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干支とは|十二支と十干の違いと、恵方や年神につながるしくみ

ivory washi 背景の painterly なアイキャッチ画像。画面右側に生成り色の無地の縄が2本置かれ、それぞれがゆるやかな輪をつくって1か所だけで重なり合っている。太さがわずかに違う2本はどちらも同じ明るさで、朝の斜光が縄の縁に薄い影を落とす。左上に「干支と十二支の違い」の横書きタイトル。

「来年の干支は何ですか」と聞かれたら、たいていは「午です」「未です」と動物の名前で答えると思います。ところが国立国会図書館の解説「日本の暦」を開くと、干支(えと)は十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)の組み合わせで、全部で60通りあると書かれています。動物の12種類は、その片方にすぎません。

では、ふだん話題にのぼらない十干はどこへ行ったのでしょうか。調べていくと、節分に向く恵方(えほう)の方角や、正月に迎える年神(としがみ)とのつながりの中に、十干は今もはっきり残っていました。この記事では、十二支と十干がそれぞれ何を数える呼び名なのかを確かめてから、恵方が決まるしくみと年神までを、国立国会図書館・国立天文台・辞典・神社の資料をもとに順に見ていきます。

この記事のポイント
  • 干支は十干と十二支を組み合わせた呼び名で、組み合わせは60通りあります
  • 国立国会図書館によれば、十二支はもともと月の順を表す呼び名で、動物はあとから当てはめられました
  • 十干はもともと、日を10日ずつのまとまりで数える呼び名でした。五行を「兄(え)」と「弟(と)」に分けたことから「えと」という読みが生まれました
  • 10×12の120通りにならないのは、十干と十二支を1つずつ同時に進めるからです
  • その年の十干がわかると、恵方の方角と月の干支が決まります
  • 年神は正月に家へ迎える神、歳徳神(としとくじん)は暦の上でその年の恵方にいるとされる神です。辞典は両者を重ねて説明しています
目次

干支は十二支のことではない

ivory washi 背景の painterly な画像。白木の無地の木札が2枚だけ、どちらも横長の向きで平行に、上の札が右下へ少しずらして重ねて置かれている。札には墨字も罫線もなく、木目と面取りの質感だけが見える。朝の斜光で上の札の影が下の札に薄く落ちる。干支が二つの数え方の組み合わせであることを示す象徴画像。

先に結論をお伝えします。干支は十二支のことではなく、十干と十二支を組み合わせた60通りの呼び名です。国立天文台の暦計算室は、干支を「十干と十二支を組み合わせて、周期的に60までの数を数える方法」と説明しています。国立国会図書館も「干支の組み合わせ(十干と十二支の組み合わせ)は60通りあり、六十干支と呼びます」と書いています。

3つの言葉の関係を、先に並べておきます。

十干(じっかん)

甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類。もともとは日を10日ずつのまとまりで数える呼び名でした

十二支(じゅうにし)

子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類。国立国会図書館によれば、もともとは月の順を表す呼び名でした

六十干支(ろくじっかんし)

十干と十二支を組み合わせた60通り。甲子(きのえね)から始まり、癸亥(みずのとい)で一巡します

年賀状に書くのも、生まれ年を答えるときに使うのも、ふつうは十二支だけです。飾り方や片付け方で迷いやすい干支の置物については、『神社の縁起物』で扱っています。

干支と聞いて、私が最初に思いうかべたのも十二支の動物でした。十干については、甲子園の「甲」くらいしか意識したことがありませんでした。調べてみて、年の十干が恵方の方角を決め、月の干支も決めていることを知りました。十二支は年賀状や生まれ年の話で毎年のように口にしますが、甲・乙・丙と漢字が並ぶ十干は、ふだんの会話に出てくる場面がほとんどありません。十干は今も暦の中で使われています。ただ話題にのぼる機会が少ないので、干支という言葉が十二支だけを指すようになったのではないかと考えています。

