規模実践は、1971 年ごろ、新日本製鐵大分製鉄所で始まった植樹でした。製鉄所の緑化を依頼された宮脇は、潜在自然植生の調査に基づいて常緑広葉樹を混植密植し、数十年で「本物の森」を育てる方法を世に示しました。
この方法はその後、国内の企業緑化・自治体の防災林・学校の校庭の森づくりに広がり、海外でもマレーシアの熱帯林再生、ブラジル・中国・ケニアなどの環境再生プロジェクトに採用されました。宮脇方式は国内外の多数の企業・自治体・環境再生プロジェクトに広がり、宮脇昭は国際的にも知られる植物生態学者として、日本発の森づくり手法を世界に伝えた人物となりました。
SDGs 時代の鎮守の森
宮脇方式は、近年の生物多様性保全や気候変動対策の文脈でも紹介されることがあります。その発想は、地域の樹種を生かした環境再生や、生物多様性の保全とも結びつけて語られています。
結果として、鎮守の森の一部は、長期にわたる自然保全の役割を果たしてきた例として現代の生態学から評価されており、それが、宮脇方式が国内外の森づくりへ広がっていく背景にもなりました。
鎮守の森の現代的意義|防災・生態系・コミュニティ

かつて祭祀や地域共同体の場として守られてきた鎮守の森は、近年、防災や生物多様性の面からも見直されています。防災・生態系保全・地域コミュニティの三つの側面から、鎮守の森を眺めてみます。
東日本大震災と防潮林としての鎮守の森
2011 年の東日本大震災の津波被害において、一部の地域で、神社周辺の常緑広葉樹林が津波の勢いを弱めたり、漂流物を受け止めたりした事例が報告されました。岩手県・宮城県の沿岸部の事例を中心に、鎮守の森が減災に資する可能性が改めて注目されました。
宮脇昭はこれを受けて、東北の被災地海岸沿いに「いのちを守る森の防潮堤」を提唱し、混植密植による森の防潮堤づくりを進めました。コンクリート防潮堤を補完する選択肢として、生きた森による減災への可能性が注目された実践です。
都市の生物多様性ホットスポット
都市化が進むなかで、鎮守の森は都市のなかに残された数少ない生物多様性ホットスポットとなっています。明治神宮の森には 3,000 種以上の動植物が確認されており、都市の小規模な社叢も、コンクリートに囲まれた市街地のなかで生きものの避難場所となる場合があります。
都市の鎮守の森は、ヒートアイランド緩和・大気浄化・地下水涵養といった環境調整機能を持つだけでなく、都市住民が自然と触れ合う身近な場としても再評価されています。森林浴や緑地の心理的効果に関する研究も進んでおり、鎮守の森を訪れることの意味も改めて見直されています。
地域コミュニティの場としての鎮守の森
鎮守の森はかつて、お祭り・盆踊り・初詣・縁日など、地域コミュニティの中心的な場として機能してきました。地域の人々が森の手入れをし、お祭りに集い、子どもが遊ぶ場として、人と人をつなぐ役割を担ってきたわけです。
都市化と核家族化のなかでその役割は薄れた時期もありますが、近年は「鎮守の森を地域の宝として守る」運動が各地で広がっています。社叢学会の活動、自治体の保全条例、企業の CSR としての森づくりなど、新しい形での鎮守の森の継承が始まっています。伊勢神宮の禁足地のように神域として立ち入りが制限される森もあれば、参道や境内として地域に開かれる森もあり、鎮守の森のあり方は一様ではありません。
よくある質問
- 鎮守の森と社叢は同じものですか?
- 重なる対象を指しますが、語感が異なります。社叢は、狭義には神社の森、広義には社寺林や聖域の樹林を含む概念で、研究・保全の文脈で用いられることが多い言葉です。鎮守の森は、神域として意識され、神社・祭祀と結びついて守られてきた森を指す呼び方です。両者は重なる対象を指しながら、語り手の立場によって使い分けられています。
- 明治神宮の森は天然林ですか?