国立国会図書館によれば十二支はもともと月の順を表す呼び名だった

ivory washi 背景の painterly な俯瞰画像。浅い木の盆を真上から見た構図で、無地の丸い小石が12個、横4列×縦3列の格子に等間隔で並んでいる。小石はどれも同じ大きさと明るさの生成り色で、刻みや文字はない。柔らかな拡散光で影はごく薄い。十二支が12のまとまりであることを示す画像。

十二支は、はじめから動物の名前だったわけではありません。国立国会図書館は、十二支は「もともと12ヶ月の順を表わす呼び名でしたが、やがてこれらに12種の動物を当てはめるようになった」と説明しています。ねずみや牛は、あとから重ねられた姿だということです。

年を十二支で呼ぶのは木星の動きから

年を十二支で呼ぶ方法について、国立天文台の暦計算室は、歳星(さいせい)すなわち木星の位置で年を表す歳星紀年法が、十二辰(じゅうにしん)を使う方法へ変わったものだと説明しています。木星はおよそ12年で空をひと回りします。その位置で年を呼んでいたものが、後漢のころには木星の位置によらず、単純に干支を並べるようになったとされ、それが現在まで続いています。

時刻と方角にも十二支が残っている

十二支は年だけでなく、時刻と方角にも使われてきました。国立天文台の一覧では、方角は北を子として東回りに名づけていき、子が北、卯が東、午が南、酉が西にあたります。地図で北と南を結ぶ線を「子午線」と呼ぶのは、子と午を結ぶ線だからです。北東を「丑寅(うしとら)」と呼ぶのも、丑と寅のあいだにあたるためです。

時刻のほうは、1日を12に分けて十二支を当てはめます。同じ一覧によれば、定時法では子が23時から1時、午が11時から13時です。夜中を「子の刻」と呼ぶ言い方は、ここから来ています。

十二支に猫がいない話と動物の順番

十二支の動物の順番は、神さまのもとへ早く着いた順に決まったという昔話で覚えている方もいると思います。大阪府立中央図書館が「十二支の中に猫がいないのはなぜか」という質問に答えた記録(国立国会図書館のレファレンス協同データベースに登録)では、日本民俗大辞典からこの話が引かれています。神さまが動物を集めて、12番目までに着いたものを十二支にすることにしたところ、猫は集まる日を忘れてしまい、ネズミに聞くと、ネズミがわざと次の日を教えた、という話です。

同じ記録には、暦の百科事典の説明も並んでいます。十二支の成り立ちと合わせて、時間の順に並べると次のようになります。

  1. 十二支は、もともと12か月の順番を表す呼び名だった(国立国会図書館)
  2. 子・丑・寅などの呼び名には本来動物の意味はなく、中国の戦国時代に動物が当てはめられるようになった(暦の百科事典)
  3. 並んだ動物の順番を、神さまのもとへ集まった競争として語る話が伝わる(日本民俗大辞典。いつごろ生まれた話かは、今回たどった資料では確認できませんでした)

資料の上では、順番の呼び名が先にあり、動物はあとから重ねられたことになります。競争で順番が決まったという話は、日本民俗大辞典という民俗の辞典に、言い伝えのひとつとして載っているものです。同じ辞典には、お釈迦さまが亡くなったときに動物たちが集まったという話もあると書かれていて、集まる相手が違う話も伝わっています。

どうしてこの12種の動物が選ばれたのかも、はっきりしていません。同じ大阪府立中央図書館の紹介ページは、干支の動物誌(阿部禎著)から、十二支の動物を「いつ誰が考えついたのかについては、これといった定説はありません」という一文を引いています。同じページによれば、干支の書という本には、ベトナムの十二支では兎のかわりに猫が入っていると書かれています。

猫の話は、昔話として今も語られています。ただ、動物がなぜこの12種で、なぜこの順番なのかについては、定説がないというのが、図書館がたどった資料の答えです。

十干は日を10日ずつ数える呼び名

ivory washi 背景の painterly な画像。無地の細い竹の札が10枚だけ、横一列に等間隔でわずかに立てかけて並んでいる。すべて同じ高さと幅で、墨字も刻みもない。左からの斜光で足もとに同じ濃さの薄い影が10本並ぶ。十干が10のまとまりであることを示す画像。

十干のほうは、日を数えるための呼び名です。国立国会図書館は十干を「日を順に10日のまとまりで数えるための呼び名(符号)」と説明しています。甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類で、10日でひと回りします。国立天文台によれば、十干と十二支を合わせて日を数えるやり方は、殷の時代の甲骨文にすでに見られます。五行や、兄と弟にあてる「え」「と」の読みは、日を数えるための符号だった十干に、あとから結びつけられた説明です。

「えと」という読みは兄と弟から来ている

十干の読み方には、五行(木・火・土・金・水)が入っています。甲は「きのえ」、乙は「きのと」と読み、それぞれ「木の兄」「木の弟」を表します。精選版日本国語大辞典は、干支を「十干を五行(木・火・土・金・水)に二つずつ分けて、それぞれを陽の気を表わす『え』と陰の気を表わす『と』に当て、これに十二支を順に組み合わせたもの」と説明しています。「え」は兄、「と」は弟の意味です。

国立国会図書館も、陰と陽を兄と弟に見立てて「兄弟(えと)」と呼ぶようになったと書いています。「えと」という読みは、もともと十干の兄と弟から来た言葉です。動物の十二支を「えと」と呼ぶのは、言葉の成り立ちから見ると少し不思議な呼び方だといえます。

10種類すべての読みと五行は、恵方の章の早見表にまとめました。

組み合わせが120ではなく60通りになる理由

ivory washi 背景の painterly な静物画像。きちんとたたんだ朱色の羽織が1枚置かれ、その上に同じ朱色の頭巾が1つだけ載っている。人は着ておらず衣だけで、生地の織り目と縁のかがりが見える。朝の光が畳み目に薄い影を落とす。六十干支が一巡して還暦になることを示す象徴画像。

十干が10種類、十二支が12種類なら、組み合わせは120通りになるのでは?

相談サイトでも、この疑問はくり返し寄せられています。答えは、十干と十二支を1つずつ同時に進めていくので、60通りで一巡するからです。

最初の組み合わせは甲子(きのえね)です。次は十干も十二支も1つずつ進めて乙丑(きのとうし)、その次は丙寅(ひのえとら)になります。十干は10番目の癸を過ぎると甲に戻り、十二支は12番目の亥を過ぎると子に戻ります。両方がそろって最初に戻るのは、10と12の最小公倍数である60を数えたあとです。61番目で、ようやく甲子に戻ります。

この進め方だと、甲と丑のような組み合わせは一度も出てきません。十干の奇数番目(甲・丙・戊・庚・壬)は十二支の奇数番目(子・寅・辰・午・申・戌)とだけ組み、偶数番目どうしも同じです。120通りのうち、実際に使われるのは半分の60通りということになります。

還暦と甲子園に残る六十干支

60通りが一巡して、生まれた年と同じ干支がまためぐってくるのが還暦です。国立国会図書館は、六十干支が一巡すると還暦になると説明しています。

身近な名前にも六十干支は残っています。阪神甲子園球場の公式サイトは、球場が完成した1924(大正13)年について、「十干」と「十二支」それぞれの最初である「甲」と「子」が合わさる縁起のよい年だったと説明しています。その年の干支が、そのまま名前になりました。

干支は年号より前から年を数えてきた

ivory washi 背景の painterly な静物画像。浅い桐の台に錆の浮いた古い鉄剣が1本だけ斜めに置かれ、刃の面に金の細い筋が途切れがちに走っている。手前に無地の表紙の和綴じの帳面が1冊、閉じた状態で置かれる。朝の光で鉄の梨地と金の筋が静かに光る。干支で年を記した実物を示す画像。