- 人工林です。1920 年の創建にあわせて、本多静六・本郷高徳・上原敬二らの林学者が 100 年・150 年先を見据えて造成しました。創建以前の代々木は、現在のような深い森ではなく、関東の潜在自然植生に近い常緑広葉樹を中心に据え、全国から献木された約 10 万本の苗木を植えることで、現在の豊かな森が成立しました。人工的に造成されながら、自然更新する森を目指した事例として、国内外で広く紹介されています。
- 神社の大木はなぜ切られないのですか?
- 樹霊信仰と神域の伐採規制という二つの背景があります。古代以来、大きな樹には神が宿るとする感覚が伝えられ、注連縄が巻かれた大木は御神木として祀られて伐採の対象から外れます。さらに、神社の境内地そのものが神域として伐採を控えられてきたことで、樹齢数百年から千年に及ぶ大木が長く守られてきました。クスノキ・タブノキ・スギなどの巨樹が、全国の神社に今も残されています。
- 鎮守の森を散歩してもよいですか?
- 多くの神社は参道や境内の通路を開放しており、自由に歩くことができます。ただし、各神社によって立ち入りが制限される区域もあるため、案内表示に従うのが基本です。森の中で大声を出さない、ゴミを持ち帰る、植物や昆虫を持ち帰らない、といった配慮も大切です。鎮守の森は神域であると同時に貴重な生態系でもあるため、訪れるときは静かに歩くのが望ましい姿勢とされています。
- 神社合祀で多くの鎮守の森が消えたというのは本当ですか?
- 実際に、明治末期の神社整理・合祀により、多くの社叢が失われました。1906 年(明治 39 年)の内務省訓令などを契機に、「1 町村 1 社」を目指す神社整理・合祀が全国的に進められ、廃止された神社に付随していた鎮守の森が伐採・払い下げられました。和歌山の博物学者・南方熊楠が 1909 年前後から反対し、1920 年(大正 9 年)の貴族院で「神社合祀無益」と決議されて政策は終息しました。ただし地域差があり、すべての鎮守の森が一律に失われたわけではありません。
- 宮脇方式とは何ですか?
- 植物生態学者の宮脇昭が確立した、潜在自然植生(その土地に本来育つはずの植生)に基づく植林方式です。タブノキ・シイ・カシなどの常緑広葉樹を、若木の段階で複数種・密植して植え、樹々の競争を促すことで、数十年で深い森に育てる手法です。1971 年ごろの新日鐵大分製鉄所での実践を皮切りに、国内外の多数の企業・自治体・環境再生プロジェクトに広がり、SDGs の文脈でも再評価されています。
- 鎮守の森は本当に防潮林として機能したのですか?
- 2011 年の東日本大震災で、一部の地域で、岩手県・宮城県の沿岸部の神社周辺の常緑広葉樹林が津波の勢いを弱めたり、漂流物を受け止めたりした事例が報告されました。これを受けて宮脇昭は、被災地海岸沿いに「いのちを守る森の防潮堤」を提唱し、混植密植による森の防潮堤づくりを進めました。コンクリート防潮堤を補完する選択肢として、減災に資する可能性が注目された実践です。ただし、すべての津波を完全に防げるわけではなく、補完的な防災機能として位置づけられます。
- 鎮守の森の「森」と「杜」はどう違うのですか?
- どちらも樹々の集まりを指しますが、使い分けの説明があります。「杜」は「土」と「木」を組み合わせた字で、日本では主に神社の森や神域(鎮守の杜)を思わせる樹林を表すときに使われることがあるとされます。一方の「森」は、宗教的な意味を伴わない自然の森林一般を指して使われることが多い字です。ただし古くは「森」の字そのものが神聖な木立ちや聖なる場所を指すこともあり、両者をきれいに切り分けられるわけではありません。神社の森を「鎮守の杜」と書く例が見られるのは、そこが神域であることを込めた表記と説明されるためで、どちらの字で書いても間違いではありません。
- 鎮守の森は今も減っているのですか?
- 地域によって事情は異なりますが、明治時代の神社合祀だけでなく、現代にも社叢が小さくなったり手入れが難しくなったりする要因があると指摘されています。都市の近郊では道路の拡幅や宅地・施設の開発で社叢が削られ、地方では過疎化と担い手不足で手入れがされなくなり、無住となった神社の敷地が売却・転用される例もあると報じられています。落ち葉や日照、倒木のリスクをめぐる近隣の声が、個別の伐採のきっかけになることもあります。こうした流れに対して、社叢学会の活動や自治体の保全条例など、鎮守の森を守り継ぐ取り組みも各地で進められています。
まとめ|千年の森が伝える日本の自然観
鎮守の森は、古い自然信仰を背景にしながら、神社祭祀・鎮守信仰・村落の暮らしと重なり合って受け継がれてきた、日本の森林文化の一つです。本州中部以南の多くの鎮守の森では、タブノキ・クスノキ・シイ・カシなどの常緑広葉樹が重要な構成要素となり、一部の社叢では、その土地の潜在自然植生を知る手がかりも残されています。
明治の神社合祀で多くの森が伐採されかけた歴史と、南方熊楠の反対運動による保全の流れ、明治神宮の 100 年計画による人工林の造成、宮脇昭の「ふるさとの木によるふるさとの森づくり」の国内外への広がり──これらの節目を辿ると、鎮守の森が日本人と自然の関わり方とともに姿を変えてきたことがわかります。
東日本大震災での減災事例、都市の生物多様性ホットスポット、地域コミュニティの場としての価値──現代の鎮守の森は、信仰の場であると同時に、防災や生物多様性、地域のつながりを支える具体的な役割も担っています。神道全体の見取り図は神道の世界観で、自然神の体系は八百万の神で、神域の清浄観念は穢れとはで詳しく整理していますので、合わせてお読みください。
参考文献
神社・公的団体の公式案内
- 神社本庁「鎮守の森の物語」https://www.jinjahoncho.or.jp/sys/category/chinjunomori
- 明治神宮 公式サイト「明治神宮の杜について」https://www.meijijingu.or.jp/
- 春日大社 公式サイト「春日山原始林」https://www.kasugataisha.or.jp/
- 南方熊楠記念館「神社合祀反対運動」https://www.minakatakumagusu-kinenkan.jp/kumagusu/life/goushihantai
- ナショナル ジオグラフィック日本版「日本人がつくった自然の森――明治神宮『鎮守の杜に響く永遠の祈り』」https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20110617/274594/
参考事典・補助資料
- 宮脇昭『鎮守の森』(中公文庫、2024 年増補版)
- 綱本逸雄「『鎮守の森』という言葉について」『植生史研究』第 7 巻第 1 号(1999 年、日本植生史学会)https://hisbot.jp/journalfiles/0701/0701_039-041.pdf
- 田中淳夫『虚構の森』(新泉社)
- 林野庁 東北森林管理局「管内の概要」https://www.rinya.maff.go.jp/tohoku/introduction/gaiyou_kyoku/kannai_gaiyou/outline.html
- 社叢学会 公式サイトhttps://www.shasou.org/
- イオン環境財団「鎮守の森プロジェクト」https://www.aeon.info/ef/
- コトバンク「鎮守の森」「社叢」「神社合祀」「屋敷林」https://kotobank.jp/
- 大田千絵「奈良盆地における孤立神社林の植生動態と保全」『日本地理学会発表要旨集』(2017 年)https://www.jstage.jst.go.jp/article/ajg/2017s/0/2017s_100054/_article/-char/ja/
- Wikipedia「鎮守の森」「南方熊楠」「宮脇昭」「照葉樹林」(補助確認用)