干支は吉凶の話と結びつけて語られることが多いのですが、もともとは年や日を番号のように数える道具として使われてきました。

年号より前に干支で年を書いていた

旺文社日本史事典は、日本では干支が「年号に先立って6〜7世紀に用いられた」と説明しています。精選版日本国語大辞典にも「日本では推古朝の頃より暦に採用された」とあります。

実物も残っています。埼玉県の稲荷山古墳から出た国宝の金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)には、金の線で115文字の銘文が刻まれています。さきたま史跡の博物館によれば、この銘文には「辛亥の年(471年)」に、ヲワケという人物がワカタケル大王に仕えたことが記されています。年は、干支で書かれていたわけです。

出来事の名前にも干支が残っている

歴史の授業で出てくる壬申の乱(672年)や戊辰戦争も、起きた年の干支が名前になっています。戊辰戦争が始まったのは戊辰の年にあたる1868年で、戦いは1869年まで続きました。国立天文台は、こうした出来事がいつ起こったのかも、干支を数えれば60年の範囲でわかると書いています。

改暦が布告されたのは明治5年11月(1872年12月)です。そして明治5年12月3日が明治6年(1873年)1月1日となり、暦は太陽暦へ切り替わりました。それでも干支は暦から外されませんでした。国立天文台によれば、明治改暦でも「年や日付を連続的に数えるのに便利なので掲載するよう達が出されています」。数えやすさが、改暦のあとも干支を暦に残す理由として挙げられていたことになります。

月と日にも干支がある

干支は年だけのものではありません。月にも日にも割り当てられています。

月の干支は年の十干で決まる

国立天文台は、月の干支について「年の干支とくに十干がわかれば、月の干支もわかります」と書いています。月の十二支は正月が寅、二月が卯と毎年同じで、年によって変わるのは十干だけです。暦Wikiの表では、甲か己の年の正月は丙寅、乙か庚の年の正月は戊寅になっています。十干は10年でひと回りし、月の十二支は12か月で決まっているので、月の干支の組み合わせは60か月、つまり5年で一巡します。

ここで出てきた「甲と己」「乙と庚」という組み合わせは、あとで恵方を見るときにもう一度出てきます。

日の干支は60日でひと回りする

日にも干支があります。国立天文台によれば、殷の時代の甲骨文でもすでに日付に干支が使われていました。日の干支からは、寅の日・巳の日・甲子の日といった吉日が決まります。十二支だけを見る寅の日や巳の日は12日ごとに、十干と十二支がそろう甲子の日は60日ごとにめぐってきます。吉日と暦の関係は『神社参拝に良い日はあるのか』でくわしく扱っています。

もうひとつ、国立天文台は暦注には節月(せつげつ)を基準とするものが多いとも説明しています。節月は、二十四節気の立春から始まる月を正月として数えるひと月のことです。暦の上の1月1日とは始まりがずれるため、このずれがよくある質問の「干支は元日と立春のどちらで変わるのか」という迷いの背景になっています。二十四節気そのものは『二十四節気と五節句とは』で扱っています。

60日ごとにめぐる甲子の日の祭り

日の干支は、今も祭りの日取りに使われています。島根県出雲市の出雲大社は、十干の始まりの「甲」も十二支の始まりの「子」も「種子が芽吹き始める様」を表すと説明し、60日に1回めぐる甲子の日に、御本殿で甲子祭を行っています。公式サイトによれば、甲子祭では農業の繁栄が祈られ、年に6回か7回ある甲子祭のうち4回には、籾種(もみだね)・綿種・水・麦が特別な神饌(しんせん、神さまへのお供え)として供えられます。

甲子の日を祭りの日にしているのは、神社だけではありません。今回確かめた3つのお寺は、どこも甲子の日を大黒天と結びつけています。ただし案内に書かれている言葉は、寺ごとに違います。大阪市天王寺区の四天王寺(和宗総本山)は、甲子の日に行う「甲子会」の案内で、甲子の日を「十干十二支の最初」とし、この日に大黒天をお祀りするとご利益があるとされる、と説明しています。岡山市北区の最上稲荷山妙教寺(日蓮宗)は、三面大黒天の甲子祭について、甲子の日を「十干十二支の六十通りの組合せの一番目」と説明しています。京都市左京区の松崎山妙円寺(松ヶ崎大黒天)は、甲子大祭を「大黒様のご縁日(60日に1回、甲子の日)」に行うお祭りとしています。

4か所の説明を並べると、同じ甲子の日でも、祭りの理由は違います。出雲大社は甲と子の字の意味から種と農業の話につなげ、今回確かめた3か寺は大黒天の縁日やご縁日として説明しています。日取りの根拠も一律ではありません。甲子が十干十二支の最初であることに触れているのは出雲大社・四天王寺・最上稲荷山妙教寺で、60日に1回という周期に触れているのは出雲大社と松ヶ崎大黒天です。どちらも、この記事で見てきた暦の数え方にあたります。

今回確かめた4社寺は、いずれも甲子の日を祭日や縁日として案内しています。そして暦の上の甲子は、60日ごとにめぐってきます。本当にそのとおりに並んでいるのか、公式サイトに出ている日付で数えてみました。最上稲荷山妙教寺が案内している2026年の甲子祭は、2月19日、4月20日、6月19日、8月18日、10月17日、12月16日の6回で、どの間隔もちょうど60日です。出雲大社の公式サイトには、2020年7月20日に「第四甲子祭」を行ったという記事があります。暦の周期から逆算すると、2020年の甲子の日は元日から1月22日、3月22日、5月21日と続き、4回目がちょうど7月20日でした。連続した日程まで数えられたのは、この最上稲荷山妙教寺の2026年の6回と、出雲大社の第四甲子祭です

ただし、今回確かめたのは神社1社とお寺3か寺の公式サイトで、甲子の日に祭りを行う社寺が全国どこにでもあるわけではありません。祭りの日時や内容は年によって変わることもあるので、お参りする年の各社寺の案内で確かめてください。

年神と歳徳神はどんな神か

淡い朝空を背景にした painterly な情景画像。早朝の日本家屋の玄関前で、引き戸の左右に松と竹だけの簡素な門松が2基、同じ大きさで対に置かれている。奥にはうっすらと朱色の鳥居の輪郭が1基。掃き清められた敷石に朝の斜光が薄い影を落とす。正月に年神を家へ迎える情景の画像。

恵方の話に入る前に、恵方にいるとされる神のことを確かめておきます。正月に迎える神は年神(としがみ)、恵方にいる神は歳徳神(としとくじん)と呼ばれます。

正月に家へ迎える年神

神社本庁の公式サイトは、用語解説で「年神・歳徳神」をひとつの項目にまとめ、「正月に訪れるとされる神さまで、新しい年に豊かな実りをもたらすとされる」と説明しています。

日本大百科全書(ニッポニカ)は、年神は歳神とも書き、歳徳神、正月様、若年(わかどし)様などとも呼ぶとしています。そのうえで、年神を先祖の霊とみる考え方と、稲の実りを育てる神とみる考え方の両方を紹介しています。世界大百科事典(旧版)の「松の内」の項目は、門松や年棚(としだな)の松について、年神の依代(よりしろ)、つまり神が宿る目印だったのではないかと説明しています。

暦の上で方角にいる歳徳神

一方の歳徳神は、暦の側から説明される神です。デジタル大辞泉は歳徳神を「陰陽道でその年の福徳をつかさどるとされる神」とし、この神のいる方角を明きの方・恵方と呼んで「万事に吉という」と書いています。陰陽道(おんみょうどう)は、陰陽五行説をもとに、暦や方角の吉凶、占い、祭祀(さいし)などをあつかった体系です。国立国会図書館も、歳徳神を「牛頭天王の后で、八将神の母」と紹介し、この神のいる方位が恵方と呼ばれると説明しています。

辞典どうしでも、年神と歳徳神はお互いの別名として参照されています。百科事典マイペディアは、恵方棚(えほうだな)や床の間に鏡餅やお神酒を供えて年神を祭ると説明しています。

正月の神さまについて調べるまで、私は年神と歳徳神を、同じ神さまの別の呼び名だと思っていました。辞典を並べてみると、年神は正月に家へ迎える神さまとして説明され、歳徳神は暦の上でその年ごとに決まった方角にいる神さまとして説明されています。家へやって来る神さまを、恵方に向けて設けた棚でお迎えする。この習わしは、もともと出どころの違う二つの考え方が、正月という同じ時期に重なってできたものではないのかと考えています。

恵方は年の十干で決まる

ivory washi の一枚を真上から見た painterly な俯瞰画像。中央付近から外へ向かって白木の無地の矢羽根が4つだけ、互いに直角のまま全体が少し斜めに傾いて放射状に置かれている。4つはすべて同じ長さと明るさで、墨字も刻みもなく、中央に円盤や目盛り、方位の印は置かれていない。恵方が4方向にまとまることを示す画像。

ここで十干が戻ってきます。恵方の方角は、その年の十干で決まります。世界大百科事典は、歳徳神は「その年の干に当たる方角にいるとされる」と説明し、例として「己(つちのと)の年は甲(きのえ)の方角、すなわち寅卯の間に歳徳神がいるとされる」と書いています。

恵方が4方向しかない理由

恵方は、十干を2つずつ組にして方角を決めます。組と方角は次のとおりです。

  • 甲と己の年 甲の方角。寅と卯のあいだで、およそ東北東
  • 乙と庚の年 庚の方角。申と酉のあいだで、およそ西南西
  • 丙と辛の年 丙の方角。巳と午のあいだで、およそ南南東
  • 丁と壬の年 壬の方角。亥と子のあいだで、およそ北北西
  • 戊と癸の年 丙と辛の年と同じ南南東

組は5つあるのに、方角は4つしかありません。戊は五行の土にあたり、土は方角でいえば中央にあてられるため、戊の方角がないと説明されることがあります。そのため戊と癸の年は南南東を使い、5組のうち2組が同じ方角になって、恵方は4方向にまとまります。この組み合わせは、前の章で見た月の干支の組と同じです。

十干と恵方の早見表

十干は10年でひと回りするので、年の十干は西暦の下1桁で決まります。読みと五行、恵方をまとめると次のようになります。

十干読み五行と兄弟西暦の下1桁恵方の方角
きのえ木の兄4東北東
きのと木の弟5西南西
ひのえ火の兄6南南東
ひのと火の弟7北北西
つちのえ土の兄8南南東
つちのと土の弟9東北東
かのえ金の兄0西南西
かのと金の弟1南南東
みずのえ水の兄2北北西
みずのと水の弟3南南東

たとえば2027年は下1桁が7なので丁の年で、恵方は北北西です。表の方角は「およそ」の目安で、正確には十二支の方角のあいだを指しています。

恵方詣りと恵方巻

恵方の方角にある神社やお寺へお参りする恵方詣りは、江戸時代の正月参詣のかたちのひとつでした。その歴史は『初詣ガイド』で扱っています。節分の夜に恵方を向いて太巻きを食べる恵方巻の広まりについては、『節分と神社』が入口になります。

恵方詣りを「初詣の原型」と紹介する解説があります。そのまま受け取ると、恵方の社寺へお参りするのが本来の初詣で、今の初詣はその形がくずれたもの、ということになりそうです。けれども、辞典の説明を古いほうから順にたどると、二つの関係はそこまで単純ではありませんでした。

「恵方参り」という言葉そのものは古く、精選版日本国語大辞典は、貞治2年(1363年)の『師守記』(もろもりき)の紙背(しはい、紙の裏側)に書かれた「恵方まいり」を用例に挙げています。お参りする日については、辞典によって説明が分かれます。デジタル大辞泉は元旦に恵方の社寺へお参りすることとし、世界大百科事典(旧版)は、江戸時代に京・大坂・江戸を中心に節分の夜に行われていた習わしだと説明しています。節分の翌日は立春なので、どちらも年の変わり目にあたる日です。

今の姿について、日本大百科全書の「恵方」の項目は、恵方参りが村の氏神に参る初詣と混同され、「また、社寺や交通業者の宣伝もあって、方角などには関係なく、有名な社寺に参ることが多い」と書いています。これは恵方という方角の決まりが薄れたことについての説明で、初詣そのものやお参りする人の気持ちを否定した文ではありません。鉄道と初詣の広まりについては、前に挙げた『初詣ガイド』で扱っています。

恵方の決まり方から見ても、ひとつの社寺が毎年恵方にあたることはありません。恵方参りでは家から見て恵方にある社寺を選び、その恵方は十干の組によって4つの方角のあいだを移ります。上の早見表で数えると、家から見て東北東にある社寺が恵方にあたるのは甲と己の年だけで、10年のうち2年です。南南東にある社寺でも、丙・戊・辛・癸の年で、10年のうち4年です。

資料を年代の順に並べると、古くからの恵方参りがそのままくずれて今の初詣になった、という一本の線にはなっていません。「恵方参り」という言葉は、精選版日本国語大辞典が挙げる貞治2年の用例までさかのぼります。一方、方角にこだわらない今の初詣について、氏神へのお参りとの混同や交通業者の宣伝を挙げているのは、日本大百科全書の「恵方」の項目です。

十二支で方角が決まる八将神

暦の上で方角にいるとされる神は、歳徳神だけではありません。歳徳神を「八将神の母」と紹介している国立国会図書館の「日本の暦」は、同じページで八将神を「吉凶の方位を司るとされる八神」と説明し、「その方位は年の十二支によって決まります」と書いています。八神は、太歳(たいさい)・大将軍(だいしょうぐん)・大陰(だいおん)・歳刑(さいきょう)・歳破(さいは)・歳殺(さいせつ)・黄幡(おうばん)・豹尾(ひょうび)です。ここでは、どの方角が良い悪いという話には入らず、方角の決まり方だけを見ていきます。

恵方にいる歳徳神は、ここまで見てきたとおり年の十干で方角が決まります。親子とされる神どうしでも、方角を決めるのに使うのは十干と十二支に分かれているわけです。

八神のうち太歳神について、国立国会図書館は「木星の精」とし、毎年その年の十二支と同じ方角にいると説明しています。子の年なら北、午の年なら南です。年を十二支で呼ぶ方法が木星の位置から来ていることは、十二支の章で見たとおりです。

大将軍は、同じ十二支で決まる神でも動き方が違います。精選版日本国語大辞典は、大将軍の方角を「巳午未の年は東、申酉戌の年は南、亥子丑の年は西、寅卯辰の年は北」と説明しています。十二支を3つずつまとめた区切りで、大将軍が3年ごとに東・南・西・北とめぐるということです。国立国会図書館も、同じ方位に3年とどまって次の方角へ移ることから「三年ふさがり」ともいう、と書いています。

2028年からの3年間で、3つの決まり方を並べてみます。

  • 2028年(戊申) 恵方は南南東、太歳神は申の方角、大将軍は南
  • 2029年(己酉) 恵方は東北東、太歳神は酉の方角(西)、大将軍は南
  • 2030年(庚戌) 恵方は西南西、太歳神は戌の方角、大将軍は南

恵方は十干の組で決まるので、1年ごとに4つの方角のあいだを移ります。太歳神は十二支に合わせて1年に1つずつ進み、大将軍は暦の上では3年のあいだ同じ方角にとどまるとされています。

※本記事の干支・恵方に関する記述は、暦と信仰の文化的な解説を目的としたもので、特定の効果や結果を保証するものではありません。詳細は免責事項をご確認ください。

よくある質問

1月生まれの人は、前の年の干支になるのですか?

今の暦では1年が1月1日に始まるので、年賀状や生まれ年の話では1月1日から新しい干支として扱うのがふつうです。一方で、占いの解説では、四柱推命や九星気学が立春(2月4日ごろ)を年の変わり目にすると説明されています。国立天文台によれば、暦注には立春から始まる節月を基準にするものが多くあります。どちらの数え方をとるかで、1月1日から節分までに生まれた方の干支が変わります。

干支の中でいちばん強いのはどれですか?

干支はもともと年や日の順番を数える呼び名で、国立国会図書館と国立天文台の解説を確認した範囲では、強い弱いの順位は書かれていません。干支ごとの性格や強さの話は占いの流儀ごとの解釈で、流儀によって中身も違います。

自分の生まれ年の十干を知るには、どうすればいいですか?

西暦の下1桁でわかります。4なら甲、5なら乙と順に進み、0は庚、3は癸です。たとえば1984年は下1桁が4なので甲で、十二支と合わせると甲子(きのえね)です。記事中の早見表に10通りをまとめています。1月1日から節分までに生まれた方は、前の質問のとおり、数え方によって前の年の十干になることがあります。

まとめ

この記事では、干支を十干と十二支に分けるところから、恵方と年神までを確かめました。

  • 干支は十干と十二支の組み合わせで、60通りで一巡する
  • 国立国会図書館によれば、十二支はもともと月の順を表す呼び名で、動物はあとから当てはめられた。なぜこの12種でこの順番なのかには定説がない
  • 年を十二支で呼ぶのは木星の動きに由来する。時刻と方角にも十二支が使われてきた
  • 十干はもともと日を10日ずつのまとまりで数える呼び名で、「えと」という読みは十干の兄と弟から来ている
  • 干支は年号より前から年を数える道具として使われ、明治の改暦のあとも数えやすさから暦に残された
  • 月の干支と恵方は、どちらもその年の十干で決まる。恵方は十干を2つずつ5組に分けて決まり、丙辛と戊癸が同じ南南東になるので4方向にまとまる
  • 暦の上で方角にいるとされる神でも、歳徳神は年の十干、八将神は年の十二支で方角が決まる
  • 日の干支は今も甲子の日の祭りの日取りに使われている。今回確かめた4社寺はいずれも甲子の日を祭日や縁日として案内し、連続した日程まで数えられた最上稲荷山妙教寺の2026年と出雲大社の第四甲子祭は、どちらも60日の間隔と合っていた
  • 恵方参りは貞治2年の用例までさかのぼる言葉で、今の初詣は恵方参りがそのままくずれたものとは言い切れない
  • 年神は正月に家へ迎える神、歳徳神は暦の上で恵方にいるとされる神で、辞典では両者が重ねて説明されている

次に年賀状で干支を書くときは、動物の横に十干も添えてみてください。2027年なら丁未(ひのとひつじ)です。十干がひとつわかれば、その年の恵方の方角まで早見表でたどれます。干支から決まる吉日と暦の関係に興味が出てきたら、『神社参拝に良い日はあるのか』が次の入口になります。

参考文献

公式資料(国立国会図書館・国立天文台・神社本庁・社寺)

補助参考(辞典・博物館・公式の解説)

本記事は、2026年9月10日から14日にかけて、国立国会図書館・国立天文台・神社本庁・大野湊神社・出雲大社・大阪府立中央図書館と3か寺の公開資料と辞典類を確認し、十干が恵方と月の干支を決めるしくみと、年神と歳徳神の説明の違いを本記事独自に整理したものです。恵方や干支の扱いは地域や流儀によって異なることがあります。

※ 本記事の画像はChatGPT 等の生成AIによる象徴的なイメージ画像です。実際の景観とは異なる場合があります。詳細は免責事項をご覧ください。

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この記事を書いた人

あやとき編集部は、40代の編集メンバーで運営しています。子を持つ親としても、一人の人間としても、暮らしに息づく神社との関わりを大切にしながら、全国の神社文化を丁寧に読み解いていきます。

神道や神社の奥深さを、専門用語に頼らず、どなたにも分かりやすい言葉でお届けします。読者の方と同じ目線で、共に学んでいく姿勢を基本としています。詳しくは運営者情報をご覧ください。

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